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映画「ザリガニの鳴くところ」感想

 一言で、湿地の自然表現や主人公の風変わりな人生の描き方は良かったですが、正直お伽噺風で現実感はあまりないです。裁判の結果も「最後の真実」も予想の範囲内で、平凡で普通な話でした。

評価「C」

※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。

 本作は、動物学者ディーリア・オーエンズによる同名タイトルのミステリー小説の映画化です。
 両親に見捨てられながらもノースカロライナの湿地帯でたった一人で逞しく生きる少女が、ある日突然殺人事件の容疑者として逮捕されてしまいます。その裁判の結果と「真実」が多くの人々の心を掴み、2019年&2020年の2年連続でアメリカで最も売れた本になりました。
 さらに、日本でも2021年に本屋大賞翻訳小説部門第1位に輝き、全世界では累計1500万部を超えるベストセラーとなりました。

 監督は『ファースト・マッチ』などのオリビア・ニューマンが務め、プロデューサーは女優リース・ウィザースプーンが、自身の製作会社ハロー・サンシャインを通して映像化権を得て、テイラー・スウィフトが劇中歌『Carolina』を提供しています。

 本映画の原作小説は未読ですが、評価が高く、鑑賞者も多かったので鑑賞しました。上映最終日に滑り込みで鑑賞しましたが、満席なのに驚きました。

・主なあらすじ

 1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、裕福な家庭で育ち将来を期待されていた青年の変死体が発見されました。
 殺人容疑をかけられたのは、‟ザリガニが鳴く”と言われる湿地帯でたったひとり育った、無垢な少女カイアです。  
 彼女は6歳の時に両親に見捨てられ、学校にも通わず、花・草木・魚・鳥など、湿地の自然から生きる術を学び、ひとりで生き抜いてきました。そんな彼女の世界に迷い込んだ、心優しきひとりの青年。初恋の彼との出会いをきっかけに、すべての歯車が狂い始めます…。

・主な登場人物

・キャサリン・クラーク/カイア(演- デイジー・エドガー=ジョーンズ)
 一家離散により、6歳から湿地帯でたった一人で育った少女。学校には行かず、湿地の自然から生きる術を学びます。絵が上手く、成長してからは研究と本の執筆に打ち込みます。ある日、殺人事件の容疑をかけられ、無実を証明するために裁判に出廷します。 

・テイト・ウォーカー(演- テイラー・ジョン・スミス)
 カイアが6歳の頃に湿地帯で出会った同年代の少年。彼女に文字の読み書きや計算を教え、やがて二人は恋人になります。しかし、大学に進学するために都会へ行くことになり、年に1回は会いに来ると約束するも…

・チェイス・アンドリュース(演- ハリス・ディキンソン)
 ある日、湿地帯で遺体で発見された男性。19歳になったカイアの恋人で、結婚の約束をするも、別の女性と二股をかけていました。そのことで彼女から別れを告げられると、逆上して暴力をふるいました。

・ジャンピンとメイベル夫妻
 湿地帯の船着き場に住む黒人夫妻。時にカイアの親代わりになり、でも彼女の生き方には口出しせずに見守っています。

・トム・ミルトン 
 カイアの弁護士。

・ジョディ・クラーク
 カイアの生き別れの兄。裁判にて再会します。

1. 湿地の自然を鍵にした内容となっている。

 本作は、アメリカのノースカロライナ州の湿地が舞台となっています。自然表現は良く出来ており、生物たちの息遣いがスクリーン越しによく伝わりました。
 まず、アメリカの湿原ということもあり、その規模は日本の北海道や尾瀬、箱根の湿原よりも、何十倍・何百倍?も大きかったです。火の見櫓からは、湿地全体が一望でき、地平線の彼方まで広がっているように見えたのは感嘆しました。喩えるなら、ディズニーランドのクリッターカントリーみたいでした。
 また、主人公は、生まれも育ちも湿地であり、自然から生きる術を学びます。鳥・貝・虫など、そこに生きる動物の習性をよく観察し、自然の掟を人生観に取り入れます。
 そして、後に起こる「事件」も、自然にまつわる内容となっています。

2. ミステリー小説と謳っているが、実際はヒューマンドラマの要素が強い。

 本作は、「結末が予想できないミステリー小説」というキャッチコピーで出版されていますが、実際はミステリーというよりは、ヒューマンドラマの要素が強い作品だと思います。
 周囲からは「湿地の娘」と揶揄され、不幸な境遇だとレッテルを貼られるも、そこに対する差別と偏見に立ち向かい、生き方を貫く女性の話です。

 カイアは元々一人だったのではなく、かつては家族と共に湿地で生活していました。しかし、生活苦からか次第に父が荒れ、母や子供に暴力を振るうようになって、しまいには一家離散してしまいました。母や兄弟姉妹は先に逃亡してしまい、最後に兄の一人のジョディがカイアに逃げるように伝えるものの、彼女は住み慣れた湿地を離れることを拒みました。
 父と二人暮らしになっても、相変わらず父は荒れたままで、カイアは放置子でした。一度、母から手紙が届くものの、父が燃やしてしまったので、その交流も断たれてしまいます。 
 やがて父も出ていき、いよいよ一人になったカイアは、湿地でムール貝を採取して黒人夫妻に売り、それで生計を立てます。メイベルの勧めで一度は学校に行くものの、子供達からのいじめに耐えられなくなり、二度と行きませんでした。
 そして、自然観察が得意なカイアは、とても写実的なスケッチをします。これが後に彼女の仕事に繋がります。(ちなみに、左利きですね。) 
 さらに、カイアは鳥の羽根でテイトと「交流」する、チェイスに貝殻のネックレスを渡すなど、自然を介した人間との交流のエピソードが時折挟まれるので、彼女は自分を「人間」ではなく、「野生動物」として捉えていることが示唆されます。

 そんな彼女がある日突然「殺人事件の容疑者」として逮捕され、裁判にかけられてしまいます。そこには「事件発生のメカニズム」や「彼女は有罪か無罪か」というミステリー要素はあるものの、実はそこはさほど重要ではなく、寧ろ「通常の倫理観を持ち合わせていない」彼女が何を考え、どう生きたのかというヒューマニズムに焦点が当てられています。

3. 色んな映画の要素を組み合わせているので、結構既視感は強い。

 本作は、「自然の中で生きてきた女性」という、一見するとイレギュラーなキャラクターを題材にしていますが、要所要所見ていくと既視感が強く、色んな映画の要素を組み合わせているように感じました。

 まず、カイアの醸し出す「簡単に触れてはいけない神秘的な雰囲気」・「深窓の令嬢」感は、ディズニー映画のプリンセス(『眠れる森の美女』や『塔の上のラプンツェル』など)や、ジブリ映画のヒロイン(『借りぐらしのアリエッティ』や『思い出のマーニー』)を思い出しました。(最も、「深窓の令嬢」という言葉は、身分の高い家に生まれ、大切に育てられた女子を意味するのでカイアとは違いますが、一方で「深窓」には家の奥深いところという意味もあり、そのような場所に隔離されて、俗世間に染まっていない所は「似ている」のかなと思います。)

 また、自然の中に衣食住を求めた家族という点では、『大草原の小さな家』っぽさもあります。

 そして、幼い頃のカイアがムール貝漁師で、テイトの父がエビ漁師な点と、苦境の中で育った人が、逆境をバネにして自分の道を切り拓いたりする点は、『フォレスト・ガンプ』を思い出しました。

 さらに、不幸な境遇でも直向きに生きる主人公に感情移入しましょう、という点は『ショーシャンクの空に』みたいでした。

 最も、湿地の自然は綺麗だし、鳥や虫の描写も素晴らしいので、ここは『ファーブル昆虫記』・『シートン動物記』・『野生のエルザ』的な感じはしました。元々、作者の方が動物学者なので、こういう描写が多いのは納得です。 

 後は、外界から隔絶された大自然の中で男女が愛を確かめ合う所は『青い珊瑚礁』、主人公が二人の男と恋に落ちた所は『きみに読む物語』(雨の中のキスも)、女性が犯罪の容疑を疑われ、運命に翻弄される点は『白夜行』・『魔女裁判』に似ていました。

4. 現実味はあまりなく、お伽噺のような描写が多い。

 前述より、本作は湿地の自然や生物の描写は素晴らしいですが、一方でカイアの人生の描き方は現実味があまりなく、お伽噺のような展開だと思いました。

 まず、湿地帯で長く暮らしている割に、服装や容姿が小綺麗すぎて、どこかの妖精さんかな?と思いました。
 たとえ、家に電気は引かれてなくても、水は手に入りますが、湿地の濁った水で水浴びしたら、もっと「薄汚れた」感じになりそうですが。体毛もあまりなかったけれど、処理していたのかしら?(下世話な表現すみません。)姉の服をお下がりで着ていたとしても、洗濯はどうしたのかしら?虫はつかないの?移動手段のモーターボートも、きちんとメンテナンスはできていたの?と気になる点は結構ありました。
 また、カイアが採れたムール貝を売って自活する下りも、エピソードとしては良いと思いますが、6歳から19歳までそれだけで生活するには、ちょっと現実味が乏しいです。勿論、黒人夫妻の多少の援助はあったり、途中から本を出版して収入を得たりしていても。

 このように要所要所引っかかる点があったのは、小説だと読者が自由に想像できる所が、映像化するとイメージが固定されてしまい、求めるリアリティーラインが上がってしまったからかもしれません。

5. 裁判のシーンよりも、回想シーンが多く、ややスローテンポに感じた。

 本作、序盤はカイアが突然逮捕され、裁判にかけられるシーンから始まります。そのまま裁判が進むのかと思いきや、節目節目でカイアの半生を振り返る回想シーンが何度も挿入されます。ただ、この回想が長く、とにかくスローテンポでした。そのため、現実の裁判がどうなっているんだっけ?と気になっていました。
 所謂、つまらない映画ではないのですが、途中で何度か眠くなりました。正直、上映時間が長いと感じるタイプの作品でした。

 チェイス殺害犯の証拠は、彼の衣服についていた赤い毛糸と、前日まで身に着けていた貝殻のネックレスが無くなっていたことが挙げられます。
 警察はカイアを「容疑者」とし、裁判では、裁判官や傍聴席の観衆達は(一部を除いて)彼女は「有罪」だと信じます。なぜ、ここまで彼女が糾弾されたのか?恐らく彼女が親からの庇護も学校教育も受けていない女性だったからでしょう。所謂、「自分達とは違う存在」が世間から差別されていれば、「こういう人間は有罪に違いない」と考える集団心理が働いていたからかもしれません。

6. 時代ゆえか、男性の加害性描写は酷い。

 本作は、1950-1969年という時代故に、男性の加害性描写は酷かったです。父親によるモラハラ・DVは酷く、女性・子供への平手打ちは日常茶飯時でした。ここはチェイスも同じでした。(レ○プ寸前描写があるので、要注意です。)

 それにしても、カイアは妖精さんのようなフワフワとしたイメージがありつつも、一方でどこか「魔性の女」らしさがあるよかもしれません。テイトとチェイスという二人の男から想いを寄せられ、どちらとも激しい恋に落ちます。でも、どちらの男もどうしようもないじゃん。チェイスは言わずもがなだけれど、テイトも「年に一度は会いに来る」という約束を守ってなかったし。彼は「忙しかった」と言ってたけど、果たして学業だけだったんですかね?そこに女性の影は無かったのか…?

7. 最後の「どんでん返し」、果たしてチェイスの死因は?

 裁判の結果、カイアは「無罪放免」となり、被告側が勝訴して法廷は終結します。その後、カイアは湿地の自然研究を続け、テイトはレンジャー(自然保護官)となって、初恋の二人は遂に結ばれたのです。
 やがて二人は老齢になり、カイアが先に亡くなります。そして、お爺さんになったテイトは何気なく一つの図鑑を手に取ります。とあるページに挟まれていたのは…彼はその「真実」を知り、わなわなと震え、言葉を失い、ここで物語は幕を閉じます。
 ここの「真実」と、長年隠されていた「物」としては、「まぁ、そうだろうな」と予想の範囲内でした。

 あの晩に「何があったのか」、またなぜカイアを「有罪」にできなかったか、この2点について考察しました。
 (ここは本編には描かれていませんが、)チェイスはよく飲酒していたので、泥酔させて火の見櫓から突き落としたのかな?と思います。実際に火の見櫓の金網の床は一部外れやすくなっていましたし。
 そして、指紋が見つからなかった理由は、潮の干満で、水の流れで消えてしまったからですかね?だから、検察側は「彼女が犯人」という証拠を得られなかったのだと思います。
 ただ、司法解剖はしたのかしら?という点は気になります。アルコールは検出されてないのかな?外傷と指紋のチェックはしていましたが。(見落としてたらすみません。)最も1960年代のアメリカの警察の捜査レベルがどうなのかはわかりませんが。

 では、カイアがクロだと仮定して、なぜ凶行に及んだのか?これは、男性によるDVからの逃避行為だと思います。
 チェイスに殴られたあとカイアは母がなぜ去ったのか理解したと思います。その上で、もうこんな人生はまっぴらだと、そのためには彼を「消さないといけない」そう考えて覚悟を決めたのでしょう。

 実際に、彼女の著書で、「ホタルの発光」について触れている箇所があります。

『愛の信号を灯すのと同じぐらい、彼をおびき寄せるのはたやすかった。けれど雌のホタルのように、そこには死への誘いが隠されていた。』

 これは日本のゲンジボタルの話ですが、夜、光りながら飛んでいるホタルはほとんどがオスです。メスは草や木の葉にじっととまって、小さな光を出しています。光り方には、「プロポーズのための光」、「刺激された時の光」、「敵を驚かせるための光」の3種類あると言われています。 もしこれを、チェイスが「オスのホタル」、カイアが「メスのホタル」と喩えるなら、やはり彼女は「クロ」なのでしょう。しかし、彼女は自分を人間ではなく、自然の一部として見做してきた人間です。もはや誰も、その域に達していた彼女を「法で裁く」ことは出来なかったのでしょう。

8. タイトルの意味に何を感じるか?

 本作のタイトルを聞くと、何とも不思議な印象を受けます。実際はザリガニって鳴くのかしら?と気になりました。まぁ、エビが鳴くというか音を発するのは判らなくはないですが。

 このタイトルは「母親との合言葉」なのですが、作中では、はっきりとした意味は語られません。

 ここは推測の域ですが、このタイトルは「存在しない場所の比喩」かなと思います。「自分の道は、既に用意されたものではなく、自分で切り拓け」的な。正に、カイアの一生に当てはまるのかもしれませんね。

出典: 

・映画「ザリガニの鳴くところ」公式サイト

※ヘッダーは公式サイトから引用。

・「ザリガニの鳴くところ」Wikipediaページhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%81%AE%E9%B3%B4%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D

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