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第2回関係人口インタビュー:水谷世希

食堂「みやこ」が実施する宮古市の関係人口インタビューも、第2回目となりました!

第2回目の関係人口インタビューは、2011年の東日本大震災以降、宮古と関わり続けている水谷世希さんにお話をお伺いしました!

【関係人口インタビューとは】
岩手県宮古市に関わる宮古好きの皆さんに、宮古と関わり続ける理由やきっかけについてお聞きします。インタビューを通じて、多くの人が宮古市に関わることの「楽しさ」や「関わりしろ」を知るきっかけをお伝えしていきます!

今回のインタビューアーは、大学生の時に復興創生インターンで宮古に初めて行ってから宮古の人と街を好きになり、宮古が第2の故郷である、青山がインタビューを行いました。
私自身、宮古の関係人口として前回インタビューを受けているので、ぜひこちらの記事をご覧ください!

第1回関係人口インタビュー記事リンク↓
https://note.com/chiikiokoshi_385/n/nb717b46bb32a

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水谷さん、お久しぶりです!
(実は、水谷さんと私は宮古関連のイベントで何度かお会いしており、お顔見知りなのです!)
改めてになりますが、水谷さんご自身のことについて教えていただけますか?

「お久しぶりです!よろしくお願いします。現在は、松戸に住んでいます。出身は京都で、学生時代を東京で過ごしました。実は、東北には一度も住んだことはありません。仕事はコンサルタントとして、お客様が新しいことを生み出すサポートをしています。宮古に初めて行ったのは、東日本大震災の復興関連の仕事でした。それから10年経ちました。」

宮古とのお付き合いが、もう10年になるのですね!
復興関連のお仕事がきっかけで、宮古に初めて来たと仰っていましたが、なぜ、宮古だったのですか?

「そうですね。震災当時は東京に住んでいたのですが、テレビやニュースを見て、何かしたいと思っていました。最初は、2ヶ月後の5月の連休で東北にボランティアに行こうと思っていたのですが、外部からのボランティアは、受け入れ体制が整っていないから迷惑になってしまうというのを聞きました。それで連休中に行くことはやめて、連休の後の週末に、釜石、気仙沼から陸前高田を回り陸前高田でボランティア活動に参加しました。それからも東北に対して何かできないかと思っていました。そのような時に、仕事で誰か岩手県宮古市に行かないかと声がかかりました。宮古と縁はなかったのですが、東北のために少しでも何かできるのであればと、手を挙げたのが宮古とのお付き合いの始まりでした。」

最初はお仕事がきっかけだったのですね。
初めての宮古での暮らしはどうでした?

「宮古では約3ヶ月暮らしました。朝から晩まで仕事がありましたが、その合間をぬって、市内の飲食店をたくさん巡りました。食べにいくことで少しでもお店の力になることができればと思いまして。何度も食べに行くうちに、お店の店主さんと仲良くなり、10年経った今でも連絡を取り合う人もいます!3ヶ月の生活はあっという間で、宮古にまだ残りたいと思い、残る方法がないかと模索もしました。しかし、仕事の都合で残ることはできませんでした。」

宮古は美味しい飲食店が多いですよね!水谷さんおすすめのお店も気になるのですが、東京に帰ってからの水谷さんの宮古への関わり方について教えて頂きたいです!

「東京に帰ってから、会社の人を集めたツアーを企画し、20人ほどで宮古に行きました。その際には県北バスの方にお願いしてチャーターバスをお借りして、東京から岩手を巡りました。宮古では、市役所で震災当時のお話を聞いたり、田老観光ホテルを見学しました。それからも、東京で開催している宮古のさんま祭りで宮古市役所の方と募金を集めたり、宮古に関するイベントに参加するようにしています。コロナ禍の影響で今は行けてないですが、1年に1回は宮古に遊びに行っていました。」

自ら宮古ツアーを開催されたのですね!私も早く宮古に行きたいです!現在は、このような状況なので実際に宮古に行くことは難しいですが、また行ける状況になったら宮古好きを集めて「宮古ツアー」を一緒に企画しましょう!!最近は、宮古に行けてないとのことですが、やはり宮古不足を感じているのでしょうか?

「いやぁ、宮古に行きたくても行けないのは辛かったですね。ですが、宮古に行きたくても行けない、宮古のために何かしたくても何もできていないと悩んでいる時に『遠恋複業課in宮古』に出会いました!たまたま、SNSで情報が流れて来て、これだとすぐに参加の申し込みをしました。宮古にいなくても、宮古を想いながらプロジェクトとして宮古に関わり続けらるという、コンセプトが非常に魅力的でした。昨年は、宮古市内の酒蔵とマッチングし、首都圏での販促支援をしています。もっともこちらもコロナ禍の影響で緊急事態宣言が出ていたことから自分で飲む支援ばかりですが・・・(笑)」

そうでした!昨年の「遠恋複業課in宮古」のプログラムでお会いしましたね(笑)
「遠恋複業課in宮古」協力隊noteアカウントのリンク
最初に宮古に行ってから10年経つと思うのですが、水谷さんがこれまで宮古に関わり続けているきっかけがあるのでしょうか?

「仕事で宮古に暮らした3ヶ月間が大きいです。あの3ヶ月間は、人生で一番その街(宮古)のことを真剣に考えた期間でした。。それまで自分が住んでいる街のことをあまり考えたことがなかったのですが、初めて街のことを本気で考えました。何かしたいと宮古に行き、考えて行動しましたが、何をやっても届いているかわかりませんでした。だから、やり残した感が残っていて、これからも何かしたい、関わり続けたいと思っています。」

最後の質問になりますが、東北・宮古のために何かしたいという水谷さん自身の思いがきっかけで、最初は宮古に来たとのことですが、これからも宮古に関わり続けたいと思う理由はありますか?

「宮古の人の強くて温かい人柄です!宮古の人と話すと、温かくてほんわかします。ヨソ者である自分でも、受け入れて迎えてくれました。仕事がきっかけで行った宮古ですが、今では第2の故郷となりました。

わかります!!宮古の1番の良さって「人」ですよね!!

水谷さんと宮古トークで熱くなってしまい、予定時間を30分ほど越してしまいました(笑)

水谷さん、これからも宮古好きとして、一緒に宮古を盛り上げて行きましょう!!

本日は、宮古と水谷さんについてお話をして頂き、ありがとうございました!
ぜひ、宮古ツアーを企画しましょう!

(インタビューアー:NPO法人きっかけ食堂 青山詩乃)
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