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言霊玄修秘宝より中村孝道の言霊学

孝道は周防の人であるが、「言霊」の秘密を探ろうとして京都に上った。古老識者を尋ね歩いている中、宮中より出た反古紙の中に「ますみの鏡」と呼ばれる「音」の図表を見つけて、そこから霊感を受けて言霊学を大成した。出身地に関しては丹波八木出身地説もある。
中村孝道の言霊学の多くは口伝であったとみられ、筆記をも許さない秘伝があったらしい。
山口志道が『古事記』を重視したのに比して、孝道は『日本書紀』を重視した。
古より神代文字等で記されてきた文書が蘇我入鹿の乱によって消失したが、『古事記』には十分に記されていないこともあったので、更に舎人親王に命じ、安万侶に書き取らせたものが『日本書紀』であると言う。

『孝道先生口授聞書』によると、古事記は言霊で作り、日本紀は真洲鏡で声の次第を伝えたぞ。古事記の言霊と言うは、神号は言霊でなければたたぬぞ。書紀は文字をはたらかしたと云うが、舎人親王の御工夫の処とみゆ。

また、「神代巻」は名を以て顕し、文字を以て隠し、声を以て顕し、文字にて隠し、文字を以て顕し、名にて隠す、といったいった玄玄妙妙なもので、玄意を探ることは容易なものではないと云う。

ちなみに「神代巻」には、「神代巻七十五伝」の口伝があり、こうした部分に関しては、「以下ハ屹ト筆ヲ下ニヲカレヨ」と命じて筆記させていない。

山口志道と中村孝道の違いが明確に記されているところでした。随所に孝道の拠り所とした日本書紀の優秀さが記されていました。

また、別説があるものの、中村孝道が周防の人だということに驚きました。カタカムナを世に出した楢崎皐月も萩の出であり、山口県と言霊(カタカムナを含む)の関係性に、何か因縁めいたものを感じさせます。 

和歌の奥義等、秘すべき大事な事柄は古来口伝により伝授されてきました。確かにこれだと伝える相手も明確で、しかも対面なので念を込めやすくもなります。が、伝えられたものを忘れてしまうという心配は無かったのでしょうか。また、一子相伝などの場合、伝えた相手が思わず早死してしまった場合どうなるのでしょう。それでも、こうした危うさ以上に他に漏れてしまうことを恐れていたのですね。伝えられた人は、命を賭して奥義を守っていくに違いありません。

情報漏洩の問題等が頻発する現代の視点に立つと、壮絶な情報伝達の手段だと感じざるを得ません。

言霊を生命を賭して学びたる
   江戸期に多く生まれ出し謎

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