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「見守る」ってどういうこと?

11月のはじめ、森のようちえんの全国フォーラムに参加してきました。
森のようちえんを運営している人、これから森のようちえんを始めたいと考えている人、森のようちえんに関心のある保護者が全国から集い、学び合う機会です。

今回は、「見守る保育」に見る保育者の専門性という分科会に参加して感じたことをまとめてみたいと思います。

講演者は広島大の中坪先生で、海外の保育と比較しながら日本の「見守る保育」について研究されています。

けんかについて、日本と海外における考え方の違い

驚いたのは、特にアメリカでは園内でのケンカはNGらしく、先生たちが必ず止めに入るということ。

その背景にはアメリカが銃社会であることが大きく関係していて、暴力に繋がることをできるだけ排除したいと考えているからだそう。
一方で、一般的にアメリカ人は日本人よりも議論が上手なイメージがあります。

日本では、けんかすることで相手の痛みを知る、けんかの仕方を学ぶという考え方もありますが、そういったけんかが、できるだけ初期段階で止められるアメリカではどうやって議論する能力を伸ばしているのか、とても興味が湧きました。

「見守る」をいろんな角度から見てみる

今回の分科会で一番盛りあがった議論でした。
鳥取県で活動している森のようちえん「まるたんぼう」さんでの日常の1場面を、映像をとおして参加者みんなで見ました。

【映像の内容】最近、森のようちえんに通い始めた3歳の女の子が、リュックのチャックが閉められないと泣いていました。普段はちゃんとチャックを閉められることを知っている先生たちは、容易に手を貸そうとはしません。いろんな声かけをしながら、本人がチャックを閉められるまで待っています。その女の子は、一番好きな先生のところに行って、チャックが閉まらないことを訴えますが、やはり対応は同じ。本人がチャックを閉められるまで、優しく声をかけながら見守ります。最終的に、女の子は自分自身でチャックを閉めることができました。

で、この映像を見て果たしてこれは「見守る」ということの最適解なのかという議論になりました。

参加者の1人は、こう切り出されました。

「大人から見ると見守っているかもしれないけれど、子供にとっては、困っているのに助けてくれない(信頼関係に影響する)ってことになるよね。
チャックを閉めることができた時に、笑顔にならなかった(達成感を得ている様子ではなかった)ことがとても気になったんです。」

この場面には、保育者としていろんな答えがあると思います。

・チャックを一緒に持って閉める
・半分まで閉めてあげて、半分以降を本人に閉めてもらう
・保育者が閉める

そして、普段はチャックが閉められるのに、今日はできなかった理由もきっといろいろある。

もしかしたら家でお母さんかお父さんとけんかしてしまったのかもしれないし、寂しく感じることがあって甘えたいのかもしれない。
体調があまり良くないのかもしれないし、寝不足なのかもしれない。

保育園・幼稚園は子供が安心して過ごせる場所。
そうした目的を満たすための最適解って何だろね?子供たちの育ちを観察しながら、保護者や子供たちとのコミュニケーションを大切に、場面ごとに考えていくことが大事だねという話をみんなでしました。

見守りたいけれど・・・時間がとれない

子供を見守りたい!けれどそんな時間がない・・・という回答がそこそこあったことがとても印象的でした。

同じく「まるたんぼう」さんでの1コマを映像で見たのですが、その日はお昼ごはんをみんなで作る、クッキングの日でした。

先生は何も手出しをせず、子供たちが材料を切り、ご飯の段取りを進めていきます。が、どうしても火がつかない。

うーん、今日は給食を食べられなかもしれない。

先生は給食が食べられなかったことを保護者の方に謝らないとなあと考える一方、「火をつけることに詳しい人に聞いてみたら」とアドバイスしました。
その結果、子どもたちはたき火に詳しい先生のところへ聞きに行き、なんとか火がつけられ、給食も無事完成!という結果になりました。

この映像を見て、何人かの参加者の方は、「園での1日のスケジュールが決まっているので、見守りたいけれど、そこまでの時間がとれない」と話されていました。

確かにごはん、おやつ、お昼寝の時間などおおよそのスケジュールは決まっています。そこに運動会やお遊戯会など季節のイベントが入ってくるともっとスケジュールはタイトになってくるのかもしれません。

また、もう1つの視点として、保護者が何を大切に思うのかというのも日常の保育を構成する上で大事な要素なんだろうなと感じました。

例えば、まるたんぼうさんでは、保護者が「見守る保育」に共感して子どもを預けているからこそ、先生たちは、給食を食べられないかもしれないけれど、給食を食べられるまで、子どもたち自身で試行錯誤した経験を提供することを優先できると思うのです。

小学校以降の教育を考えると、自分自身が経験した時よりもさらに忙しくなっている様子。私たちが運営している森のようちえんヒュッテでも、いつも子どもたちが何かをやりきるまで見守れるわけではありません。

家庭でも、急いでいる時はやっぱりせかしてしまうし、経験の機会を与えてあげられないこともある(お菓子つくりたい~とか)。

けれど、社会全体がなんとなく子どもを信じて見守るという雰囲気や余裕を無くしかけていると感じる今、保育者や保護者として意識的に、子どもたちが自由に経験をつめる場を確保していく必要があるのかなあと感じました。

都合で2日間しか参加できなかったけれど、うれしい再会や出会い、何より子どもの育ちを真剣に考える大人が全国にこんなにいるのか!とエネルギーをもらって帰路につきました。

大山もとても良かったので、またゆっくり遊びに行きたいです!


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