小説:捨て猫だった僕らの幸せ
初めて着た浴衣は思っていたより窮屈で歩きにくかった。お母さんがはりきりすぎて帯を強く締めすぎたせいだ。
ちゃんときついと言えればよかったんだけど、鏡に映る自分の浴衣姿がとにかく恥ずかしくてそれどころではなかった。
可愛いとか可愛くないとかではなく(もちろん自分が可愛いとは思ってないけど)、普段の自分とかけ離れている自分を見るのに耐えれなかった。
家を出て神社に行く途中の道で、だんだん冷静さを取り戻してきてそのことに気づいた。まぁでも我慢できないほどではないから、このままにするけど。
今まで生きてきて一度も浴衣を着たことがないのかと言われればきっとそんなことはないのだろうけど、少なくともあたしの記憶にはないから今日が初めてだということにした。
あたしがまだ小さくて、まだお父さんがいた頃には浴衣を着てお祭りに行ったこともあるのかもしれない。着付けの時にお母さんは何も言わなかったから、やっぱりそんなことはなかったのかもしれないけど。
「フツーの服にしとけばよかったかな」
思い切って浴衣なんて着なくてもいつもみたいにTシャツにジーパンにサンダル……は、ないにしてもこないだデートしたときみたいにちょっとお洒落するぐらいでよかったんじゃないか、という考えが頭をよぎる。だけどいやいや違うんだと打ち消す。
今日は花火大会だ。しかも生まれて初めて彼氏と行く花火大会だ。
浴衣を着てミケと一緒に歩きたかった。お母さんに浴衣を着て行きたいと言うのは死ぬほど緊張したけど「いいわよ」とだけ言ってそれ以上は何も聞いてこなかった。
神社の鳥居のところでミケと待ち合わせた。
あたしの方が先に着いたみたいで、ラインに連絡を入れてぼうっとあたりを見ていた。ここはこの街で一番大きな神社だ。毎年、花火大会に合わせて境内で縁日をやっている。
「ごめんごめん」
すぐにミケが来た。今日は丸い眼鏡に黒い甚平を着ていた。
大きな猫の耳と尻尾も出したままだったから昔話に出てくるキャラみたいになっている。
「ううん。あたしも今来たとこだから」
そう言うと、ミケは目を細めてじいっとこっちを見てることに気づく。
わざとらしく大きく瞬きしたり、メガネを外して目を細めたりしてあたしを見る。
「あんまりじっと見られると恥ずかしんだけど」
「ごめんごめん、めちゃめちゃ可愛かったからついつい見惚れちゃってさ」とミケは言った。
そうして「タマ、浴衣すごく似合ってる。可愛い」と言葉を繋ぐ。
本当はそれがすごく嬉しかった。
そう言ってほしくて浴衣を着てきた。だけどあたしは「いいよべつに。いちいち気とか遣わなくてさ」と素っ気なく返してしまう。
あぁやってしまった。素直にありがとうって言えばいいのに。
「そんなわけないじゃん。タマ、すごく可愛い」
ミケはあたしの目を真っ直ぐ見て言った。
それがミケの本心であることはわかっている。あたしはミケのそういう素直なところに惹かれて、彼を好きになった。
「ミケも甚平、似合ってるよ」
あたしがそう言うと、ミケはへへっと笑って頭を掻いた。
縁日では焼きそばを食べて、綿あめを買って、スーパーボールと金魚をすくって、かき氷を食べた。
ミケはかき氷を一気に食べるという暴挙に出て頭がキーンとなって苦しんでいた。
「出た。アイスクリーム頭痛。一度にたくさん食べるからだって」
頭を押さえるミケを見てあたしはくすくす笑った。
「食べたのかき氷なんだけど?」
「そういうことじゃなくて、そういう冷たい物を一気にたくさん食べて頭がキーンってなるのをそう言うの」
「へぇ、そうなんだ」
何かの本で読んだことがある。
メカニズムは諸説あるそうだけど、脳が冷たさを痛みと勘違いしたり、血管が膨張したりすることで頭痛が起こるらしい。
ちなみにミケは他にもお好み焼きとベビーカステラも食べている。
人間の世界の食べ物を堂々とお腹いっぱい食べたいというのがミケが猫から人間になりたかった理由の一つだ。
ミケは体が小さいのによく食べる。だけど一向に背が伸びないことをよく嘆いている。あたしの方が背が高いのでそのことも気にしているみたいだ。
「これじゃ並んだ時に見栄えが……」とか「姉弟だと思われてるかもしれない」とか、そんなことをよく言っている。「大丈夫だよ。いまは多様性の時代だから」と冗談めかして言うと「そういうことじゃなくない!?」とムッとした顔でこっちを見る。
「あたしは全然気にしてないけど」と言うと「……ならいいけど」ふてくされながらも、一応は納得はしたようだった。
神社の境内を歩く。
石畳の大きな通りはたくさんの人でごった返していた。ミケを見失わないようにして後を付いていく。ミケは耳や尻尾がある分、他の人よりわかりやすいのでそれを目印に進んで行く。
この耳と尻尾は周りの人には見えていない。見えている人がもしいたらそれはこちらの事情を知っているということになる。
ミケは今はもうほとんど人間だけど、元々は猫だ。
去年の春、塾帰りの夜の公園でミケと出会って話すようになった。
その時あたしは家のごたごたがあって、ミケは人間になるために仕事をしている最中だった。それから少ししてあたしは家のことが落ち着いて、ミケは人間の世界で暮らせるようになれていた。
その時もうあたしはミケのことが好きで、ミケもあたしのことをそう思ってくれていたみたいで、付き合うようになった。
今は一緒に学校にも通えている。とはいえ今は受験生なのでデートといっても図書館で勉強するぐらいで、絵にかいたような青春とは程遠いのだけれど。だから今日の花火大会を楽しみにしていた。
ミケによると『動物が人間になる』というのはまぁまぁよくあることなのだという。あたしも詳しくは知らないのだけれど、ざっくりいうと人を助けてポイントを貯めれば人間になれるという制度があるらしい。環境破壊や戦争など、色んな人間の都合によって生態系を追われる動物側の立場に配慮して神様とか仏さまとかが集まって作った制度なのだという。
動物が人間になりたい理由としては「人間に助けられたからその恩返しをしたい」とか「虐待されて命からがら逃げだした。人間になってそいつに復讐する」とか、泣ける理由からおぞましいものまで理由は様々あるようだ。
ミケは学校のことや友達のことで悩んでいる人の相談に乗る仕事をしていて、あたしの話し相手にもなってくれた。人間になってからは耳や尻尾みたいな動物の身体的特徴はそこの経緯を知っている人にしか見えないのだそうだ。
そんなふうに昔のことを考えていると、だんだん胸のあたりが苦しくなってきた。きっとさっきご飯を食べすぎたせいだ。また浴衣で歩くのがしんどくなってきてしまった。だんだんと、歩くペースが遅くなる。
「ちょっと待って」と先を行くミケに言おうとすると、たくさんの人が波のように行き来していてミケの姿が見えなくなってしまった。「ミケ」と呼んでみるけれど、周りの人の声やどこかで鳴っている楽器の音が大きくてあたしの小さな声は搔き消されてしまう。
まずい、はぐれてしまった。
とりあえず耳と尻尾を目印にあたりを探す。
ただ立ち止まってまわりを見ようにも前からも後ろからも人が動いていて、流れに沿って歩くのが精一杯だった。
ふと、すれ違った人の頭に猫耳のようなものが見えた。振り返ると、それは夢の国で売っているような耳のついたカチューシャだった。
見間違いに気づいて元の方向に体を返した時、前から来た男の人とぶつかってバランスを崩してしまった。「わっ!」と思わず声を上げた時、誰かが体を受け止めてくれた。ミケだった。
あたしとぶつかった男の人は怒鳴りはしなかったけれど何か言いたげな表情でこちらを睨んでいるように思えた。
何て言ったらいいか考えている間にミケが「すみません、怪我はありませんか?」と聞いて頭を下げた。「ちゃんと前見て歩いてよ」とだけ言って人の波に消えていった。
ミケはあたしの手を引いて歩く。
人の流れから抜けて近くベンチに座った。
「本当にごめん、大丈夫だった?」
「大丈夫だよ、ありがとう。こっちこそごめんね。昔のこと考えててぼけっとしちゃってた」
スマホで見つけた帯がきつくなったときの対処を試して楽になったところだ。持っていたペットボトルの水を飲んだ。
「昔のこと?」
「うん。ミケと出会った時のこととか、付き合ったときのこととか」
「そうなんだ。そういえばもうすぐ付き合って1年になるね」
「そうだね。なんかあっという間」
「次、このお祭りやってる時には中学も卒業してるし」
「高校行けるかな」
「タマは頭いいから大丈夫でしょ」
「ミケも大丈夫なんじゃないの?」
「うん。たぶん大丈夫……だと思う」
志望校は同じところだ。来年の春に二人して高校生になれてるといい。
「そろそろ行こうか。もうはぐれないようにするから」
そこからはミケと手を繋いで歩いた。
確かにミケは体が小さいけれど、手はがっちりしていてやっぱり男の子なんだなと思う。
出会った時はミケと喋ることが楽しくて、何でも話せる友達ができたと思っていた。それがいつからか、一人でいる時もぼうっとミケのことを考えるようになって、一緒にいる時の楽しさよりも、いないときの寂しさの方が大きくなるようになった。
「そうか。タマはその男の子のことが好きなんだね」
友達にそう言われてハッとなった。どうやらこの気持ちの正体が恋らしい。
小説や漫画の世界のものだと思っていたものが、自分の中にもあったことにびっくりした。
ただそれはキラキラした喜びとドキドキする苦しさが、洗濯機みたいにぐるぐるかき回されてあまり気持ちいいものじゃなかった。
次会った時に連絡先を聞こうと思っていたけど、変な風に思われたら嫌だなという考えが勝って聞けなかった。
それでもその日からずっとミケに会いたいと思う気持ちは強くなって、他のことが手に付かない自分が嫌になった。
あたしのことなんて好きになってもらえるわけないから、こんな気持ちなんてなくなればいいと思っていた。
だから、両想いになれたときはそれまでの自分の人生の中で一番幸せだと思った。
自分の好きになった男の子が自分のことを同じように好きになってくれたというのが、今でもたまに信じられない。両想い。恋人同士。そういうのは自分とはずっと関わりのない世界のことだと思っていた。
一緒にいる時は「楽しい」という言葉では表せないくらい幸せな気持ちで満たされたけど、会えない時の寂しさは片思いの時より大きくなった気がする。
ミケのわかりやすいところがあたしは好きだ。誕生日プレゼントやバレンタインは小さい子供みたいに喜ぶし、「好き」とか「可愛い」とかそういう気持ちもよく伝えてくれる。あたしはやっぱり素っ気ない態度で返してしまってミケに嫌われてないか心配になる時がある。
「ねぇ、ミケ」
あたしがそう言うと「ん?」と言って立ち止まる。
「あたしもちゃんとミケのこと好きだから」
「うん、知ってるよ。タマ、気づいてないかもしれないけど結構顔に出てるからね」
「え、そうなの?」
「うん。おれのこと好きなんだなーってすごいわかる」
ふふん、と得意げにそういう。
「う、うそ?本当に?」
初めて言われたよそんなこと。
表情が乏しくて何考えてるかわからないとさえ言われたことがあることあたしが顔に出てるだなんて。恥ずかしすぎてそれ以上言葉がでない。
「それにちゃんと話してくれてる」
「え?」
「おれの背のこととか、落ち込んでる時とか励ましてくれてる」
あたしは自分がちゃんとそういうことを伝えられていることが嬉しかった。
「でもちゃんと、タマに好きって言ってもらえて嬉しい」
あたしも自分の好きって気持ちでミケが喜んでくれて嬉しいよ。
花火が始まる前によく見える丘の上まで歩いた。
そこそこ人が集まっていたけれど、二人が座れるぐらいの場所はあった。
間もなくして花火が始まった。大きな音が聞こえたと思ったら、ぱっと何色もの光が夜空を彩る。
それから何発もの花火があがって、さっきまで真っ暗だった空が昼間のように明るくなる。視界が一気に開けた。ミケも空をぼうっと見つめている。
もう何年もここの花火を見たけどこんなに綺麗だと感じるのはきっと一緒に見てくれる人がいるからだ。
ふと、ミケの手があたしの手の上にそっと触れた。また大きな音が鳴って花火が開くと、ミケは空ではなくあたしを見つめていた。
好きな人に見つめられると、心の奥が熱くなる。
そうして、ゆっくりとミケの顔が近づいてくるのがわかった。
周りにはたくさん人がいたから、ひょっとするとクラスの誰かに見られているかもしれない。それはさすがにちょっと恥ずかしいなと思ったけど、まあいいや。ミケを愛おしいと思うことほど、あたしの中で自信があることなんてないんだから。
あたしは自然と目を閉じる。次の瞬間、唇にやわらかいものが触れた。
それがどれくらいの時間だったかはよく覚えていない。
一瞬のような永遠のような時間だった。
その感触がなくなってからゆっくり目を開いた。
「タマのことが好き」
ミケがそう言った。
「あたしもミケのことが大好き」
今度はちゃんと素直に一番大事な言葉を言えた。
去年、Pixivで公開したミケタマの短編小説です。こないだ文フリでも出したものになります。ちょうど全国各地で花火大会が行われている時期だったので、noteでも公開しようと思いました。
一応、三毛猫ランプの後をイメージして書いたものではあるのですが、細かい設定が違っているのですがご容赦くださいー。
読んでくださってありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?