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区別と差別 子供を産むこと

区別する側に差別的意図があればそれは差別
区別されたほうが差別と感じたらそれは差別

ずっと答えが出ない問題に
面と向き合うことをしようと思っている

子育てをすることになったら
きっといろんな問題に向き合うことになるのだろう

妹がわたしに
「子供を産んでみて 生きていることが
当たり前じゃないって気づいた」
と突然ラインで送ってきたことがあった

勝手な被害者意識だと分かったうえでいうけれど
産んだ人が当たり前に言う経験談は
産まないあなたにはわからない
とわたしには聞こえてしまうのだ

子供を産まないのなら何のために結婚したの
と言い放った人がいた
子供を産むことが当たり前?
親になる適性がないかもしれないのに?

生きていることが幸せでもないのに
(幸せとは限らないのに)
子供を産む人の気が知れない
これが私の本音なのだ

これは卵子に私の価値観を
押し付けていることになるのだろうか?
でも産んでしまったら後戻りできない

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わたしは死ぬことに失敗してしまった

当時いじめを苦にしての飛び降りが
よく報道されていた

ごめんなさい
と書いて亡くなったきよらかな魂に
かける言葉は一つもない

わたしは死のうと思った瞬間
まったく誰のことも考えていなかったから

いざ柵を乗り越えようとした瞬間
靴は脱ぐべきか
と考えてしまったのだ

突然マナーについて考えだしてしまった
なぜ靴を脱ぐのだろうか
それが礼儀なのだろうか?
考えてみれば
自殺の仕方について知らないと思った

遺書を書いていない
遺書すら書いてない

そこで急に涙があふれた
自殺するほど追い込まれたのに
ごめんなさいと書いた
他人を思いやることのできる人と違い
ただ死のうとした自分の人間性
人に嫌われ
ひとりぼっちの自分に納得してしまった

DIDゆえ、記憶のなさも相まって
当時の自分が嫌われていたのか
いじめられていたのかすらよくわからない

嫌われていたのだとするのなら
それなりに自分が人を傷つけていたわけだ
だとしても公共の場に
セックスしたいと張り紙を張り散らかすのは
相手のやりすぎだとは思う

あの張り紙ははじまりだったのか
終わりだったのか


張り紙をされたことに冷静だったせいで
自作自演だといわれてしまい
当時恐らくDIDだっただろう自分は
あまりに強く言われたら
自分がやったように思った気もする
よく警察の取り調べで
よくわからなくなり
冤罪にされるシーンみたいな感じだ

たくさん張られた手書きの字は
間違いなく私の字ではなく
一人の女の子を示していた
でもその子に見せかけるために
私が字をまねしたという筋も
全然理論的に少しもおかしくはない

結局どっちだったのだろうか
私が自作自演だったのだろうか

あの事件で私が一番疲れていたのは
私自身の感情が
まるで追いつかないところに
いろんな人が泣いたり真剣になったことだと思う

自殺を考えたのがその前なのか後なのか

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自分を大事にしてくれる人がいる
それがわかっているのに
その人にごめんなさいと書いて
死を選ぶ
その覚悟と違って
私がどれだけ傷ついて悩んだというのだろう
自分がひどく薄っるのに思えてしまった

11階だての階段をぼんやりと下りながら
死のうと考えてぼんやりとしているとき
飼っている最愛の犬のことを
思い出せなかったことに気づいた
なんでそんな大事なことを
忘れてしまっていたのだろう
自分の薄情さに気が狂いそうになった

そのころ仲良くしてくれた
友達がいたことを思い出した

ずっと止まったままの記憶がある
彼女の家の前の真っ白い記憶

「聞いたよ みんなから あのこと
言いづらいのはわかるけどさ
なんで言ってくれなかったの
正直 騙された気分だよ
自分から言ってきてほしかった
知らないの私だけなんだね
結局信用してたのは私だけだったんだね」
そんな内容だったと思う
「悪いけど信用できない もうかかわりたくない」

彼女が私に求めていた本音とは
なんのことだろうか

時折記憶の中に何か言うべきことはないか
と言われる記憶が出てくる
それがDIDという病気のことなのか
わたしの何らかの過去のことなのか

ともかく彼女を失って
どこにもいられなくなってしまった自分は
呆然としたまま
ぼんやりと死ぬことに向かったのだと思う

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帰り道彼女の家の前を通った
私が死んだら彼女が
自分のせいだと思ってしまったかもしれない
死ななくてよかったと思った

死んだら終わり、じゃなくて
死んでまで迷惑かけるって
とんでもない人間だなと思った

そんなことより
まず、今まで一緒にいてくれてありがとう
間違ってもいいからそれを伝えようと思った
それに何かが彼女を誤解させたなら
謝りたいと思った

でも どうしても彼女の言っていることが
わたしにはわからなかった

迷惑をかけない死に方がない
と悟ってしまって以来
自分の生命を持て余している
そんな人間は案外少なくはないのかもしれない

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子供を産むことを当たり前に描く人と違い
産まないということは私の人生で
ずっとずっと前から決定していたことだと思う
おそらくそれは中学時代
私と私の約束事だと思う

今はそれがおそらく
主人格が決めた約束ごとなのだと思う

中学生の夢で
尊敬する人お母さん
なりたいものお母さん

そういう夢を持つ子は少なくなかった
わたしはそう思えなかった

そういうところに
当時から自分は
自分の人格に問題があることは
わかっていたはずなのだ

とても冷めていることに

青春は取り戻すことなどできないけれど
人生はまだまだ長い

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最近わかったことは
愛されるのは結果であるということ

そして人との共同生活のためには
人と関わらない
愛されなくてもいいではなく
自分のためではなく
周囲のために愛される人でいる努力を
するべきだと思う

愛される人とはつまり
集団で協調性をもって生活できる人なのだ
と感じている

バイアスなしに愛される本
を読んでみると
すべては周囲への思いやりについて
言及していると思う

マナーは品格の問題ではなく
いる人を不快にさせないためのもの
つまり人を不快にさせるということは
それだけで悪

で、わたしはそういう人間である

親になった人は
子供とともにいろんなことを学ぶのだろうと思う

つまりまたここでわたしは
人らしい経験値を積まなくなる

どんどん人らしさから離れていくのだと思う
というわけで
無自覚の学生時代を
やっぱり取り戻しながら
自分を検証しようと思うのだ

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