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新しいセラピーの教科書~まえがき

インタラクティブな行為である、リラクゼーションを保存することについて考えていた。

リラクゼーション、特に私が施すボディケアにおいては、写真や絵画などと違い、形に残ることがない。それは主に触覚を介して行われるからであり、気持ち良いという受け手の主観はその場での感覚であるからだ。
しかしながら、私はリラクゼーションとはアートであると考えている。
相互的な関わりでいて、ある種の規則的なリズムから生み出されるセラピーは、癒しであると同時にお互いの生命をより際立たせる営みである。
昔、医療はサイエンスとアートであると言った人もいる。
生命、そのものがリズムであり呼吸である。互いの呼吸を合わせ、新たないのちの躍動を生み出すことがどうしてアートでないと言い切れるだろうか。
勘違いしてはいけないのは、セラピーとは一方的な行為ではないということだ。私たちが、人間の代わりに例えば岩や壁を押していても、それはアートにはならない。セラピーにもならない。

現代において、コンピュータサイエンスやテクノロジーの進化が起こり、人々の生活は豊かになった。だけども、どうだろう。人々は本当に幸せになったのだろうか。日々の労働や、家事育児。システムの中で自由を失い、過剰にストレスを感じている人がどれほどいるのか。今、こそセラピーが、求められていることを強く感じている。

話しを冒頭に戻そう。
感じること、非言語的やりとりが意味をなすリラクゼーションにおいて、多くの技法もまた非言語的で後世に残していくのが難しかったんではなかろうか。人手不足で次世代の担い手が少ないのは、リラクゼーション業に限ったことではないが、誰かが今現在令和の仕事を残しているということに、一つの意味があると信じ、筆を執った。
単なる技術論に限らず、心構えなど話題を幅広く展開していけたらと思う。

ぜひこの、新しいセラピーの教科書なる、文章における一時の旅をお付き合い願いたい。

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