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音楽と私:2

 すっかり音楽好きを自称するようになり高校に入学。軽音楽部の代わりにアコースティックギター部がある学校だった。入部してから、初心者セットのギターで練習したが続かなかった。さほど活動的な部でなかったこともあり、1年ほどで退部した。文化祭では、前日の後夜祭でのみバンド演奏が許されていた。学校外で活動していた人らと友達になり、後夜祭のためだけのバンドに入った。そこには歌の上手い人がいて、私はボーカルをほとんどやらせてもらえなかった。この頃もまだ「歌が好き!」だけの気持ちで音楽と向き合っていた。悔しい。けど仕方ない。だって私は上手くない。当たり前だ。電子ピアノやエレキベースを親のお金で買ってもらって、何とか好きになろうと練習した。でもやっぱり、社会人になってからも続けた楽器はひとつもない。

 じゃあ別の場所で歌おう。切り替えの早さだけは私の変わらない長所だと思っている。(飽き性の裏返しだけれど。)先述した児童館で、月に1度だけ無料でボイスレッスンを受けられた。生徒は私を含めて2~3人。その、月に1度の“歌が上手くなるチャンス“を私はほとんど活かせなかった。発声の基礎から教えてもらったが、褒められることもなく、楽しむことができなかった。次第に遅刻をするようになり、先生を1時間以上ひとりで待たせたこともあった。今思い返すと、当時先生は旦那さんと幼いお子さんを児童館で待たせて、先生をしてくれていた。申し訳なさすぎる。もう一度会えるのなら全力で謝罪したい。子供を預けて自分の時間をつくることが大変なことだと、今の私のように知っていたら、遅刻の時間と回数は大幅に減っていた。かもしれない。

 その頃、誰かの紹介だったか、ギター教室を営む方と知り合って、生徒でもないのに発表会に出て歌わせてもらう機会があった。公共施設のホールで、観客は出演者の身内がぽつぽつと。正直そのステージで高揚感や快感を得た記憶はない。当たり前だ。本来は1年間積み重ねた練習の成果を発表する場に、人数合わせで呼ばれたようなものだったのだから。それでも私は、かけがえのない経験になると信じて、年に1度、1万円払って何度か参加した。ギターを弾ける友達を誘って参加したこともあったが、ソロボーカリストとして出演することが多かった。その際、主催の方々にバックバンドについてもらっていた。ある本番数日前、スタジオ練習のときに私は弱音を吐いた。そのとき、ベース担当の男性に言われた言葉が心に残っている。
「大丈夫、後悔は終わってからするもんだ。」
一向に歌が上手くなることはなく、自他ともに認める下手っぴな私を、否定も肯定もしないこの言葉は、それからの私の人生の、あらゆる本番前のモチベーションを保ってくれた。

 替わって、児童館でのライブにも数年連続で出演した。毎回即席のメンバーで。ポスターを手描きして準備したり、気の合う仲間と、あまり深いことを考えずに過ごす時間は純粋に楽しかった。本番は、偶然児童館に居合わせた人も集まったり、友達が友達を呼んだり、割と賑わった。先述した文化祭もボイスレッスンも、流れとして女性アーティストの曲を歌う機会が多かった。特に高音が苦手な私は、好きな曲ばかりではなかった。ある児童館でのライブで、少し古めのハードロックをやった。サビは叫ぶようなメロディーの曲だった。後日、高校の後輩にそれを
「先輩、超かっこよかったです!」
と言われた。お世辞とは判断できないテンションだった。直接的に「下手くそ」と言われることは少ないが、決して褒められることはなかった「歌が好き!」なだけの私の歌が、彼女にとって「かっこいい」と思えるものを表現できたと感じ、とてつもなく嬉しかった。

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