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途中からではあるが、葬儀屋さんとの打ち合わせにオレも加わった。姉と葬儀屋さんの間でかなりの部分の話がついていて、この時点でもうあらかた終わっていた。こじんまりとした家族葬。これは家族全員が思っていたことだ。母も生前そのような考えだったはず。大勢の人に見送っていただく、というのは性に合っていない。

そもそも両親はとっくの昔に隠居生活になっていて、家族以外の人とは交流が極めて少ない。姉は少人数の士業の事務所に勤めており、仕事関係で連絡すべき人も限られている。で、オレ。実は現在無職。転職活動はしているのだが、コロナ禍ということもあって仕事が決まらずにいた。家族には無職になっていることを隠していたが、この機会に言ってしまえ、と思って報告した。

そんな状況なので参列してもらう人もあまりいないし、3人の誰も一般葬をやろうという気力を持ち合わせていなかった。これまで、大きな会館で列席者多数のお通夜や告別式をいくつも見てきたが、喪主の方は相当なエネルギーを使ったんだろうなと思う。いやぁ、頭が下がる。

こうして、告別式までの段取りは確定し、葬儀屋さんは帰っていった。それが何時頃だったのかは覚えていない。そしてその後、何をして過ごしていたのかも記憶にない。

ちなみに通夜は執り行わないこととした。簡略化し過ぎて、傍目には母への愛情がないかのように映るかもしれないが、そんなことはない。父も姉もオレもめちゃくちゃ母を愛している。ただ、我々には我々の事情がある。父も高齢で認知症と思しき症状が出はじめているし、セレモニーを多くすることはしたくなかった。

通夜は省略するも、枕経はおこなう。なので、この日はまだ気を抜けなかった。3人とも食欲はなく晩ご飯も食べたいと思っていなかったが、少しはお腹に入れておく必要がある。たまたま近所の方が、コンビニでおにぎりやサンドウィッチの差し入れをしてくれてたので、それをいただいて、お寺さんが来るのを待った。

夜8時の予定が、10分ほど遅れて僧侶が到着。母の前に父・姉・オレが並んで座る。お経をあげていただき30分ほどで終了。実はこの僧侶、オレの中学時代の同級生。とにかくよく喋るのだが、今日はそんな気分じゃないので、適当に相槌を打って長引かせないようにした。

もう後は、何もする気がしない。早々にみんな寝床につくことに。オレは母の寝室を使うことになった。ベッドには入ったものの、寝れるわけがない。いつまでもiPadでどうでもいいサイトや動画を見ていた。悲しい感情はある。しかしまだ受け入れられないのか?涙は出てこない。ただただ、胸の奥でズドンと重い鉛のような感覚が続いていた。

無理にでも眠ろうと目を瞑り、やはり眠れずに目を開ける。そんなことを繰り返しているうちに、ようやく夜中になって少し眠った。しかし、明け方までそのまま眠り続けることは到底できず、途中なんども目が覚めてはまた浅い眠りに落ちる、そんな一夜を過ごした。

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