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理想的なハコモノを考える

終了間際に、子どもたちの遊びが深まりだした。

今、基地づくりをしていて、山に小屋を建てている。その小屋の近くに、焚き火を囲めるサークルを作りたいなあと考えて、焚き火用に穴を掘っていたら、その穴をお風呂に見立てて子どもたちが遊びだした。

子どもたち:「落ち葉が無いんよなあ」
私:「落ち葉なら、上のキュウイ畑にあるよ」

そう答えると、子どもたちは上の段のキウイ畑に走って行った。それから15分くらい、終わりの時間を約束するまで、子どもたちは延々と落ち葉を穴に運んでいた。どうやら、落ち葉はお風呂の水という位置づけで使うらしい。

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運んだ落ち葉を貯めた穴に板を渡して、その上に座ると楽しいかも!と、遊びを発展させていく子もいて、こうしたらいい、ああしたらいい、とワイワイ遊びを深めている様子がとてもよかった。

その様子を眺めていたら、ふと、「ハコモノ」という言葉が頭に浮かんだ。

ハコモノとは、国や自治体によって建設された施設を指し、多くの場合、「建設」に重点を置く政策を揶揄する表現として使われることが多い。(ちなみに、好意的な文脈で、ハコモノという言葉が使われているのを見たことはない)。

ハコモノっていう言葉の中には、そこで遊ぶ人同士が作り出す環境は含まれないけれど、とっても大事だと考えている。一般的には、ハコモノをハード、人同士が作り出す環境(形の無い要素)をソフトと呼ぶ。

ハードの場をつくる時には、できるだけたくさんの使い方ができるように、汎用性の高いデザインを目指すことが多い。部屋を最初から区切らず、パーテーションで区切るとか、コンセントの位置をちゃんと考えるとか。

でも、その場所を使う人たちが関わり続けていくような場・雰囲気をどう作っていくかという話はされないことが多いような気がしている。でも、それが一番大事。使う人がいるからこそ、その場所は作られたのだ。多くの場合、税金を使って。

そこを使いたい人がいるから作られたという順番じゃないとおかしいのに、どうやって使うの・・・?と感じてしまう施設も少なくない。

地面に掘っただけの穴に、キウイの葉っぱを集めてしばらく遊び続ける子どもたちを見ていると、いろんな想いが頭の中を駆け巡る。

小屋というハコを作っているけれど、関わりしろをどうやって増やしていくか、子どもたちの遊びのスイッチが入るような仕掛けをどうやってちりばめていくか。考えることは山ほどある。

せっかくなら愛されるハコモノを作っていきたい。

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