そんなに懐かしくない、中学2年で14歳だった日々。
主題歌がクリープハイプと聞いて、映画『14歳の栞』を観てきた。SNSでバズっていた広告も「観なきゃ」と思わせる原因の一つだった。
鑑賞後、SNSに転がっている様々な意見を拾い集めてみたけど、その賞賛の多さにびっくりしてしまった。
正直に言うなら「ああ、宣伝が良い映画だったな」と。観賞後の私はSNSで見たような「最高!」「もうずっとドキドキする!」「叫びたくなった!」などの奮い立つ感想は抱かなかった。
冷めているのかな、とも思ったけれど、たぶん理由は別にある。それは私が「塾講師をしている」ということ、そして「過去をずっと思い出している」ということだ。
現在、個別指導の塾で、中学生と高校生に英語と国語を教えている。中学生の国語を初めて受け持った時、とてもびっくりした。なぜならその日の教材は『スーホの白い馬』だったからだ。
私が『スーホの白い馬』を学んだのも、おそらく中学2年つまりは14歳のことだったと記憶している。
時代はどんどん変わっていくし、どこかで聞いた話だが、教科書もずいぶん昨今の文化に寄り添うものになったそう。なのにまだ『スーホの白い馬』を学んでいる。いや、ずっと何年も、何十年も前からそうだった。
これまでも、これからも、私たちは14歳になった暁に『スーホの白い馬』を学び、異国の白い馬のことを考えるのだ。馬の頭がついた、異国の楽器が奏でる音のことも。
塾の講義が始まる前にスマホで忙しなくLINEを返したり、インスタのストーリーズを抜かりなくチェックしたり、確かに、学生と密に関わる文化は変わった。だけどもっと深いところにある根付いた文化、さらに言えば、学校に蔓延る習慣や人間関係で抱える悩みまでは変えられないのだ。
それらはじっとりと、校舎や教育の現場に影を落とす。『スーホの白い馬』や、ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』のように。
時代を超えた共有(いっしょにエーミールの気持ちについて考えることなど)を日々経験している。どうしてポッケで蝶を握り潰したのか、とか、エーミールは嫌なやつなのか、とか、純粋で混じり気のない質問を投げかけられる度に思う。
みんな中学2年で、14歳だったのだと。
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映画の中で「ああ、そうだった」と不意を突かれる場面はいくつかあった。
例えば、机が全て廊下に出された空っぽの教室。そして朝早く来た生徒だけで、それらを元通りにする。あれは恐らく、私たちも何度か経験した「教室のワックス掛け後」ではないだろうか?
ああ、そういえば、そんなことあったな。なんて急に思い出して「ふふふ」という気持ちになった。そうそう、私も早めに登校するタイプだったので、クラス全員の机を元通りにしていたな。こんなことならもっと遅く来ればよかった、とか思ったりしていたことも、思い出した。
あとはバレンタイン。「今だ!今行け!」と友達を道連れに、意中の男子に押し付けるようにしてお菓子を渡す場面。変に懐かしい気持ちになり、私は一体誰に渡したんだっけ…と思いながらも、ああ、そうか、渡した側ではなく、道連れになった側だったと思い出した。
こういう「覚えていそうで全然覚えていないこと」や、同級生と再会しても「絶対に話題に上がらない」小さな日常が転がっていて、それに触れると少しだけ気持ちが緩んだのを感じた。
SNSで絶賛していた人たちはきっと、作品の随所にこの感情を抱けているのだとするなら、それはとても素敵なことだし、羨ましいとも思った。
私は普段から懐かしい気持ちになっている立場なので、「ふふふ」と心が緩む場面は「教室のワックス掛け」なのだ。現在、中学校で教員をされている方はもはや、何にも思わないのかも知れない。どうだろうか、ぜひとも訊いてみたい。
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電車でイマドキっぽい格好をした、幼さの残る女の子を見かけると思ってしまう。私が今、中学2年で14歳だったなら、果たしてクラスに馴染めているのだろうか、と。
今の学生は本当に大変だと思う。ただでさえスクールカーストという見えない階級制度が学校生活には存在するのに、そこにSNSでさえもクラスメートを意識して、常に繋がっていなければならない。
インスタやTwitterの無かったあの頃ですら大変だったのに、放課後も繋がりを求められたら、そしてそこに、ぴかりと光るセンスを求められるのなら、息苦しくてやっていけないかも知れない。
そんな空想もしながら同時に考える。もっと楽しい学校生活を送れたらよかった、と。
あの時もっと、素直に男子と話せていたら。あの時もっと、積極的にクラスメートに関わっていたら。あの時もっと、自分のことを大事にしてあげられたら。
そういう「あの時」の後悔が何度も何度も襲ってくる。不思議なことに大人になって、ある程度は人間関係がうまくいくようになり、自分のことも少しは愛せるようになればなるほど、そう思わずにはいられない。
自分を許し、人を許し、日々を愛することができたなら、人生はもっと明るくて満ち足りた方向に進むんだよ、と教えてあげたい。中学2年で、14歳だった私に。誰にも心を開かずに、ひとりぼっちだった私に。
もう私は中学2年で14歳じゃないのに、あの日々を、過ぎ去った日々をずっと思い出しては後悔している。
まるで懺悔するかのように、常にあの日々を背負って生きている。
あの頃を全力で楽しめていたのなら。自分も人も許して、日々を愛することができていたのなら。過去に対する懺悔のような時間もなく、純粋にケラケラと笑って、懐かしー!とか言っちゃって『14歳の栞』を観ることができたのだろうか。
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つい先日、中学2年の生徒が「好きな先輩に第2ボタンもらえませんでした…」と肩を落としていた。TikTokやインスタで世界と容易く繋がり、たくさんの人からいいねを貰うことができる世の中になっても、好きな人の心臓に最も近いボタンは、そう簡単には手に入らないらしい。
SNSで反響になるのはやはり、誰もがかつて中学2年で、14歳だったからであろう。映画館でチケットを見せると、再生紙のようなペラペラで、白でも茶でも無い、形容し難い色をした一枚の印刷物をもらった。そこには「14歳の栞便り」と書かれていた。
私たちが中学2年で14歳だったあの日、あの教室で配られていたものと同じ学級通信だ。わあ、懐かしい。と思わず口にすると、隣にいた2つ年下の後輩も「懐かしいですね」と言った。
その後ろに並んでいた、私たちよりずっと年上のお兄さんも「懐かしいな」とこぼしていた。みんなどこかで中学2年で、14歳だった。
みんなで同じようにスクリーンの方を向いて、炭酸飲料をプシュッと開ける人がいて、始まるまで隣の人とおしゃべりして、時間ギリギリに慌てて入って来て…と、なんだか教室にいる気持ちになった。上映時間の間だけ、私たちは名前のないクラスメートだった。
共感の数や温度は人それぞれだ。楽しい学校生活を送っていたのなら、同窓会にでも来た気持ちで楽しめるだろうし、苦い学校生活を過ごしたのなら、少しだけ悲しくなってしまうかも知れない。
その人の数だけ中学2年の日々があり、その人の数だけ14歳の景色がある。
覚えていることより、忘れてしまうことの方が多い人生だ。手のひらですくった、かけがえのない日々。大事に胸にしまっておきたい日々。それはいつだって思い出としてそこにあり、いつでも思い出せる。
だけど時々、手のひらから溢れ落ちてしまった方の日々、ワックス掛け後の空っぽの教室など、未来に持っていけない日々とこうして不意に出会えるのは、この上なく幸せなことではないだろうか。
拝啓 14歳の私
大人になるって、そんなに大したことじゃないよ。
2021.03.20 k i i a
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