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父の実家(正月編❷)[思い出話]


[❶からの続き]

話は戻って、大人たちの苛烈なる鉄火場の事。

大人って、やっぱりチンチロリンが好きですよね。(大変局地的な傾向な上、私の偏見も多分に入っています)
まどろっこしいことを嫌うおじさま達には、なにかと手っ取り早いチンチロリンが性に合うのでしょう。まぁ、せっかちを絵に描いたような人たちが集まっているので必然です。

カツ丼用どんぶりにサイコロ三つ。あとは爪楊枝。この、「賭博三点セット」があれば、どこでも賭場、どこでも鉄火場です。
爪楊枝一本、100YAN(実在しない妄想通貨)くらいのレートだったのかな?それは私には分かりませんでしたが、もしかしたらもっと高かったかもしれない……。まさに鉄火場です。

チンチロリンの基本ルールは、みな様当然ご存知の事でしょうから省略しますが、ようは、どんぶりの中に三つのサイコロをいっぺんに振り込み、その出た目の組み合わせで、親と子が対戦するというものです。

とても活字にはできない、コンプライアンスという概念をまるで持たない昭和紳士たちの口から飛び出す宇宙語のような博打用語が、とても没道徳的、没教育的で、大変イカしていました。(!?)
子供の私は、見聞きしているだけでうっとりとして、いっぱしの大人になった気分になりました。(私の大人という概念がだいぶおかしいのは否めません)

ここまで書いて、ひとつ言い忘れていた事があります。それは、我が家系は一般市民であって、決して反社会的な団体とは関係がないという事です。
皆さんが、正月に人生ゲームや桃鉄をやるのと全くおんなじ構図なのです。(ちがうか?)
昭和の下町にはまだそんな文化があったというだけの事なのです。多分。

まぁ、たまに指が何本か見当たらない方や、祭りのときなどには、ステテコ、腹巻き、鯉口で、首から喧嘩札やお守りを下げた倶利伽羅紋紋のお兄さん方を見かけしたりはしましたが、立派に更生されておられる方々ばかりでした。多分。
まだ、絶妙なバランスで清濁が共存していた時代でした。


ここまで来て、まだ何か語り忘れた事があるような気がしてきました。
とても重要で、重大なことをお話しし忘れていた様です。
語るのも恐ろしい、あのことについて……。

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また、長くなってきたので、続きはまた後日書きますね。ここまでお付き合い頂きありがとうございます😊








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