見出し画像

親からの愛情不足。


私は、親からの愛情不足はなかったと思っていました。

先日、恋愛依存症とは結局なに?という記事を書いてから
彼と私に当てはまっているところや当てはまっていないところを
一緒にお話ししていました。

やはり、自分の視野だけではまだまだ見えないものが
たくさんあるなぁと感じました。

彼は言ってくれました。


昔は無条件の愛情を感じれていなかったのではないかな。」と。


以下もっと詳しい言葉を載せてみました。(多少違うところはあるかもしれません)

”過保護”だから愛情が足りているのではなくて、
無条件の愛情ではないというか
テストでいい点数とらないととか
お母さまの意にそぐわないと愛情を貰えないというか…
そういうのを感じていたら、
何かを条件に愛情を貰えるということなのであれば、
愛情を貰えていたと感じることが出来なかった可能性があるの…かなぁ

4.6 彼より


私の親はかなり過保護だったため、愛情は足りていたと思っていました。

そして、私が反抗していたのは、親の過干渉から逃げるためだと。


勿論、その理由もあると思います。

しかし、思い返せば確かにあったのです。


反抗期がやってきたのは高校生の頃でした。
ちょうど、兄が専門学校に通うために上京してしまったころです。

私の兄は、暗記能力がとっても高くて、
兄が一つ何かを覚えるとしたら、
私は何百倍も努力しないと覚えられなかったと思います(大げさかもですが)

私は、数学だけは得意でした。
公式さえ覚えてしまえば、あとは応用して解いていくだけだからです。

その他の科目は、殆ど兄よりも時間がかかるため、
よく兄の暗記能力をうらやましく感じていました。


親のいうことをずっと利口に聞く兄。
専門学校も親の選択でした。
どんな資格をとってもらうかも、親の選択でした。

私は、兄のことも見ていたから、よりそう感じたのかもしれません。
私は、親の言いなりにはなりたくないと。
そして、反抗した進路変更。その後も、髪の毛を染めたりピアスを開けたり。
親がされたくないことをたくさんしてきました。


兄は、ずっと利口でした。

兄が上京してからは、毎日夕食を食べたあと、
親は兄と電話をしていました。すごく楽しそうに話していました。
一度の電話で40分以上はお話していたのを今でも覚えています。(自分でもびっくりです。)

中学の時までは兄がいて、兄はいつも面白いお話を家族の中でしてくれるような明るい人でした。
兄の居ない、私と親の2人きりの夕食の時間は、いつも無言でした

そのあと楽しそうに話をする親と兄


確かに、何も無ければ反抗し続ける必要性もなかったと思います。
親の言いなりになりたくないだけであれば、進路変更をするだけでよかったと思います。

それでも、髪の毛を染めたり、ピアスを開けたり、赤点を取ったり。
問題行動を続けていたのは、親からの愛情が欲しかったのかもしれません。


親の言いなりじゃなくても、愛して欲しかったのかもしれません。


自分ひとりで気付くのって本当に難しいですね…。

今回のことにも気づき、その結果、
恋愛依存になりやすくなっていたのかもしれません。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 まだまだ拙い言葉で申し訳ないですが、これからも、 私なりに私の言葉で発信していきたいと思っています❀ スキ!もいつも私のnoteの原動力になっています。 いつもありがとうございます♡