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一番大事なのは「言葉の厳格さ」じゃ!

他人の言葉を咀嚼もしないでそのまま使う人って、気持ち悪くないんだろうか。

中身がスッカスカの言葉を繰り返して、それで一体何になるんだろうか。そんなことしていたら、自分の思考と発言が、内側と外側が、少しずつ確実に乖離していっていまう。

「感謝」とか「正義感」とか、そういう抽象的な言葉でまとめると、そこにあった新鮮さや彩度が、微妙なニュアンスが、一気に失われてしまう。

自分の繊細な感情に、雑にレッテルを貼られたくない。せっかく、素材の味を残して少しの塩で味付けをしたのに、勝手に醤油をかけられたみたいな気分になる。「○○ってことだね。」って、大きな箱に投げ入れて他のガラクタと一緒にまとめて名前を付けられたみたいな気分になる。

人の不幸を、失敗を、トラウマを「ポジティブな面もあるじゃん。」「逆に、いい経験になったんじゃない?」と言う人がすっごく苦手だ。他人の感情や経験、特性に対して、身勝手に肯定的な変換をするのは暴力的すぎる。あなたはこの場で「納得感」を得られて、「あー良いことしたな」なんてスッキリした気持ちで家路につくのかもしれないけれど、こっちは、あなたの今の言葉で妙に硬直しちゃった感情を長い間ずーーーっと抱えて生きていくんだよ、と思う。

タイトルに戻ります。「人生で一番大事にしていることは何ですか?」と、2024年3月18日現在の私に尋ねたら、「言葉の厳格さ」と答えます。私たちは、言葉なしに悩んだり、解決策を思案したり、他人に考えを伝えたりすることができない。言葉をギリギリまで詰めて1つの言葉の範囲を狭くしていくことが、余計な水分を抜いていくことが、思考の精度を高め、世の中の解像度を上げる。糸を引っ張るみたいに自分の感情をほどいて、純度の高い言葉を選ぶことが、伝わる表現を作る。

とまあ、キリキリと抽象的な文章を書き連ねておりますが、自分の中にある感情をもっとそのまま取り出せるようになったらいいなと思うし、相手に残るような言葉を使えるようになりたいな、と思っているということでございます。それで、自分が妙にこだわっているところなので、言葉の範囲がブヨブヨな人には腹が立つということなのです。めんどくさくてごめんなさいね。でも個人の美意識って、こういうものですよね。引き続き、言葉には厳格めにやらせていただきます。でもさ、言葉にこだわりすぎて文章の完成度が落ちているような気がしなくもないんだよな。

【編集後記:こちらは、2024年3月18日に書いたものらしい。なんか偉そうな文章になので放出するかずっと迷ってましたが、どさくさに紛れて出しちゃいます。】

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