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映画「コーダあいのうた」感想

 一言で、難聴者の家族で唯一の健聴者の少女が、葛藤しながらも夢を叶える話です。音楽や家族愛は素晴らしいですが、一方でヤングケアラー問題が「置き去り」にされているようで、そこは引っかかりました。

評価「B-」 

※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。

 本作の制作指揮を取ったのは、シアン・ヘダー監督です。2014年に公開されたフランス映画「エール!」のリメイク作品となっており、設定や家族像、曲を一部改変しています。※尚、こちらの作品は未見です。→2022年12月に鑑賞しました。

 アメリカ、マサチューセッツ州の港町、漁業を営むロッシー家。両親(父フランク・母ジャッキー)と兄(レオ)の4人家族で、唯一耳が聞こえる女子高生ルビーは、陽気で個性的な家族の「通訳」係としての役割を担っていました。そして、家業の漁業と勉学の二足のわらじを履いていました。

 新学期が始まり、ルビーは秘かに片思いをしている男子マイルズと同じ合唱部を選択します。すると、顧問のヴィラロボス先生(通称: V先生)は、彼女の歌の才能を見出し、バークリー音楽大学を受験するように強く勧めます。しかし、娘の歌声が聞こえない両親は、彼女の才能を信じようとはせず、家業の方が大事だと猛反対します。悩んだルビーは、夢を諦めて家族を選びます。しかし、家族が合唱部のコンサートを鑑賞したとき、思いがけない「奇跡」が起こったのです。それからの家族とルビーの決断は如何に…

 まず、本作ではハンディキャップを「持つ」側ではなく、「持たない」側から描いた点は良かったと思います。よく言う、恋人や配偶者は選べるけれど、親兄弟は選べないので。所謂、「逃げられない」環境だからこそ、そこで主人公がどう生きていくか、何を考えるのかという点は見ていきたいと思いました。

 また、マクロな社会とミクロな社会(家庭)で、マイノリティーとマジョリティーが「逆転」しているという構図も良かったと思います。前者なら、ろうの家族(両親・兄)とその他の人(CODAの主人公を含む)、後者ならCODAの主人公とろうの家族となっていますね。

 一方で、正直な感想を述べると、高評価の声が多い割には「引っかかる」点が多く、「泣く程感動はしなかった」です。「良い作品なんだけど、惜しい点もある」と思いました。
 本感想は、決して本作をネガキャンするものではありません。「良い作品」だったし、色んな人に見てもらいたいと思いました。実際、感動・感涙された方が沢山いらしたのは事実です。さらに、当事者の方を「差別・批判」するものでもございません。

 しかし、後半はネガティブ意見を含みますので、もし不快に思った方はそこから先は読まないことを勧めます。

1. 役者の演技と手話、劇伴の使い方は素晴らしい。

 本作は、役者の演技・手話・劇伴の使い方は素晴らしかったです。

 まず、主人公ルビー役のエミリア・ジョーンズはとても可愛らしく、瑞々しい存在感を放っていました。また、歌や演技のポテンシャルが素晴らしいので、今後の活躍が楽しみです。特に印象に残ったのは、「心の叫び」が出たシーンです。家庭環境や進路選択など、抱えきれない問題に板挟みになって心が押し潰されていく様子に、こっちまで胸が痛くなりました。
 また、聾唖者の両親と兄を演じたトロイ・コッツアー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラントは本当に聴覚障害者の俳優です。そのため、手話でコミュニケーションを取るシーン、一方で手話が「理解」されずにディスコミュニケーションに陥るシーンは、リアリティーが高く、本当にロッシー家が実在しているかのようでした。
 そして、本作は、シリアスで重い展開が続きますが、その中でルビーとマイルズの関係性が深まっていく過程は、ホッと一息つけるものでした。湖でのデートや、ルビーの部屋でのセッションは青春らしくて甘酸っぱかったです。2人の距離が物理的にも、心理的にも近づいていくので、こちらもドキドキしました。
 作中での2人の行動は、現状から「逃避」し「変革」することの「メタファー」だったと思います。湖で高台から飛び込むところは、「何かを乗り越える」こと、浮いた丸太の上でキスするところは、「現状を忘れ、縛られた物から一時的に『解き放たれた』」ことのメタファーだったのでしょう。
 さらに、ルビーは自分の家庭は「コンプレックス」だとみなしていました。しかし、マイルズはそれを「明るくて楽しい家庭」だと伝えます。逆に、マイルズは自分の家庭を「過干渉で窮屈」だと話します。しかし、ルビーは、音声でコミュニケーションがとれる彼の家庭を羨ましく思っていました。結局、人のことは外面と内面ではわからないし、わかったつもりになってはいけないです。しかし、自分自身のことはもっとわからないものなんでしょうね。
 最後に、劇伴はヒット洋楽を沢山起用していました。特に印象に残ったのは、ザ・クラッシュの「I Fought The Law」と、デヴィッド・ボウイの「Starman」と、ジョニー・ミッチェルの「青春の光と影 - Both Sides, Now」です。
 「I Fought The Law」はCMで起用されたこともあり、ワイルドでキャッチー、スピード感溢れるメロディーがとても印象に残りました。家業と勉学に明け暮れるルビーの忙しい日常のBGMとしてマッチングしていました。
 「Starman」は、合唱コンサートでの演目の一つで、「子どもたちが自由に生きられるように解放してあげよう」というメッセージがこめられています。ボウイは、ボブ・ディランの声を「砂と糊を混ぜたみたい」と形容したらしいですが、これはボウイの曲「Song for Bob Dylan」の歌詞に因みます。たとえ、「砂と糊が混ざった」声でも、ディランは沢山の人に支持されています。自分のことを皆に認めてもらわなくても良い、でも支持してくれる人はいる、だから自信を持ちなさい、という先生の温かい心が伝わりました。
 「青春の光と影 - Both Sides, Now」は、ルビーが試験の課題曲として歌った曲です。原曲は爽やかな曲感ですが、本作ではしっとりと歌い上げていました。カバーって、歌手それぞれの色が出ますね。

2. ユーモアやギャグを多用し、「暗くしすぎない」工夫はされている。

 本作は、シリアスで重い展開が続くものの、そこまで「暗い」気持ちにさせない工夫は凝らしていました。
 例えば、合唱団のメンバーは個性豊かで、「ハリー・ポッター」似の生徒がいたり、顔立ちと声にギャップが大きい生徒がいたり、もっと個々のキャラを知りたいと感じました。また、顧問のV先生は個性的で癖が強く、厳しくも温かい指導力の持ち主でした。先生伝授の腹式呼吸や「犬」の呼吸法は面白かったです。私も吹奏楽や管弦楽をやっていたので、この呼吸法は、合唱や管楽器演奏、演劇あるあるだと思いました。
 一方で、下ネタやスラング、セッ○スシーン(着衣)が頻繁に挿入されます。そのため、映倫のレイティングは「PG-12」なのでしょう。私個人としては、結構苦手な描写でしたが、一方で登場人物を下手に「聖人化」していないのは良かったです。例えば、父が「インキ○タムシ」で病院に罹ったり、母がチャラチャラしてたり、兄がマッチングアプリで女性を「品定め」していたり、彼らの「品の無さ」は時折目立ちますが、ここは人なら「あるある」だよな、と感じる点でした。

3. 「無音」の表現と、「無声」のコミュニケーションのメリットとデメリットは良く表現されている。

 まず、本作で表現された、音のない世界の表現は良かったです。ルビーのコンサートで、合唱シーンで敢えて「無音」の瞬間を挿入することで、私達に家族の気持ちを想像させる時間がありました。近年は、実写もアニメも、BGMをガンガン鳴らして盛り上げようとする傾向がありますが、敢えて無音を取り入れることで、表現の難しさに挑戦したところは良かったです。ここは、無声映画とトーキーの対比だという意見もあるようですね。※「無音」の難しさは、宮崎駿監督も述べていたのを思い出しました。
 また、聴力に頼らないコミュニケーション方法として、メッセージアプリでの文字のコミュニケーションが取り入れられていました。ここは、映画「聲の形」でもありましたが、メールやLINEなど、音声を交わさないコミュニケーションがあることで、「便利」になった点は挙げられます。※それでも、細かいニュアンスを伝えるのは、難しい点はあります。
 一方で、音が聴こえない怖さも、しっかり表現されていました。ルビーが漁に出なかった日に、無線が聞こえず、領海を越えてしまったことで海上保安隊が出動する騒ぎに発展しました。その結果、海難審判所で罰金刑を言い渡されたときは、まだまだ社会は音に頼るコミュニケーションが多いことを突きつけられました。

4. 「コーダ」という言葉には、2つの意味がある。

 本作における「コーダ」という言葉には、2つの意味があります。

 一つ目は、“Child of Deaf Adults” の略語で、それぞれの頭文字を取って、「CODA」となります。これは、「聴覚障害のある親を持つ子供たち」という意味があります。 
 二つ目は、音楽表現用語の「Coda」です。これは「末尾」「最後部」という意味で、クラシック音楽では、楽曲の最後に曲全体を締めくくるためにつけられた部分のことをいいます。曲の途中から別の場所へ飛んで演奏する場合に、「どこからどこへ」進むかを示します。演奏中にD.C.またはD.S.の小節まで来たら、もう一度最初から繰り返します。しかし、「To coda」の記号(0に+が重ねられたもの)まで来たら、「Coda」の小節へ飛びます。※残念ながら、この記号は私のスマホでは変換できないため、興味ある方はお手数ですが、調べてください。 
 これにより、ルビーは「家族のヤングケアラー」を繰り返す小節から、「家族から独立する」小節へ飛んだ、という解釈ができると思います。正に、「人生は音楽」なんでしょうね。

5. 「ヤングケアラー問題」あるあるが描かれている。

 本作で最も影を落としていたのは、「ヤングケアラー問題」です。ルビーは、幼い頃から、難聴の家族にいつも付き添い、コミュニケーションでは「無料の通訳」状態でした。それは、彼女にとって、徐々に大きな負担となっていきました。しかし、家族は、「この子がいれば私達は大丈夫だ」と、いつもどこか期待してしまったのです。そんな家族の状況を知りながらも、嫌な顔一つせず頑張る彼女でしたが、いつしかルビーも「家族から必要とされる」ことに慣れてしまい、ずっと「共依存」状態が続いていたのです。
 高校卒業後の進路を決めるときも、彼女は周囲に「家業を継ぐ」と話していました。しかし、「歌を勉強したい」という目標が出来始め、それが大きく揺らぐことになったのです。しかし、彼女は学費や家庭環境より、誰にも相談出来ない状況に陥ります。勿論、漁業でお世話になっている人にも、V先生にも、家庭のことは話せません。

 実際、「ヤングケアラー」の方が、周囲に相談できなくて抱え込む姿はとてもリアルでした。こういう方は、表面的にわかる方だけでなく、潜在的な方も沢山いらっしゃいます。最近の作品でも、NHK朝の連続テレビ小説「おちょやん」での竹井父子・「おかえりモネ」の及川父子、漫画「聲の形」の西宮姉妹でも、この問題は取り上げられていました。

6. 才能を試せる場所、見つける人って大事。

 そんな状況が続いたとき、思い切ってルビーは、家族に「歌の夢のために音大に行きたい」と伝えます。しかし、彼女の「肉声」を聞いたことがない家族は、それに猛反対します。「やはりわかってはもらえない」、そう思った彼女は、家族のために夢を「封印」しようとするのです。
 しかし、V先生は彼女の才能にかけ、最後まで「チャンス」を与えていました。このように、家族でも、家族以外の人でも、若者の才能に気づき、伸ばせる人がいるのは大事だと思います。そして、どの人も、自分の才能を試す・信じる機会はあってほしいです。

 鑑賞後、以下の作品からも似たようなシーンがあったのを思い出しました。

・漫画「銀の匙」第8巻 P. 131の御影アキの言葉 「夢を目指せなくなるのってすごく怖いね…」「でも、夢があるのにそれを目指さないで、『これで良かったんだ』って、一生自分をごまかし続けるのは、もっと怖い…よね。」

 彼女には、高校卒業後に競走馬厩舎で働きたいという夢がありましたが、一人娘のため、それを諦めて実家の牧場を継ごうとしていました。しかし、彼女の夢を聞いた家族は、大学へ行くことを条件にそれを認めます。同級生の八軒勇吾と共に受験勉強を一緒に頑張ったことで、彼女は大学進学が叶いました。

・映画「ミッドナイトスワン」
バレエ教室の実花先生
「一果ちゃんにはバレエの才能があります。私、育てたいんです。」

 家庭環境に恵まれず、自分の目標が無かった少女一果は、預け先のおじの下で、バレエに魅了されます。そんな彼女の才能を見抜いた先生の言葉です。やがて彼女はバレエで頭角を現し、ラストは海外のコンクールに出場できるまでに成長します。

7. しかし、「感動話」とは言い切れない違和感がある。

 本作の大きなメッセージは「家族愛は素晴らしい、親は子供を応援してあげて」です。作中を通して、このテーマはしっかり伝わってきます。

 しかしその一方で、私は「感動話」とは言い切れない違和感を覚えました。なぜなら、作中で家族が抱える問題が、明らかに家族間では解決できないくらい大きいのに、結局「家族愛があれば乗り越えられる」といったオブラートに丸っと包まれたオチに纏まってしまったからです。
 正直、本作に「福祉」の概念が一切存在しないことに違和感を覚えました。実際の「ヤングケアラー問題」は、当人や家族間では到底解決できないはずです。そこに手を差し伸べるのが、公的機関(役所や施設)であるはずなのに、それらが全く描かれていないのです。これでは、巷でよく言われる、家族間や学校での子供達の間の「無料のお世話係」の域を超えていないのでは?と思いました。  
 また、登場人物の品の無さや倫理観のズレが目につき、(人間あるあるかもしれませんが)それ故にイライラするシーンが多く、物語にいまいち乗れず、感動や感涙に至るまで、気持ちが盛り上がりませんでした。※もっとコメディチックな作風なら「笑えた」かもしれませんが、本作のようなヒューマンドラマな作風では、「やり過ぎ」な気がしました。ここは個人の好みだと思いますが。
 正直、彼らが醸し出す「家族なんだから、やってくれて当たり前の意識」を観続けるのはキツかったです。
 家族以外で、唯一彼らを助ける存在となった海上監視員とも上手くコミュニケーションを取ることができず、あわや海難事故になるところでした。しかし、海難審判所の判決で、罰金刑なのに、その怒りの矛先が裁判官と(その時いなかった)ルビーに向いてしまうのはどうなんでしょう?※確かに、裁判官の無理解はありますが、それにしても、「自分達を内省しない」態度は良くないです。勿論、私は「登場人物は常に品行方正であるべき」だとは思っていませんが。
 しかし、家族は終盤のコンサートを鑑賞し、娘が歌に打ち込む様子を見て考えを改め、急遽大学受験会場に向かいます。ここで、彼らは「無料のケアラー依頼者」から、娘の「理解者」に変わっていくのですが、正直その過程がフワッとしているように感じました。勿論、父が娘の首に手を当てて、「歌を聞かせてほしい」と言ったシーンはグッと来ましたよ。
 それでも、結局ルビーには「本音」をぶつけられる人はいたのか、本当の「理解者」はいたのか?「彼女の幸せ」はどこにあるのか?こういった点にモヤッとしてしまうのです。

 一方で、「子供を家に縛り付けることは『毒親』」だというメッセージもしっかり示されていました。
 終盤、兄レオがルビーの「役割」に気づき、家から出そうとしたところは良かったです。もしかすると、両親・兄の中で一番「成長」したのは、レオだったかもしれません。しかし、「失せろ」は酷いと思います。たとえ、敢えて嫌われる言動をしたとしても。

 さらに、終盤の畳み方は、極めてフィクション度が高くなっていました。結局、ルビーが音大に行けること前提で話が進んでしまっているのです。もし彼女に歌の才能が無かったら?大学に合格しなかったら?
 しかも、試験会場にこっそりと忍び込むのはマナー違反です。試験会場の受付では、「会場には部外者は入れません」と言われていましたが、ルビーは手話で家族に伝えてましたっけ?もし、伝えてたのに勝手に2階席にいたなら、尚更まずいです。
 勿論、「当事者に原因がある」とは言いたくないです。しかし、もしかすると家族が周囲から「孤立」する理由って、自分達の要求をちゃっかり押し通すところだったのではないか?と勘ぐってしまうのです。※これは、悪く言えば、「〇〇様」になりかねないと思います。

 そして、ルビーが大学に行くなら、両親と兄の家族3人で暮らすことになりますが、果たして生活を回していけるのでしょうか?ただでさえ生活は苦しくて、船のエンジンを修理できない、海難審判所の判決で罰金刑がかかっているのに。※いくら大学に奨学金制度があると言えどもです。
 その割には、父は喫煙者でマリファナ(大麻)を吸うし、母は(過去の栄光からか)派手な服装だし、こういうお金から「節約」できないのかな、と思いました。お洒落は趣味の域ですが、煙草やマリファナは依存性が強いので、「すぐに止める」ことは困難なのは理解しています。※ちなみに、マサチューセッツ州ではマリファナは2012年に医療用、2016年に嗜好用が合法的には解禁されています。
 正直、こういう貧困状況から「目を逸らし続けている」のは家族の方では?と引っかかってしまうのです。これは、「貧すれば鈍する」の発想でしょうか?
 そういえば、ルビーが試験で歌ったシーンでは、家族が周囲と難なく仕事をこなせる様子が回想で流れていましたが、いつ周囲の人と打ち解けたのでしょうか?

 さらに、レオとルビーの友達は、いつの間に恋人関係になっていましたが、この2人だってコミュニケーションではかなり苦労したはずです。彼らの葛藤や苦難を乗り越える姿はもうちょっと見たかったです。※ここを掘り下げるには、尺が無かったのかもしれませんが。

 余談ですが、本作では、コミュニケーションは殆ど手話で行っていますが、補聴器が全く登場しなかったですね。これは、「高価だから買えない」ということでしょうか?
※追記「本作では、主なコミュニケーションは手話で、補聴器の話はありませんでした。」の記述について。

→一般的には、「聴覚障害」の概念は、一括りにはできず、補聴器等をつけても音声が判別できない場合を「ろう者」、残存聴力を活用してある程度聞き取れる場合を「難聴者」と分けるそうです。
 また、手話を母語もしくは主なコミュニケーション手段とする人を「ろう者」、音声言語が中心で手話を使わないか補助程度の人を「難聴者」と言うこともあります。
 そのため、本作の場合は、前者に当たるのでしょう。(詳しくは、出典の記事「聴覚障害者とは」をご覧ください。)

 最後に、ハンディキャップやLGBTの作品は近年増えていますが、まだ「発展途上」だと思います。やはり、センシティブな作品におけるメッセージの届け方は難しいですね。

 個人的には、NHKの朝の連続テレビ小説やアマプラやネトフリで連続ドラマ化を希望したいです。それこそ、ルビーが手話を覚えて家族と初めてコミュニケーションを取れたエピソードや、育児の苦労や喜び、ルビーの大学進学後のエピソードなど、映画には無かったシーンも描けるんじゃないかと思います。

 本作、良い作品でしたよ。ただ、引っかかった点もあったなと思います。それでも、一見の価値はある作品です。

出典: 
・映画「コーダあいのうた」公式サイトhttps://gaga.ne.jp/coda/

・映画「コーダあいのうた」パンフレット

・【楽譜の読み方】今週は「coda, to coda」について~~♪http://prilog.lekumo.biz/.s/blog/2008/11/post-ebda.html

・「マサチューセッツ州」現在の大麻の合法化状況 by 石井 竜馬
https://asa-magazine.com/law-massachusetts/

・漫画「銀の匙」荒川弘著 第8巻 P. 131

・「聴覚障害者とは」東京都聴覚障害者連盟より
https://www.tfd.deaf.tokyo/%E3%82%8D%E3%81%86%E9%81%8B%E5%8B%95/%E3%80%8C%E8%81%B4%E8%A6%9A%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%8D/#:~:text=%E4%B8%80%E8%88%AC%E7%9A%84%E3%81%AB%E8%A3%9C%E8%81%B4%E5%99%A8%E7%AD%89,%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


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