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いつも私の拙い作品をお読みいただき、ありがとうございます。今回は急きょ予定を変更いたしまして、番外編。2年前の8月に私のお店のブログに書いた文章を掲載いたします。多少加筆、修正してあります。


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タイトル「九さんのこと」


毎年この時期になると思い出すことがあります。今から36年前のこと。当時高校生だった私は50年代60年代のアメリカンポップスに夢中でした。レコードを買い集めラジオで特集があると齧りついて聞いてました。その中でも坂本九さんは当時の日本を代表するポップシンガーで、その延長上で私は彼のファンでもありました。アルバムも持ってました。その年の春、名古屋で彼のコンサートがあるということを聞き付け早速チケットを購入し、学校が終わってから1人ではるばる電車に乗って名古屋まで見に行きました。着替える時間がなかったので学生服のまま行きました。

会場は千人ほどが入れるホール、コンサートは2部構成でした。前半が人情っぽいホームドラマ風のお芝居、後半が歌のショーでした。お客さんはもちろん年配の方ばかり。私一人だけが学生服。当然異常に浮きまくってました。お芝居が終わっていよいよ歌のショーの始まり。誰もが知ってるヒット曲のオンパレードです。時には85年当時の最新の曲まで織り交ぜながら、ジャニーズメドレーとか。当時のジャニーズというと、トシちゃん、マッチ、シブがき隊などでした。「僕もこう見えて昔はアイドルだったんですよ」なんて言いながら、同じ振り付けをそのままやってずっこけたりしながら笑いを取っていました。さすがはエンターテイナー、楽しませてくれます。途中一緒に歌おうみたいなコーナーがあって、九さんがランダムにお客さんを指名して掛け合いをしながら歌う、というコーナーがありました。九さんがお客さんを選ぶため、客席に降りて来ます。嫌な予感がしました。なぜなら私は学生服、当然何処からどう見ても目立ちまくりです。

予感は見事的中しました。九さんは私を見つけるとニマ~っと笑ってマイクを手に近づいて来ました。そしてマイクを私に向けて言いました。「君、一人で来たの?」さらに質問は続きます。「その恰好はどうしたの?」回りのお客さんたちも違和感有りまくりの私を見て秘かに思っていたのでしょう。九さんが突っ込む度にどっと笑いが起こります。そしてひと通りルール説明が終わり九さんが歌い始めました。「カモニシンガソ~ン、ララララ~ララ・・・」後に続いて教えられた通りに私も歌いました。「ララララ~ララ」何度か無茶ぶりされその度にやり直しさせられ、いじられしどろもどろになりながらも私は必死で歌いました。いわゆる素人イジリってやつですね。最後はもうわけがわからなくなって半ばヤケクソ気味に胸を反り返させて唸りました。「ルワ・ルワ・ラ・ルワ~ラルワ・・・」間髪入れず九さんが突っ込みました。「そんなに威張らなくていいんだよ、君!」会場がどか~んとウケました。もしかして仕込みだと思われたかもしれません。

それから半年後、九さんは例の事故によって帰らぬ人となりました。当時、友達や身内よりも先に自分と実際に会話を交わしたことのある人が亡くなるという経験に私は大変ショックを受けました。つい半年前に会ってお話をしたばかりという記憶もまだ生々しいうちに。

彼の名古屋でのコンサートの半年後のこと。1985年の8月、その日は学校の先輩の家に友達と遊びに行く約束がありました。蒸し暑い日だったのを覚えています。その夜、大好きだったオールディーズの特番がテレビで放送されるということで、私と先輩、友達と3人で飲んでバカ騒ぎして歌って踊っていました。出て来る出て来るお馴染みのナンバーばかり。しかも歌っているのは本人。覚えてるのがまだ存命中のデル・シャノン、ちょっとおっさんになってました。プラターズやドリフターズ(全員集合の方ではなく本家の方)もいたような気もします。ドリフターズはベストアルバムを持っていたので私は大興奮でした。そしてレスリー・ゴーアが登場し「涙のバースデイ・パーティ」を歌っている時に間奏でナレーションが流れました。

この曲から全米1位の座を奪ったのがあの坂本九さんの「上を向いて歩こう」です。

一同おお~っとなったその直後に臨時ニュースが入りました。「羽田発大阪行き日航機が行方不明」。その飛行機に九さんが乗っていたのはまだ誰も知らない段階です。それが明るみになるのは深夜、後にアナウンサーが読み上げる搭乗者名簿によってでした。あまりにも偶然なタイミングに、もしかして当時その番組を見てて覚えておられる方もいるかもしれません。私にとって初めて触れる「死」という体験がたまたま憧れの有名人であったこと、彼の記憶の中に私のことなんて全く無かったかもしれませんが、あの3分にも満たない僅かな一時が確かにこの世界の何処かに存在してたこと、それを限られた人ではあるけれど共有出来た事が何となく嬉しくて、私の中で「死」というものに対する原風景を編み出すその第一歩となったような気がします。そして今でもその体験は私の中で生きています。

毎年この時期が来る度に、あの事故が話題に上がります。私にとっては大切で特別な記憶と共に、九さんのことを少しだけ思い出すのです。正直あの時ウケたのはちょっと嬉しかった。内心冷や汗だったけど。


以上です。走り書きのままの文章なので、途中読みづらいところがありましたら申し訳ございません。最後までお読み頂きありがとうございました。


読んでいただき、ありがとうございます。 ほとんどの詩の舞台は私が住んでる町、安曇野です。 普段作ってるお菓子と同じく、小さな気持ちを大切にしながら、ちょっとだけ美味しい気持ちになれる、そんな詩が書けたらなと思っています。