万夏

仕事好きで気がつけば子なし。夫と猫ズと暮らす。未来に役立ちたくて「子育ての地位向上」の…

万夏

仕事好きで気がつけば子なし。夫と猫ズと暮らす。未来に役立ちたくて「子育ての地位向上」のための社会デザインを試み中。そんな私が2020年春に子宮体癌と診断される。そこから起こったこととその顛末をしたためる。(写真は2020年11月の治療終了後の記念撮影)

マガジン

  • アラフィフオンナの子宮癌レポートー命に別状なし

    2019年の年末に受けた健康診断の結果は「子宮がんの疑いあり・要検査」だった。 検査、病院選び、手術、抗がん剤治療、これまでの人生にない事ばかり。 52歳、既婚、こども無し、仕事好き、外食好き。 それなりに気ままな日々を送ってきた私の人生初といっていいくらいの大事件をレポートします。

最近の記事

連載の途中ですが…とある別れの記録(3)

不思議と涙や、悲しみに支配されることが無かった。 “その日”が今日であることにはとても驚いている、という感覚と、あっさりしたものなんだな、というあきらめの気持ちがまじりあう。 “その日”が近づいていることは、私も、姉も、母も、みんな覚悟していて、 でも、 もしかしたら椅子に座って食卓を一緒に囲むくらいのことはあるかもしれない、と期待もしていた。  “もう一度一緒に食卓を囲みたかったな…” そんな思いが、  “目の前のひと品ひと品をしっかりと味わいたい” という

    • 連載の途中ですが…とある別れの記録(2)

      その電話を切ってから、10秒くらい逡巡した。 スマホの画面を見ながら “母からの電話があった時にすぐに東京に戻れば間に合ったのではないか?” “間に合ったほうが良かったのか?” “なぜすぐに東京に戻らなかったのだろう?” “おとうちゃまが死ぬことを前提に行動したくなかったんだな……私。” “しかたない。” それがその時の答えだった。 まっすぐカウンターの席にもどる。 Mさんには、昼にあった母からの電話のことは伝えていた。 彼女は気を遣ってくれて、明日の予定は繰り

      • 連載の途中ですが…とある別れの記録(1)

        2021年4月15日 その日は晴天の淡路島。 海の見えるホテルの部屋でWeb会議を終わらせたら 西海岸へ車を走らせて海に沈む夕日を観よう、 と、Mさんと言っていたのに 会議が思いの外長引いてしまった。 急ぎ車を走らせたけれど、 残念ながら日没時刻には間に合わなかった。 それでも瀬戸内の日没後の茜色の空が、薄墨色の水面に雲の光が映って美しい。 昼と夜の間、海と空の間、まじりあう景色が瞼に沁みこんできた。 その夜は淡路に移住している食のお仕事の先輩Fさんの紹介で、淡路で随一

        • <8>開腹手術一択とおもいきや…。

          開腹して、患部をしっかり見て取り切る 先生はその言葉を何度も言っていた意味が分かったのは説明の最後の最後だった。 “具体的に手術をしていただけるのはいつごろでしょう?” と質問をすると、 カレンダーを示しながら「来週にでも」というニュアンスで “毎週金曜日が僕の手術の担当日なのでね、たまたま来週、再来週でもどちらでも大丈夫ですよ” と先生が言った時にちょっとした驚きがあった。 こころの声「いや、そんなにすぐに手術となると結構いろいろ準備とか、仕事の割り振りとか…

        連載の途中ですが…とある別れの記録(3)

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        • アラフィフオンナの子宮癌レポートー命に別状なし
          9本

        記事

          <7>3度目の検査結果・同席

          2020年3月上旬 月曜日、火曜日と2日連続で広尾駅から日赤病院への坂道を上る。 月曜日はCT検査を受ける前の検査のための血液検査のための採血。火曜日はCT検査。 そして、ようやく翌週月曜日にMRIと検査結果。 これ、1日でまとめられないのかな? せめて採決とCT検査は同じ日にならなかったのかな…とぼやく気持ちがふつふつと湧いてきた。大好きな、私の故郷のようなこの坂道をこんな気持ちで登る回数はできるだけ少なくしたいのに…。 3月9日(月曜日)、夫は午後半休をとって

          <7>3度目の検査結果・同席

          <6>採血・CT・MRI、そして告白

          3月2日:採血 3月3日:CT 3月9日:MRI→医師からの説明 そういえば健康診断を受けたのが年末、健康診断の結果を見たのが1月下旬だった。そして気が付けば3月。 7月の検査でシロだったところから12月でクロ。たったの5ヶ月で私の子宮にガン細胞が芽生えた訳で、 そこから2か月、確実に時計は進んでいる。なんだか不安でしかない。私の中にいるガン細胞たちは大人しく検査を待っているのだろうか。 そんなことを考えながら広尾駅からなじみの坂道を上る。冬の曇天がまるで私のお腹の中

          <6>採血・CT・MRI、そして告白

          <5>ようやく大病院。ふたたびの組織採取。治療の開始の道は遠い。

          2020年2月下旬 クリニックで紹介状をもらってすぐに日赤病院に電話をした。そして、その週の金曜日の午後に紹介状を携えて日赤に向かった。 冬の午後、薄曇りで風が冷たい。 広尾駅から日赤までの坂道はかつて自分が住んでいたマンションがあり、なじみのある道のりである。懐かしい。 とはいえ、なんだか景色が違って見えるのは家路につくあの時とは全然目的が違うからだろう。 その日の日赤病院はとにかく空いていた。 今まで何度も来ているけどこんなに静かな院内は初めてかもしれない。

          <5>ようやく大病院。ふたたびの組織採取。治療の開始の道は遠い。

          <4>予想はしていても動揺はする。

          2020年2月中旬 一週間後といわれていたけれど、検体を送った検査機関の休みと私のスケジュールとかみ合わず、あれから2週間たってしまった。 朝一番のクリニックはまだ人が少ない。 やさしさと柔らかいセンスに包まれた待合室で 少し緊張して待つ。 ほどなく女性の先生から呼ばれて診察室へ。  “やっぱりね、癌細胞がみつかりました。多分ここなのだけど……” 先生がペンを使って指し示す画面を見る。 どこのことを言っているのかはペンの先を凝視してもよくわからない。  “出血の

          <4>予想はしていても動揺はする。

          <3>1週間という単位で時間が過ぎる小さな恐怖

          2020年1月下旬 今年は暖かい冬のせいか梅の開花も早い。 日本橋の新しいビルの中にあるそのレディースクリニックは洗練されたやさしさに溢れ、隅々までこれから出産する人のために考えられた空間だった。 とても居心地がいい、けど、来院目的が違うと居心地が悪い。 超音波の写真を見ながら、健康診断は頸がん検査の結果だけど、子宮体部に何かありそうに写っているから体癌検査にしましょう、となった。 見た感じは悪いもののようには見えないのだけど…、と、ちょっと希望のある言葉ももらって、

          <3>1週間という単位で時間が過ぎる小さな恐怖

          <2>違和感から5か月目の健康診断結果

          2019年12月、そして2020年へ。 かすり傷のような出血が続く日々がなんとなく日常になっていた。 ネットで「更年期」「出血」と調べると「不正出血が何か月も続く」といった記事が上がってくる。 “自己判断しないで病院に行きましょう” と書いてあるけれど、すでに検査したし、つまり更年期だし、よくあることのようだからそのうち治まるだろう。 仕事も切れ目なく忙しい中、身体がきついというような症状もないし年末の健康診断でまた調べるし、と呑気に考えていた。 そして12月、会社

          <2>違和感から5か月目の健康診断結果

          <1>違和感?更年期?2019年夏

          ・・・ 「ホルモンバランスの崩れ、ですね。ピルを出しますから生理の周期リズムを整えて様子を見ましょう」 2019年7月のある日。麻布のレディースクリニックのドクターは私の顔をほとんど見ずにカルテを打ち込みながら声を発した。 (まぁ、癌ではなかったという事ね…) クリニックのそばのディーン&デルーカでアイスコーヒーとドーナツを前にしながらホッとしつつもなんだかもやもやする。 私は祖母も母も叔母も子宮がんをやっている。 なので、40代になってからは健診を欠かさない。

          <1>違和感?更年期?2019年夏

          序章:日本橋のレディスクリニック

          ああ、やっぱり。 その時はあまり驚くことはなく 「だよね」 くらいの感じだった。 さて、どこの病院で手術するのがいいのだろう?……あまり調べていなかった。 ほぼそうだろうなと思いつつも、そうではないことに賭けていた自分にちょっと驚く。 診断名は「子宮体がん」 これから正念場だと言う時に全く。 ちょっと腹立たしく、 でも早めに見つかって良かった、と 安堵もした。 この時点で2020年2月中旬。 これから動き出す特殊な春に向かって 私も世の中もずるずると動き出した。

          序章:日本橋のレディスクリニック