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『食べ物』・『食べられること』に関しての感謝をたくさん考えてみた。


人から聞いた話なのですが、

テニスプレイヤーのジョコビッチ選手は
『食べ物』に『ものすごく感謝』して食べる

のだそうです。

自分の身体の一部になる『食べ物』に
『最大限の感謝』をしながら食べる。


それを聞いたとき、

わたしが普段している『食べ物』への『感謝』より
ジョコビッチ選手の『感謝』はより深いのだろう

と直感的に思いました。


けれど、

それは
どれほどの『感謝』なのだろう?


そこをより深く掘り下げて、
『食べ物』・『食べられること』に関しての『感謝』を
たくさん考えてみました。


1.『食べ物』・『食べられること』に関しての『感謝』


もっと思いつく方もおられるかもしれませんが、
わたしは以下の7つを思いつきました。

(1)『食べられる』環境に『ある』こと

 
そもそも、
『食べられる環境』に『ある』こと自体、
『感謝』
だな、
と思いました。

日本は
災害が発生している地域はあるにしても、
戦争をしているわけでもないので、

常に
安心して『食べられる環境』に『あり』
ます。


身を隠す必要もなく、
安全な場所を探す必要もなく、

正々堂々と、
いつでもどこでも(社会的ルールは別にしても)
自由に『食べられる環境』に『ある』
のです。

それは意外に忘れがちですが、
ものすごく恵まれていることではないでしょうか。


(2)『食べ物』が『ある』こと


今、
様々なものが値上がりしています。

ですが、

値段が上がったにしても
お店にいけば『食べ物』が『あり』ます。

生産者の方々も
毎日一生懸命『食べ物』を作って、

運送会社の方々も
毎日きちんと『食べ物』を運んで
くださいます。


輸入もストップしていないので、
海外のものも手に入れることができます。

しかし、

戦争なり、天災地変なり、
予期せぬことが起きて、

『食べ物』自体が手に入らなくなる可能性もない
とはいえません。


そう考えると、

『食べ物』が『ある』こと自体が
とても『感謝』できること
ではない

でしょうか。


(3)『食べ物』を買うお金が『ある』こと


目の前の『食べ物』は、
それと交換できるお金が『ある』ことで、
わたしたちの手に入ります。


『お金』がもっとあれば……と
思うことはあるかもしれませんが、

今日、
お腹を満たすための『食べ物』を買うお金が『ある』こと。

それも、
充分『感謝』できることではない
でしょうか。


(4)『食べられる身体』が『ある』こと


『食べ物』が『あり』、
『食べ物』を買うお金が『あっ』たとしても、

『食べ物』を『食べられ身体』が『ある』からこそ、
『食べること』ができます。


だからこそ、
『食べられる身体』が『ある』こと。

それにも
『感謝』できることではない
でしょうか。


(5)『食べられる身体』が健康で『ある』こと


『食べられる身体』が『あっ』たとしても、
その『身体』が健康で『ある』からこそ、
『食べられる』のだと思います。


もし、
『身体』が健康で『な』ければ、
『食べ物』が『あっ』たとしても、
食べることができません。


そう考えれば、

『食べられる身体』が健康で『ある』ことは
『感謝』できること

と思うのです。


(6)食べようとする心が『ある』こと


経験したから言えることなのですが、

『身体』自体が健康でも、
心が元気で食べようとする意欲がなければ

『食べ物』が『あっ』ても、
食べることができません。


心が病気だと、
本当に食欲がなくなって『食べ物』を受け付けない
のです。


だからこそ、

食べようとする心が『ある』ことは
とても大切で『感謝』できること
だな、

と感じます。


(7)『食べ物』に対しての選択権が『ある』こと


『食べ物』が豊富にある日本にいると、
忘れてしまいそうになるのですが、


『今日はこれを食べよう!』という、

『食べ物』に対しての選択権が『ある』こと。


それは
とても恵まれていることだ
と思うのです。


好き・嫌いに関係なく、
美味しい・不味いに関わりなく、

生きるために
目の前の『食べ物』を食べなければならない状況にある人たちが
います

衛生的でない水を
水分補給として飲まなければならない。

どんなに美味しくもないものでも、
生きるために食べなければならない。

そういう人もいるのだ、
ということは

意識しないと忘れてしまうことだ
と思います。

だからこそ、

食べたいなと思う『食べ物』を選ぶことができること。

『食べ物』に対しての選択権が『ある』ことは
『感謝』できること

と思います。


2.まとめという名の結び


『食べ物』・『食べられること』に関しての『感謝』
思いつく限り並べてみました。

いろいろ考えてみて思うのは、

たくさんの、恵まれた『ある』が重なって、
わたしたちは『食べ物』を『食べられる』
のだな、

ということです。


そう考えると、

『いただきます』と
習慣のようにあっさりと言うのではなく、

たくさんの『ある』の積み重ねで
やってきた『食べ物』の魂を

『いただく』ことに『感謝』しながら
『食べられ』たらいいな、

と思いました。


あまり力を入れる必要はない
のでしょうが、

忘れがちな
この『感謝』を毎回思い出しながら食事をしよう
と思った今日この頃でした^ ^

結びに、

あなたの心が
ゆるゆるとゆるまっていきますように……。

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