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日日是好日、毎日がよい日

「日日是好日」を読んだ。
見える世界が変わって、感覚が解放されたような気がしている。

生きるレイヤーが深くなった、と言ってもいいのかもしれない。

お茶って型があって、とても窮屈なものだと思っていた。

でも、その窮屈さの向こう側には、自由な世界が広がっていることを初めて知った。

「型」を教えながら、武田先生(映画の役では、樹木希林さん)は言う。

「意味なんかわからなくていいの。」
「頭で考えちゃだめ。」

私たちは意味が分かってはじめて納得し、自分のものにできる。

歴史だって、年号だけ覚えるのは難しい。だから、時代の背景や前後関係などの流れを掴むことによって、学んでいくだろう。

お茶では、道具、入れ方、掛軸、季節の花、全てが季節とともに変わる

けれど、先生は意味や目的を教えず、ひたすらにお茶の手順を教えていく。(感覚で覚えさせていく)

そうすると、点と点がつながって線となり、頭で考えなくても手が勝手に動く瞬間がやってくる。先生はその瞬間をずっと待ち、大切にしているから教えない。

そして、わかる、つながる感覚がやってくるタイミングも人それぞれで異なることを理解した上で見守っている。

その感覚が花開く時、「生きている」ことを強く実感できるのだと思う。

同じ雨でも、梅雨と秋では感じ方が違う。梅雨は若い葉が雨をはね返して雨音が大きく聞こえ、秋は枯葉が雨を通すから、しとしとと聞こえるのだ。

20代、30代、40代をお茶と共に過ごし、仕事や恋愛など生き方に揺れる。

一方で、お茶を通して目の前の景色の解像度がぐんと上がり、自分の生き方を自分で肯定しながら生きていく著者の様子はとても清々しかった。

誰でもこんな風に生きられるんだよなあ。

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