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Oper Dortmund 20.05.23 オペラの記録:ドルトムント・オペラ、ワーグナー《ジークフリート》新制作初日(5月20日)

5月20日、ドルトムント・オペラの新制作ワーグナー《ニーベルングの指環》第二夜《ジークフリート》のプレミエを観ました。
同オペラは昨年から《ニーベルングの指環》の新制作をしています。
通常の順番と違って、まず《ワルキューレ》から始め、今年は《ジークフリート》、来年は《ラインの黄金》、そして25年に《神々の黄昏》で完結します。

演出は全てペーター・コンヴィチュニー。

プログラム。

ところが満員ではありません。
以前(と言っても2006年頃まで)はコンヴィチュニー演出のプレミエはチケット入手がとても困難でした。
今はまだコロナ禍の影響があるのかもしれません。

しかしプレミエには多くのオペラ関係者が詰めかけていました。

1回目の休憩時のシャンパン・パーティーの招待状をもらったのでそちらに行ったところ、批評家はジャーナリスト、他劇場のインテンダントなど、多くの人たちがいました。

《ジークフリート》の演出ですが、さすが大演出家の仕事です。特に第2幕。
第2幕の幕が閉まる前から大ブラボーです。

終了後、同オペラ音楽総監督ガブリエル・フェルツがオーケストラと共にステージに現れて大喝采を浴びています。

カーテンコールでの歌手たち。
《ジークフリート》を知っている人なら、この写真だけで誰がどの役かわかるでしょう。
一応説明しますと、右から森の小鳥、エルダ、さすらい人、ブリュンヒルデ、ホルン奏者、ジークフリート、ミーメ、アルベリヒ、ファフナー、熊(これは遊び)。

ちなみに「どんな演出が良い演出ですか?」とよく訊かれるのですが、「まず、誰がどの役かわかること」と答えます。これは基本中の基本ですが、意外と難しいことも多いのです。

今回の演出が通常の演出と大きく違うところの一つは、第2幕で本物のホルン奏者(オーケストラのメンバー)がステージに登場して演奏することです。
ホルンは大変重要なのですが、コンヴィチュニーはホルンをピットで演奏させず、ステージに出して可視化しました。

以前から思っていたのですが・・・
スター歌手のクラウス・フローリアン・フォークトは歌手になる前、ハンブルクのオペラのオーケストラのホルン奏者でした。
彼がジークフリートを歌ったら、第2幕で本当にホルンを吹いてくれたらいいのに・・・と。

また、フランクフルト・オペラの音楽総監督で読売日本交響楽団のシェフであるセバスティアン・ヴァイグレはベルリン州立オペラのホルン奏者でした。
彼がこの場面で指揮台からホルンを吹いてくれたらウケるのに・・・と。

話を戻しますと、この日、ステージでホルンを演奏したヤン・ゴレビオフスキ、彼は演技も達者で観客の大きな拍手を浴びていましたが、実際は緊張していて、夜もおちおち眠れなかったそうです。

そして第3幕、ステージの両脇にハープ3台ずつ、合計6人のハープが置かれました。
ハープはブリュンヒルデの目覚めとそれに続くシーンで重要な音楽的役割を果たすのですが、それをここまで可視化した演出はまだ観たことがありません。

ステージに出た演出チーム。左から2人目がコンヴィチュニー、その右側に美術と衣裳を手がけたヨハネス・ライアッカー。

終演後のプレミエ・パーティー。

FOTO: ©️Kishi


以下はプログラムの中の写真です。

これが第2幕。

同じく第2幕。
ジークフリートが殺したファフナーの指環を奪い合うアルベリヒとミーメ。
でも肝心の指環はジークフリートの左手に(これが客席からもよく見えるんです)。
しかし、ジークフリートは2人がなぜ争うのかよくわかっていない、というのがこの表情と立ち位置からもわかります。
ファフナーの召使いをさせられていた森の小鳥は今やジークフリートに仕えます。

女性を知らず、女性を求めていたジークフリートが初めて女性(ブリュンヒルデ)に接した時の驚きの表情・・・


ところで、コンヴィチュニーは今や日本でもよく知られています。
こんな本も出版されています。

私の原稿はこの本の中で、『エッセイ』という形で寄稿しています。

編集の山崎太郎氏が『編集後記』でこのように書いてくださいました。

私は90年代から彼の仕事を見ていたのですが、日本のオペラ関係者からは(なぜか)さんざん抗議を受けていました。
2002年には人前で「コンヴィチュニーのどこがいいんですか!ただのスキャンダル演出家じゃないですか!」と(なぜか)怒鳴られたこともよく覚えています。
でも「コンヴィチュニー演出の何をご覧になりましたか?」と訊くと答えられない。そういう人たちのほとんどが実は彼の仕事を見ていなかったのです。

しかし2006年には大転換がおとずれました。コンヴィチュニーは日本でも(なぜか)賞賛されるようになったのです。一方、その頃からドイツであまり注目されなくなったのは残念ですが・・・。

その後、日本では多くの方が「コンヴィチュニー専門家」となりました。

コンヴィチュニーの仕事が日本でも認められてよかったと思いますし、いろいろな方がいろいろな見方で議論できるようになったのはよかったと思います。

なにより、私個人としては、四半世紀以上前に、偏見も先入観もなく、自分自身の目と耳と頭と心で彼の仕事の素晴らしさを確信し、紹介し、さらにその仕事を四半世紀以上にわたって見ることができたのは人生の大きな贈り物だと思っています。

さて、コンヴィチュニーは2000年、シュトゥットガルト・オペラで《神々の黄昏》を演出しています。最も脂の乗り切った、そして優秀なスタッフにも恵まれていた時でした。
何より、当時ぶっちぎりのオペラハウスだったシュトゥットガルトでの新制作でした。
この時の《神々の黄昏》が〈最優秀オペラ上演〉、シュトゥットガルト・オペラは〈最優秀オペラハウス〉、シュトゥットガルト・オペラ合唱団が〈最優秀オペラ合唱団〉、コンヴィチュニーが〈最優秀オペラ演出家〉、主役のブリュンヒルデを歌ったルアナ・デヴォルが〈最優秀歌手〉に選ばれたことを見ても、この時の成功がわかると思います。

さて、ドルトムントの《ニーベルングの指環》が完結する年はコンヴィチュニーも80歳。
ドルトムント・オペラは今、大変注目されているオペラ・アンサンブルです。
来年、再来年とどのような《指環》になるのか楽しみです。


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