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自分を好きになる方法:12 劣等感と卑屈の思わぬ力

劣等感と卑屈というのは、想像以上に思わぬところに根を生やしている。
先日妻と話していて突然気がついたことがある。それは、会話において聞き手と話し手の間に上下関係が生じるものだとごく普通に考えていたことであった。

会話に上下関係?

なに言ってんの?と思ったあなたは正常である。ところが劣等感と卑屈にさいなまれているひとにとって、会話の上下関係はわりと普通の感覚ではないだろうか。

ぼくは今まで、会話をするとき聞いているほうは聞いてやっているという態度で、話しているほうは聞いていただいているという態度をとるべきだと考えていた。だからぼくが話すときは必要以上にへりくだるし、聞く時は自分の都合を優先して行動していたのである。

具体的に話そう。以前仕事仲間が言ったことがある。永井さんは自分が話しているといつの間にかいなくなっているんですよねえ。実際ぼくは彼が話をしている間に、まるで忍者のように気配を消してトイレに行ったりしていた。もちろん何も言わずに、だ。

しかしそれのなにが悪いのだろう?聞いてあげているのはぼくなのだから、話し手はぼくの行動に気をつかって話を中断すべきではなかったのか。なぜ聞き手のぼくがちょっとトイレに行ってもいいですかと話し手にお伺いをたてなければいけないのか。ぼくはそうですかあと流しながら内心そう思っていた。

だからぼくが話し手のときはへりくだりすぎるくらいにへりくだる。こんなつまんない話聞いてくださってすいませんすいませんすいません。もうほんと、あ、お立ちになる。はい口つぐみますつぐみますつぐみます。こんな感じである。決して大げさでなくて。

会話における上下関係。それは自然の摂理のごとく当然のことだとずっと思っていた。ところが。

先日妻と話しているときに(喧嘩してたんだけど)、突然それはまるで稲光のようにひらめいたのである。会話に上下関係など本当はないってことに。

聞き手はえらくもないし、話し手はへりくだる必要などなかったのである。そんな当たり前なと思ったあなたは正常だ。しかしぼくの中に劣等感と卑屈が住み着いて以来数十年、ぼくにとって会話に上下関係があるほうが当たり前だったのである。それが突然取れた。ポロリと取れた。

目の前がすーっと鮮明になっていく感じがした。会話の上下関係などまったくの無意味だった。そんなことに縛られていたから必要のない軋轢を生んだし、必要のないミスコミュニケーションが生じたし、必要のない苛立ちと疲労に悩まされてきたのだ。

何十年も気が付けなかったことに気がついた。それはこうやって綴ってきた成果ではないかと思う。会話の上下関係と劣等感が結びついていたなんて想像もしていなかったが、こうして劣等感と卑屈にサヨナラをしていたからこそ気がついたのだろうと考えている。そして考えれば考えるほどに会話の上下関係問題と劣等感は密接に結びついていたとしか思えないのだ。

意図せずして訪れたこの目からウロコ事件を受けて、ぼくはいよいよ新しいステージに立ったのである。はあーなるほどねえ!!

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