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「学び方」の学び方

昨日の最所さんの記事を読んで、最近ふわふわ考えていたことが少し整理できたので、書いてみたい。

友人に子どもの勉強を見てほしいと頼まれることがあるけれど、私には向いてないような気がするなあ、とぼんやり考えていた。

というのも、問題の解き方や考え方を教えるよりも、勉強のやり方、続け方を一緒に考える・模索することの方がより興味があるからだ。単純にテストの点を上げるよりも、どうしたら楽しく学べて、その結果、学力が上がるのかにこそ、興味がある。

学びの基礎体力と言い換えても良いのかもしれない。学校では、答えにたどり着くための考え方は教えてくれるけれど、自分に合った勉強方法は教えてくれない。(今回の学習指導要領改訂では、「学びに向かう力」に言及されているから、状況は変わっていくかもしれないけれど)

自分だけの問いを見つけ、答えにたどり着くサイクルを、いかに自分に合ったやり方で回していくか。一時的に成績を上げるのではなく学び続けるためには、学びにおける自分の型みたいなものが大切になっていくんじゃないかと考えている。

学びの「型」は大学院で学んだ

私自身、幼少期は公文で勉強をする習慣を身につけたが、学びの型や基礎体力みたいなものは、大学院で身に着けたように感じている。

仮説を立て、研究を組み立て、必要な道具や場所を手配し、分からないことは文献にあたる。誰かに手取り足取り教えてもらえなくても、学びのサイクルを回せた経験は、社会人になって苦しい時も自分自身を支えてくれた(もちろん、やりつくして壁に行き詰まったら、助けを求めるけれど)。

そして、周りにいてくれた同期や博士課程・ポスドクの先輩からも、本当にたくさんのことを学んだなあ。でも、もっと人生の早い段階で、学びの型を学びたかった。

子育てにおける学びの「型」について

そんなことを考えながら、今は5歳の娘を観察している。私たち夫婦は本が好きなので(仕事で必要なものもあるけど)、彼女も本が好きだ。知らない生き物やきのこに出会ったら、図鑑を調べてみる!という考えが、インストールされているようだ。

親の「好き」で子どもの環境は、変わると思う。絵、音楽、ダンス、スポーツ、アウトドア、写真・・・。いろんな環境を通じて、子どもたちは学びの型を身につける可能性を持っていると思う。兄弟がいたら、教えながら学んでいくという型もあるのかもしれない。

この数十年でいろんなことが変わったから、勉強を教えるのは難しいかもしれないけれど、学び方は一緒に探せるかもしれないなあ。そんなことを考えながら、子どもたちを観察しつつ、自分も学び続けたいなあと思う日々です。

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