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娘の憂鬱

保育園から帰宅したときの娘はいつも機嫌が悪い。
たまに上機嫌で帰宅したときは、「今日はいい子ちゃんでしょ!」と自分から申告するくらいだから、普段の機嫌の悪さは本人も自覚するところであろう。
 
実際どのように機嫌が悪いのかと言えば、帰り道にぐずって歩こうとしなかったり、来た道を引き返したり、座り込んだりする。なんとかかんとか帰宅すると今度は玄関で転げ回りながらの大泣きが始まる。大体毎日こんな感じである。
 
ひとりっ子ならば落ち着くまでつきっきりで付き合ってあげてもいいのだが、うちにはもうひとり腹をすかしたアニキがいるので泣き叫んでいる娘を尻目にどんどん夕飯の準備を進めなければいけない。片付けるものを片付けて、本当は作ってしまいたい夕食のフィニッシュワークを残して泣き続ける娘のもとへと向かう。顔は涙でぐちゃぐちゃで、床に涙の水たまりができている。抱えて起こすと涙が滝となって流れ落ちた。
 
ここでひとしきり娘の暴力に耐えているとようやく落ち着きを取り戻すのはいつものこと。ところがこの日は床に置くと泣きスイッチが入る赤ん坊みたいで下ろすに下ろせない。仕方ないからぼくは諦めてソファに座って娘ちゃんを抱っこした。腹ペコの息子はポケモンのイラスト描きに没頭して空腹を紛らわしている。
 
なんで娘は帰宅時の機嫌がこんなに悪いのか。妻はお腹が空いているからじゃないというが、ぼくはそれ以外にもなにかあるのではないかと踏んでいる。ただ踏んでいるだけでなにもわからないので聞いてみた。
 
「ねえ、なんでそんなに機嫌が悪いの」
 
すると娘は涙まじりに答えたのである。
だって。赤ちゃんの頃はいつも抱っこしてくれたり、ご飯食べさしてくれたり、可愛がってくれたりしたのに今はしてくれないから。
だって。以前は保育園の早お迎えして公園で遊んだりさせてくれたのに、今は病院に行くときしか早お迎えしてくれないから。
だって。以前はなんでもいいよって言ってくれたのに、今は怒ったりするから。
だって。だって。だって。
 
なるほど子どもながらに色々あるものである。ちなみに参考までに言っておくと今でも朝食はすべて僕の膝の上で僕が食べさしてやっている。夕飯は基本自力本願を推奨しているが、気がつくと膝に座っていることもある。ちなみに保育園の早お迎えにはグレードがあって、午睡時のお迎えが最上とされており、ワンランク下がっておやつ時早お迎えがあるらしい。ちなみに怒ったりするのは僕にも我慢の限界があるからであるが、そんなことは知ったことではないらしい。
 
僕がやっているというのと、娘がやってもらってないというのには程度の差が根底にある。十分か十分でないかは人それぞれだから、ぼくが一生懸命やっていると思っていても娘が全然足りないと思えば無きに等しい。これは息子にも当てはまる。むしろ息子のほうがオレなんかとか、妹ばっかりとか、なんにもしてくれないと思う傾向が強いくらいである。
 
話を娘に戻せば娘は娘なりにご不満を抱えていることがわかった。単に腹が減っているだけではなかったのである。もちろん腹を満たせば心が落ち着くから食事をさせるのは正解だが、四歳なりの問題を解決するにはやはり対策を練らねばなるまい。
 
まず、食事についてはなんでもいいよいいよといって食べさしてやるほかあるまい。そのうち自分からめんどくさくなって自分で食べるようになろう。そうすればあの頃は食べさしてやったなあと振り返るいい思い出になるはずだ。
 
次に、怒らないは難しい。べつに怒鳴ったりしないが言うことを利かなければ厳しい言葉を使わざるをえない。なんだかんだといって恐怖訴求は効くからである。しかしここはひとつ踏ん張って怒らない怒らない……。ところで大人の定義のひとつにこの衝動をコントロールできるというのがあるのではないか。赤ちゃんは衝動の動物である。しょうどうぶつである。幼児になると衝動の存在を知りつつそれを無視して衝動に走る。少年少女期はこちらが促してやればだいぶ衝動を意識できるようになってくる。そんなふうにして衝動を操縦する技術を磨いて行くのである。そして大人になるとその衝動を自分のものにして自在にコントロールできる……というのがぼくの考える大人である。だから衝動的なひとは精神的子どもといえる。ぼくは大人なので子ども衝動に付き合ったりしないし、衝動的に怒ったりしない。お腹の底からムカムカがこみ上げてくるときはいつも深呼吸して遠くを見つめて心を落ち着かせているのである。ぼくがいい加減にしろーと怒鳴るときは演技である。パフォーマンスと言ってもいい。先日鴻上尚史さんの人生相談でまったく同じことを言っていてぼくだけじゃなかったんだと知った。
 
最も難しいのが早お迎えである。そしておそらく最も要望の高いのが早お迎えではないかと思う。要するに保育園など行きたくないのである。休日と同じように平日も遊びたいのである。しかしこちらは子どものいない時間目一杯を使って自分のことをやっているのである。そして夕方が近づいてくれば今夜の献立をどうするか悩みだし、いよいよ夕方が始まればその夕食づくりをしなければならない。十七時半ごろまでに作り終え、一人目のお迎えに学童へ行き、十八時ごろに二人目の保育園へと行き、メシを食わせ、風呂に入れ、歯を磨いて二十一時過ぎにベッドに入らせるまでぜーんぶ子ども対応時間となる。
 
このあとに仕事が残っていれば仕事をやっつけ、なければないでやっと訪れた一人時間に映画でも観たいところであるが、どんなに夜ふかししても翌日6時起床は変わらない。だから最近は名残惜しいと思いつつも寝てしまうのである。そして一瞬で朝が訪れる。今の時期6時は夜である。日の出が6時半過ぎである。ここ数日急に冷え込んでふとんから出るのが辛い。ふと目を閉じると15分が1秒で過ぎ去っている。いかんいかん。震えながらなんとか起きる。なんか話題が変わってきてしまった。閑話休題。
 
早お迎えが難しい理由には夕食が作れなくなるという問題もある。遊びに連れ出さないといけないわけで、夕飯作るから帰ろうといったって素直にはいわかりましたというはずがない。だから早お迎えしたら惣菜買ってすごく手を抜くか外食するかになる。この土地はいいところだが、東京のように美味い惣菜屋がない。スーパーの惣菜はお店ではあれ食べたいこれ買ってというが、実際に買って帰ると意外に食べなかったりする。舌が肥えてるよなあ。外食はというとファミレスばかりであって子どもは喜ぶがぼくが食べる気がしない。困ったなあ。大体子どもの目当てはお子様セットのゼリーやおもちゃではないか。
 
今日も娘が泣いていた。明日もきっと泣くんだろう。いつまで泣いているのかな。気遣いやさんのキミだから、保育園で頑張ってしまっているんだろうなあ。
 
いろいろ原因の対策を考えてみたが、結局これらをこなせば次の原因がやってくるだけである。泣く原因など無限に用意しているに相違ない。でもいいのである。そんなことわかった上でとりあえずできることをしてやればいいのである。
 
早お迎えは一度くらいは実現しないといけないだろう。その日のメシが手抜きになるのはしょうがない。早お迎えすればお菓子買ってと言う、じゃなくて買えと号泣するんだろうな。わがままいっぱい言うんだろうな。だってそのために早お迎えさせるんだもんな。早お迎えしてあげたんだから言うことを聞けというのは論外だろう。そう考えるとうんざりしちゃう。だけどキミが大好きだからなんとか早お迎え日を捻出してみるよ。ら、来年の抱負にしてもいいかい…?

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