ちーちゃんのバカ息子(略してちーむす)

50歳を超えたおっさんです。難病持ちで身体障害2級の独身一人暮らしです。何も親孝行をし…

ちーちゃんのバカ息子(略してちーむす)

50歳を超えたおっさんです。難病持ちで身体障害2級の独身一人暮らしです。何も親孝行をしてきませんでした。むしろ心配と迷惑ばかりかけてきた気がします。先日そんな私の母が亡くなりました。たまらなく淋しいです。この気持ちをどうにかしたくてnoteに吐露することにしました。

最近の記事

お母さんと男の子

オレには好きな光景がある。街中で楽しそうにしているお母さんと男の子のツーショットだ。もちろんお父さんと女の子も微笑ましいし、同性の親子連れやファミリーもそれはそれで良いなと思う。 ただお母さんと男の子の組み合わせはちょっと特別な想いが沸き起こる。おそらく過去の自分に重ねるからだろう。 以前住宅街を歩いているとき、1軒の家の前でお母さんと小学校低学年ぐらいの男の子を見かけた。男の子はサッカーボールでリフティングをしている。お母さんは横で見守り応援している。ふつうなら気にも留

    • 母を泣かせたひと言

      もう25年以上の付き合いになる、仲の良い女性の友だちがいる。彼女は礼儀正しく、人柄も良い。しかし彼女からときどき聞かされる、彼女の子どもの話には耳を疑うことがある。 息子と娘がいるのだが、2人ともかなり口が悪い。 母親に向かって、 「うるさい、クソばばあ!」 なんてのは、日常茶飯事。時には、もっと口汚く罵られることもあるらしい。 たしか今息子が専門学校生で娘が高校三年生ぐらい。母親に向かってこうした暴言を未だに吐いているのかはわからないが、わりと最近までそんな話を聞いてい

      • 最初の記憶

        人って一番古い記憶はいつ頃のものなんだろう。オレは過去の体験をきれいさっぱり忘れる能力が他人よりも長けているので、幼い頃の記憶もあまり定かではない。 いま思い出せるものとして最も確実なのは、4歳になって間もない春のこと。たしか姉の小学校入学の日だったと思う。朝から母と姉は2人で出かけて行ってしまった。おそらくそれまでのオレは毎日母の傍にくっついていたのだろう。初めて迎える母のいない1日となった。(と言っても数時間だと思うのだが…) 甘えん坊のオレはたぶん泣いたに違いない。

        • 独身部屋おじさん

          さて、52年にわたる母との思い出話を書いていきますか。と、はりきってnoteを開いたものの…。まぁ、びっくりするぐらい覚えていない。オレの記憶力は人類の平均を相当下回っている自覚がある。 母の件とは関係ないが、友だちとどこかに旅行に行ったりしても、そのことをすぐに忘れてしまう。何年かぶりに、当時一緒に遊びに行った友だちから、あのときどこそこでこんなことあったよなぁ、と言われても全然記憶に残ってないのだ。これがほんとに日常茶飯事で珍しくない。 そんな残念な脳みそだから、実は

          この先なにを書いていこうか問題

          えー、noteにアカウントを作って、母の死とそこから数日間のできごとを10本の記事にしました。 noteというプラットフォーム上で、他の人とどう繋がっていけば良いのかいまいちわかってないのもあって、現時点で誰もフォローせずこちらから何のアクションも起こしていません。にも関わらず、何人かの方にご覧いただき、ただただ嬉しく感謝の気持ちでいっぱいです。 もともと継続して何かを書いていくためにnoteをはじめたのではないので、当初の目的はもう果たしてしまいました。母を亡くした辛さ

          この先なにを書いていこうか問題

          溢れる涙

          6月7日、午後。警察のほうでも指輪の存在はわからないということで、いったんオレの捜索も打ち切りとなった。となると、実家に居てももうやることはない。職探し中のオレは、翌日とある企業の人と会う約束になっていたので、自分のマンションに帰ることにした。 お盆や正月に帰省したオレがまた自分の家に戻るとき、必ず母は庭の門のところまで出てきて、忘れ物はないか、次はいつ帰ってこれるのか、ちゃんとご飯を食べるように、などといろいろ話しかけては、淋しそうにオレを見送ってくれていた。50を超えた

          消えた指輪

          実家に戻ってきて4日目。前日に葬儀を終え、ここからはいろいろな手続き関係を行う番だ。と言っても、そういうのは姉がぜんぶやってくれるらしい。オレもやる気はあるのだが、あまり姉が手を出させてくれない雰囲気なので任せることにした。 その代わり、と言ってはなんだが。今日は1つ大事な任務がある。警察への確認作業だ。目的は母の付けていた指輪探し。 一昨日ぐらいに姉が気付いた。 「あれ、お母さんの指輪がない」 と。 どうやら肌身離さず大切にしていたもののようだ。入浴介助をしていた姉は

          最後のお別れ(2)

          出棺が終わった。Sちゃんはここで散会となる。Sちゃんが葬儀に来てくれたとき、姉は泣いた。こういうとき、親しい人の顔を見ると安心感から涙が出るのだろう。オレは丁寧にSちゃんにお礼を言い、これからも姉をよろしく頼みますとお願いした。 父と姉とオレ、そして叔母家族は火葬場に向かう。外は快晴だった。しかし暑くない。6月上旬とは思えない涼し気な気候。冬でもバッチリな礼服を着ているオレに、母が配慮してくれたのだろうか。 市が運営する火葬場に到着し、いよいよほんとうにお別れのときを迎え

          最後のお別れ(1)

          6月6日10時20分過ぎ、葬儀場に到着。会館の入口を入った正面には、見慣れた母の顔があった。2、3年前に父と姉と母で、フラワーセンターに行ったときに撮影したものらしい。 「若くなったお母さん」の中でも書いたが、母はむかし顔面神経痛を患い、その影響もあってか写真を撮られるのが好きではなかったようだ。遺影にする写真を提供してください、と葬儀屋さんに言われた姉は、直近の写真がないことに困惑して、スマホのフォルダの中を必死で探していた。その中からようやく見つけた、花をバックに佇んで

          バタバタの朝

          相変わらずしっかりと眠れない夜。じっと布団の中で耐えて日曜日の朝を迎えた。葬儀の当日だ。遺族は10時半に会館に来てください、と言われている。簡単な説明のあと11時から食事の予定だ。 食欲もないし、どうせ早めの昼食を取ることになる。わざわざ朝ごはんは食べないだろうと思っていたが、姉はどうやらきっちり朝昼晩と食べる派らしい。長年一緒に暮らしていないので、その辺のルーティンはわからなかったが、お腹が空くまで食べない派のオレは戸惑った。 「えぇ? オレ朝いらないよ」 そう伝えたが

          若くなったお母さん

          母を見送ったあと、父と姉とオレはただ家の中でぼーっとしていた。明日の告別式まで特にすることはない。母の遺体を寝かせていた部屋は、また元の何もない状態に戻っている。 そう言えば、葬儀屋さんが、 「湯灌などが終わった頃にお越しいただければお母さまとお会いできますよ」 と、言っていた。 そのときは、明日最後のお別れをするのだし、と消極的に曖昧な返事をしていたオレと姉だったが。することもなく沈黙の続く居間で、姉が、 「あとでお母さんに会いに行く?」 と聞くと、父は 「うん」 と元

          ありがたいお見送り

          翌日の正午、葬儀屋さんが母を引き取りに来る。告別式はさらにその次の日なので、家族が望めば母はもう一晩実家で過ごすこともできた。しかし我々は、プロに湯灌をしてもらい、母が気持ちよく明日を迎えられるようにしたかった。お気に入りの服も渡して死化粧をしてもらうのだ。 母が住み慣れたこの家からいなくなる。その前に少しでも一緒にいようと11時頃からオレは母の遺体の横に座っていた。別に何をするわけでもない。父もその部屋へやってくる。道路に面した1階の部屋で、とても日当たりが良い。沈んだ男

          眠れぬ夜

          途中からではあるが、葬儀屋さんとの打ち合わせにオレも加わった。姉と葬儀屋さんの間でかなりの部分の話がついていて、この時点でもうあらかた終わっていた。こじんまりとした家族葬。これは家族全員が思っていたことだ。母も生前そのような考えだったはず。大勢の人に見送っていただく、というのは性に合っていない。 そもそも両親はとっくの昔に隠居生活になっていて、家族以外の人とは交流が極めて少ない。姉は少人数の士業の事務所に勤めており、仕事関係で連絡すべき人も限られている。で、オレ。実は現在無

          母との再会

          母が亡くなった…。母が亡くなった…。 なんだかよくわからない。もう高齢だからこういう日が来るのを漠然と考えたりしたことはあった。けど、姉から聞かされた言葉はあまりにも現実味を帯びていない、どこか遠くの世界の話のようだった。 すぐに支度して実家に戻らなければ。そう思ったが、いったん待機しておくように、との姉からの指示だった。母は自宅の浴室でひっそりと一人で亡くなっていたのだ。かけつけた救急隊員から、検視の必要があると告げられたらしい。 検視?なんかテレビドラマでは聞いたこ

          突然の訃報

           令和3年6月4日(金)朝5時54分、電話の着信音で目が覚めた。脳はまだ完全に眠った状態。寝るときは枕元付近に携帯を置いていることが多いものの、定位置が決まっているわけではない。 ぼーっとしたまま、何となく音の鳴っているあたりを手で探る。 「あ、これか。」 片方の手が携帯を捉えた。誰からの電話なのかもろくに確認せず、寝ぼけたままスマホ画面の応答ボタンを押す。聞こえてきたのは父の声だった。 「おぃ、ちーむすか?お母さんが、お母さんが…。」 こんな時間に(と言っても、その段階で