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春が来ると思い出すM先生


高校3年時の担任は、M先生という若い女性だった。

年齢はおそらく20代後半くらいだったと思う。
英語の先生で、とても華奢。
結婚していて子供がいるとは思えない、優しく可愛らしい雰囲気を持っている人だった。


僕はひそかにM先生のことが好きだった。


そのころの僕は恋愛とは程遠い人生を送っており、好きという気持ちがいまいち理解できていなかったような気もする。
いま思えば、恋愛感情というよりは憧れに近かったのかもしれない。


僕の通っていた高校は、大半が進学を目指す学校だった。

第二次ベビーブーム世代だったので人数が多く、同級生は600人くらいいた。
一方で大学は現在ほど多くなく、全入なんて考えられない時代。
どの大学も非常に狭き門だった。

正確な数字はわからないが、同級生の6~7割くらいは浪人していたと思う。
僕もそのうちの一人だった。


ちなみに高3時代の成績は、それほど悪くはなかった。

学年でも50番以内、クラスでも3~4番くらいだったと記憶している。
しかしそれが仇となり、調子に乗りすぎて高望みの学校ばかり受験して浪人することと相成ったわけだ。

受験にすべて失敗し、M先生に報告する。
なまじ成績がよかったので、M先生も少しは期待してくれていたようだった。

「一生懸命勉強したら、合格すると思うよ」

その言葉を胸に、一年間勉強頑張ろうと心に誓ったのだった。



さて、実際の浪人生活はそれほど甘くなかった。

予備校には通わせてもらえず、自宅浪人となった僕。
友人たちは予備校へ毎日通い、周りと切磋琢磨しながら懸命に勉強している。

かたや僕は家で一人っきり。
勉強も手につかずアルバイトばっかりしていた。

そんな体たらくでは、もちろん成績は上がるわけがない。
春の模試では志望校の合格判定はAだったのに、秋にはE判定に。
気付けば偏差値も20くらい下がっており、もはや絶体絶命の状態だった。


そうこうしているうちに月日は流れ、受験が近づく。
出願に必要な書類をもらうため、高校にいかなければならなかった。


「一生懸命勉強したら、合格すると思うよ」


……そういってくれたM先生をふと思い出す。


そうだ、M先生に会えばまた浪人した時のようにフレッシュな気持ちに戻れるかも。
いまから一生懸命にやれば、志望校の某大学に合格してM先生に認めてもらえる。
春にはA判定やったんやし、まだこれから取り返せるはずや。

M先生、ああM先生、M先生。


若干気持ち悪いが当時の僕はそう考え、書類を取りに行くついでに職員室を訪れることにした。

職員室に行くと、遠くにM先生が見える。
声をかけると、半年前と変わらない優しい笑顔で迎えてくれた。



「正直なところ私は、ナガイ君(仮名)だけが某大学に合格できる実力があると思ってるんよ



そういって、ニコニコと大きなおなかをさすっていた。
僕たちの卒業と同時に2人目を妊娠したのだそうな。




M先生。ああM先生。M先生。






僕の名前はナガオ(仮名)です。






そのセリフと、腹の中にグルグルと渦巻く何ともいえない感情をすべて飲み込み、半泣きで家に帰った。



志望校には落ちた。



おしまい。

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