意思表示と世界観をつくることは相反するのか
「商売をしているから、表立っては応援できないけど、応援してるよ。」
田舎で選挙が行われる時、そんなセリフを聞く事がある。聞いた当初はなんとなく、そんなものなのかもしれないなあと思っていたのだけれど、時間が経つとともに、本当にそうなんだっけ?という考えが頭をもたげるようになった。
主に2つの論点が思い浮かぶ。
何のために自分で商売・ビジネスをしているのか
自分のやりたいことをやるために、組織には属さずに仕事をするという選択をしているのであれば、自分の信念に沿って応援できないことは、なんだか息苦しいような気もする。
一方で、その人がやりたいのは誰かの応援ではなく、自分のビジネスだから、ある人を応援することでお客さんが離れてしまうリスクは、背負いきれないのかもしれない。
思想や信念の表現が世界観をつくる
もう1つは、たとえ誰に何と言われようとこの人を応援するという信念を貫くことは、その人がやっているビジネスの世界観をつくることにつながるんじゃないかという考えだ。
つまり、自分の信念とか思想を表現していくことは、実はチャンスなんじゃないかということ。離れてしまうお客さんがいるかもしれないけれど、応援してくれる人が増え、お客さんも増えるかもしれない。
どこでも同じようなものが買えるようになってきたとき、誰から買いたいと思うかと言えば、やっぱり応援したい人から買いたいし、そんなお店でご飯を食べたい。
以前、座間宮ガレイさんの勉強会で、「なぜ、政治家はころころと主張が変わるのか?」という質問をしたことがあった。答えは、「彼らの最終目標は当選することだから。世論を見ながら票を取るために主張を変え、当選してはじめて職務をまっとうできる」というものだった。
つまり、目的は主張を変えないことではなく、当選することなのだ。
分かるような気もする。でも、信念とか理想を掲げてビジネスをしたり当選したりすることは、やっぱり難しいことなのだろうか?
たとえ難しかったとしても、信念とか思想を語る姿に共感する。そして、そうした生き方こそが、誰にもパクられないその人の世界観をつくり、その人じゃないとできない仕事がつくられていくような気がしている。
だからこそ、傷つくかもしれないけれど、意思表示すべきことはちゃんと言える大人でありたいと思う。
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