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【趣味友】noteで見つけた読書会に行きまくったら気の合う人とたくさん出会えた話

「趣味友」という概念が、ずっと理解できなかった。

趣味が一緒で仲良くなった、という話は何度も聞いたことがあったけれど、認識する限り私のこれまでの人生で「趣味友」がいたことはなかった。なんとなく羨ましく思う一方で「ほんとかよ」という気持ちもあった。これまでの私にとって「趣味の話」というのは「差し障りなく流す話題」であった。天気の話くらいあっさりと、休日の過ごし方くらい適度に。だから「趣味友」なんて、表面的な話しかしなくて「ヨッ友」くらい薄い仲なんだろうなと思っていた。

ちょうど半年ほど前、そんな私が「趣味友」の素晴らしさを実感する出来事があった。

前職の同僚二人とランチを食べに行ったときのこと。その二人とはそれぞれゆるく仲良くしていたが、三人で話すのは初めてだった。二人とも私と会いたいと言ってくれていたので「じゃあせっかくだから一緒に」と三人でご飯を食べることになった。会ってみると当時より二人が仲良くなっている(距離がぐっと縮まっている)のを感じた。

どうやら、二人とも某ジャニーズグループの同じメンバーが好きで、一緒にジャニーズのライブに行ったらしい。そこで「確定ファンサ」を二回も貰ったのだと楽しそうに話していた。確定ファンサとは「多分おそらく絶対に自分たちに向けたファンサのこと」をいうらしい。「3秒見つめて」とか「ピースして」と書かれたキラキラのうちわを掲げていたら、メンバーがその通りのことをしてくれたと、興奮しながらライブを振り返る二人を見て「あ、ほんとに好きなんだな」と思った。注ぎ込んでいる熱量がすごく伝わった。

昔から「アイドルにハマる」という感覚が分からなくて、その「好き」の深さをちょっと甘く見ていた(ひどい話です)。改めて、人が好きだと言うものは、それが「なんの冗談なんだ?」と思ってしまうものだとしても、絶対に否定してはいけないと心に刻む(ひどい話です)。

キャッキャと話す二人を見ながら、こう思った。
「自分の知らない、誰かの『好き』って感情に触れるのって楽しいな」と。そして、
いいなーーーーーーーー、私もその熱量のシェアに参加したい
と。ほんのり疎外感を覚えた。ゥチも、趣味友がほしい!!!

その後、たたみかけるように「好きなことを通じて人と繋がる」経験をイキイキと楽しそうに話す方と出会った。カフェのマスターに教えられてコーヒーを好きになって、趣味のカヌーを通して気の合う人たちと仲良くなったと話していた。

いいなーーーーーーーー、その、人との関わり方、いいなーーーーーーーー!

好きなことを、ただ「好き」と言う人は、それだけで、こんなにも魅力的に見えるのか。その方の「好き」は透明度が高く見えて、そのノイズの少なさの理由を探していたら、なんとなく気が付くことがあった。おそらく「趣味友が薄っぺらいものだ」という偏見は、これまで触れてきた「趣味」や「好きなもの」の純度が低かったからだと。ひいては、自分の『趣味』や『すきなもの』に対するスタンスが斜めすぎたのだと。

そのあたりから、できるだけ純度の高い「好き」を、自分の中からそのまま取り出したような「好き」をたくさん繰り広げていきたいと思い始めた。


それから数カ月が経ち、自分のつんどくを紹介する文章を書きながら「具体的な誰か」を媒介にして読んでいる本が多いことに自分で驚いた。「具体的な誰か」が直接紹介してくれた本もあるし、能動的に「具体的な誰か」の好きを掘り下げてたどり着いた本もあるが、文章には本にまつわる人がたくさん登場した。

これまでの「読書」は自分の中ですっかり完結していて、お母さん以外の人と本の話をすることなんて、ほとんどなかった。

たとえば趣味の話になったとして、こちらが「本が好き」って言うと、なんとなく会話が終わっちゃうことが多かった。「すごいね」って言わせるだけで、そこから会話が広がらないという場面が多かったから、自分から話すことに消極的になっていった。「すごいね」と言われ続けると「好きなだけなんだけどなぁ」と、なんとなく反発心が芽生えて、だんだんと「自分は『すごい』と言われたいから『読んでいる』のか?」と分からなくなっていった。

今覚えば、相手が返しやすい言い方とか言葉選びをしろよ!って話なのかもしれないけれど「上手くいかない」を積み重ねて、どんどん固くなっていってしまった。それに「相手にとっては楽しくないんだろうな」と思いながら自分の話したいことを話すには、自分はちょっと敏感すぎる。

でも数ヶ月前から、ちょっとした積み重ねで読書という趣味の風通しがよくなっていった。同期と好きな作家が一緒で盛り上がるとか、私がインスタのストーリーに載せた本を「買って読んだよ!面白かった!」と言ってもらうとか、そんな些細なことだけど、積み重なっていつの間にか「好き」と言うことが怖くなくなっていった。「あ、別に困らせないんだ」と。

そのうちnoteで書くことを始めて、面白かった本について「面白かったー!」というテンションのまま感想を書いたり、ちょっと勇気を出して他の人のnoteにコメントをしたり、感動を自分の外に出して、他の人とつながってみようと試みはじめた。「分かるーー」と思うのは楽しくて、「分かるーー」と言ってもらうのは嬉しくて、だんだんと「分かるーー」を直接共有したくなっていった。本が好きな人と、本が好きなことをきっかけに仲良くなれたらどんなに楽しいだろう。

noteの検索欄に「読書会」と入力した。

もともとの知り合いと読書会をやるのはなんとなく小っ恥ずかしいなと思って、ネットやSNSで読書会を探し始めたはいいものの、たくさんあってどれが良いとか分からないし、最初はやはりなんとなく怖くて慎重に探した。そんな中、noteである方の「読書会メンバー募集」という記事を見つけて、文章を読んで「あ、この人は大丈夫な人だ」と分かって連絡をした。

さすがにこの時の自分は慧眼だったな〜と思っていて、まずこの読書会がとにかく楽しかった。本を通して他の人の「哲学」とか「人生」に触れられて、日常生活の中でも「あのとき、あんな話をしたな」って、いろんな物事を深めるきっかけになる。そして、その人に連絡しなかった世界線が考えられないくらい、そこから素敵な繋がりがたくさん増えていった。

「読書会が楽しい」ことに気付いた私は、そこから東京の読書会やら本好きが集まりそうな場所を調べ始めた。(ちなみに私はnoteで読書会を探すことが多いです、どんなサイトやSNSよりも民度が高い。)いくつか行ってみた。

そしたら、とにかく楽しい。同じ目線で「面白いよね!」「その本面白そうだね!」と言ってくれる人がいて、好きなことを同じ温度で感じて話してくれる人がいるって、こんなに幸せなことなんだと知った。それで、どんどん世界が広がっていくというか「循環しはじめた」という感覚を持った。

それで「気が合うな」って思える人と出会うたび、自分が鮮やかになっていく感覚があって、「あ、これが趣味友なのか」と知った。

自分は結構本を読んでいる方だと思っていたけど、そんなこと全然重要じゃなくて、自分の感情が動いて、生の感情として「面白いな」「好きだな」って思えて、そこから世界が広がっていく感覚にきっと重心がある


今回は「読書」にフォーカスした文章になったけど「書くこと」も同じだなぁと思っている。noteで仲良くなったり、読書会で仲良くなったり、そんなふうにしてnoteで書いたり読んだりいいねしたりコメントしたりするようになった関係性がとにかく嬉しいです。(これを見てくれているごくわずかなリア友のみんなはもちろん親友です。)

フォローしてくれている、読んでくれているみなさん、いつもありがとうございます…!!そして今日もこんなに長い文章を大変失礼いたしました!!

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