音楽ニュース、訃報:指揮者シュテファン・ショルテス、オペラ指揮中に倒れ、逝去

指揮者シュテファン・ショルテスが昨晩7月22日、ミュンヘンのバイエルン州立オペラでR.シュトラウス作曲《無口な女》指揮中に突然倒れ、運ばれた病院で息をひきとりました。73歳でした。

私の知人がちょうどこの公演を観ており、電話がかかってきました。

公演が始まって1時間くらい経った時、突然止まり、平土間1列目の観客とロージェにいた人(これまでも何度か写真を出していますが、ロージェはオーケストラ・ピットの左右上部にあります。また公演中に何か起きた場合に備えて、劇場トップの誰かが常にいなければなりません)が総立ちになり、「お医者様を!救急車を!」と声が聞こえたそうです(彼は平土間8列目にいたそうです)。

ロージェの写真と意味については以前の記事→


休憩が前倒しになり、再び客席に戻ると「マエストロが倒れて、病院に運ばれました。代役もいないので、今日の公演はこれで終わりです」というアナウンスがあったそうです。もちろんその時点では、病状のことも不明でした。

その後、病院で逝去の発表がありました。

ちなみに指揮中に突然倒れて、その後死亡した有名指揮者はこれまでも3人います。
・フェリックス・モットル
 1911年、享年54歳。ミュンヘン《トリスタンとイゾルデ》指揮中
・ヨーゼフ・カイルベルト
 1968年、享年60歳。ミュンヘン《トリスタンとイゾルデ》指揮中
・ジュゼッペ・シノーポリ
 2001年、享年54歳。ベルリン・ドイツ・オペラ《アイーダ》指揮中

ショルテスは世界中をかけめぐる、いわゆる日本でもよく知られるようなジェット・セット・コンダクターではありませんが、ヨーロッパのクラシック音楽界で重要なポジションを占める指揮者です。

ショルテスは1949年ハンガリー生まれ、7歳の時にウィーン少年合唱団に入団しました。
スワロフスキに指揮を学び、ベーム、ドホナーニ、カラヤンなどのアシスタントを務めました。テアター・アン・デア・ウィーンで指揮のキャリアを始め、グラーツ・オペラ、ウィーン国立オペラ、ザルツブルク・フェスティヴァルをはじめさまざまなオペラやオーケストラでキャリアを積みました。

最も大きな功績は1997年から2013年まで支配人と音楽総監督を務めたエッセン・アールト・ムジークテアターでの仕事でしょう。
90年代からコンヴィチュニー、ノイエンフェルツ、ヘアハイム、コスキーなどの優秀な演出家を招き、ムジークテアターとしての同オペラの方向性と美学を築き、確固たるものとしました。
今でもショルテスが指揮した、コンヴィチュニー演出R.シュトラウス《ダフネ》、ノイエンフェルツ演出ワーグナー《タンホイザー》、ヘアハイム演出モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》、コスキー演出ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》は忘れられない制作になっています。
特にコスキーとの《トリスタンとイゾルデ》は私がこれまでに観た30以上のプロダクションで、ナンバーワンに位置します。

世界的な権威あるオペラ専門誌『オーパンヴェルト』の年鑑では批評家にアンケートをとり、「年間最優秀」を発表します。
エッセンは2008年に「最優秀オペラハウス」、そして2003年と2008年には「最優秀オペラオーケストラ」に選出されています。

一方、リハーサルは厳しく、オーケストラ団員に好かれたタイプではありません。リハーサルでの分奏も厭わないからです。
しかしショルテスは「弾けないから、分奏の必要があるんだ。大変なのはオーケストラ団員ではなく、この僕なんだよ」と言っていたこともあります。

またヘビー・スモーカーでもありました。歌手にピアノ稽古をつける時でもタバコを離さず、以前、ある歌手から聞いたのですが、「マエストロ、タバコで歌えません」と言ったところ、ニヤリと笑い、「そんなことを言ったのはあなたが初めてだ」と言ってタバコを消し、良い稽古ができたそうです。「難しいマエストロだと聞いていたけど、率直さが良かったのかも」というのはその歌手の弁です。

また、劇場のことを知り尽くしており、裏方の苦労もよく理解していました。「ステージ準備にかかる時間は4時間以内」と演出家や装置家にも厳しく伝えていました。

ある劇場で、演出が複雑すぎ、予定されていた指揮者が二人も直前に降りてしまったことがあります。しかもレアな作品なので、振れる指揮者はそう簡単に見つかりません。
そこに急遽飛び込んだのがショルテスです。しかもHPOからです。

HPOというのは「Hauptprobe mit Orchester」の略で「オーケストラ付きのメイン・リハーサル」です。プレミエ前のGP(Generalprobe、総稽古)のひとつ前で、相当に稽古を重ねていても、さまざまな問題が噴出します。

私はこの時のHPOを見たのですが、劇場全体がひどく神経質になっており、余所者は入れないということだったのですが、特別に客席後方から見せてもらいました。
リハーサルは5時間ほど続き、ショルテスの仕事はまだまだ続きそうだったので、邪魔をしないよう帰ったことがあります。

個人的な思い出ですが、一緒に食事をした時に《トリスタンとイゾルデ》の話になり、あるモチーフを私が(大胆にも)マエストロの前で口ずさんで話をしたことがあります。マエストロはその後黙ってしまったので、「どうしよう」と思ったら、「あなた、良い声してるね〜歌手になること考えなかった?」と言われました。「今からでもできますか?私のキャリア作りを助けていただけますか?」と言ったら、笑われてしまいました。

マエストロが最後に指揮していた《無口な女》の最後、主人公のモロズスはこう独り言を言います(テキストはナチスから逃れた南米で自殺したシュテファン・ツヴァイク)。

「音楽はなんて美しいんだ。しかし音楽は過ぎ去ってからが美しい」

マエストロ・ショルテスはここまで至らずに意識を失いました。


マエストロがいなくなって、またひとつ穴が空いた気がします。
人生に大きな実りをもたらしてくれたマエストロ・ショルテスに心から感謝し、ご冥福を祈りたいと思います。

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