楽しいと安心のあいだを埋める

市の家庭教育委員として活動している。先日、そのメンバーとのミーティングで、自分たちの活動の目的を改めて考える機会があった。

「楽しいことは他のところがやっているから、自分たちは困っている人をサポートしていくことが大事だよね。」

と、1人のメンバーが話してくれたのだけれど、この言葉を聞いて、自分自身も楽しいことより、「安心」を感じられることに興味があるなと改めて気づいた。

安心は買えるとは限らない

Netflix、YouTube、本やあつもりなど、世の中には楽しさを提供してくれるコンテンツがいっぱいある。でも、安心についてはどうだろう?

安全ならお金を出せばある程度の環境を整えられるけど、安心できる場所はお金で買えるとは限らない。

安心の反対は不安だけれど、不安は意識しても、安心はいちいち意識しない。不安が解消された時は、安心したー!っていう気持ちになるけれど、安心している状況がふつうだと、そのありがたさってなかなか分からない。

でも、その安心って実は誰かが作ってきてくれたもの。その安心のセーフティネットから、ある日突然外れてしまうかもしれない世界に、私たちは生きている。

楽しい場所と安心できる場所は違う

話しを戻そう。私の最近の関心は、安心できる場所や可能性を増やすことだ。家庭教育委員としての活動や日々の活動でも、新しい土地に引っ越してきて不安、子育てで困っているという保護者の方に出会うことがある。

最近お手伝いしている法律関係のお仕事でも、日々の暮らしの中で困難を抱えている人は多い。どちらの役割にもやりがいを感じているのだけれど、それは「安心できる環境を作っていくサポートをしたい」という気持ちがモチベーションになっているんだなあと改めて思った。

それは全て「人のため」という気持ちではない。私が今困っていないのはただラッキーなだけで、自分もいつ困るかわからないから、何かできることはやっておきたいと思っている。やりたいことと、できることが交わった点のようなお仕事だ。

もちろん、純粋に「楽しめる」場所をつくることは大切だ。コロナ渦の中では、「不要不急」って言われてしまいそうだけれど、楽しめるモノ・コトがないと心の健康バランスを崩しやすい。楽しいことは、辛いことや、嫌なことを少しだけ忘れさせてくれる。そして、私自身もめっちゃ救われている。

で、その楽しいモノ・コトづくりは他にもやってくれている人がいるので、私個人としては、安心して楽しめる場所や環境をどうやって作っていくかってことをやっていきたいなあと考えている。

そうした環境をつくっていくのは、大変ではあるけれど、大変なことを楽しくやってみることこそ、今の仕事のおもしろさであり、やりがいだと考えている。

\読んでくれてありがとうございます!/ 頂いたサポートは地域の中で使い、ご縁をぐるぐる回していきたいと思います。