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私の『あの頃。』を作ってくれた人。

夏まゆみさんの訃報が入ってきた。

夏先生といえば、初期から黄金期のモーニング娘。のダンスの振付師としても有名。私のような30代、40代の世代は彼女のダンサーとしてより、人気アイドルの振付師としてのほうが印象に残っていると思う。

中学生の頃。
ASAYANという番組が大人気だった。
モーニング娘。はもちろんのころ、鈴木あみやCHEMISTRY、浜崎あゆみのダンサーまで、とにかくそのオーディションの課程を毎週のように観ていた。

当時私は長崎という田舎に住んでいたから、ASAYANはいつも1週間から2週間ほど放送が遅れていて、応募したいオーディションがあっても放送の日にはもう締め切りがすぎている、なんてことがザラにあった。
現地に行くどころか、書類すらまともに応募できない自分の環境を呪った。
でも、それが良い意味で諦めになっていたのか、純粋にASAYANという番組は『観るもの』であり『応募者を応援するもの』と割り切れて楽しめていたのかもしれない。


そんな思い出(?)の深いASAYANで、モーニング娘。のオーディションの様子が映し出されるときは、いつだって彼女、夏まゆみ先生の姿があったように思う。
まだ小中学生の普通の女の子、言ってしまえば自分とほとんど変わらないような女の子たちに向かって、容赦なくプロとしてプロ意識をたたき込む姿は、同じ女性としてとてもかっこよく、幼いながらにも「愛情深い先生だな」ということが画面を通していてもわかった。

トレーニングの時間に、腹筋がキツくトレーニングを諦めて力尽きた女の子に、「それをやり遂げたらモーニング娘。になれるって思ってないの? モーニング娘。になりたいってのは、それぐらいの気持ちなの?」と、筋トレひとつをとっても「本当にプロになりたいのか」を問う姿。
「やる気がないんだったら帰ったがいいよ。見るまでもない」とダンスレッスンの途中でレッスン室からいなくなる姿。
だけど、モーニング娘。たち「教え子」が立派に成長した姿には、涙を流してよろこんでいる姿。
とても印象に残っている。

私はモーニング娘。だけではなく、ハロプロ。
もっといえばASAYANのオタクだった。
だから、いつだってASAYANには夏先生の姿があった。

『LOVEマシーン』や『恋愛レボリューション』は中学生の頃友達と真似しまくったし、今でも曲をきけばあのユニークなダンスを思い出す。体は勝手に動くほどだ。

『あの頃。』

本当に日々、夏まゆみさんが作った振付を踊っていた。
きっと私と同じ世代の女子だったら(もしくはあの頃ハロプロに人生を捧げていた男子だったら)同じように自然とダンスすることができるだろう。
歌やメロディーが思い出される曲はたくさんあっても、あそこまでダンスも含め人生の1ページになる曲はなかなかないように思う。
モーニング娘。が爆発的に国民的アイドルとして売れたのも、夏先生の功績はとてつもなく大きいはずだ。
夏先生は、間違いなく私の『あの頃。』・・・青春時代を築き上げてくださった人。

同じ時代に生きれて、幸せだったなぁ、と思う。
バイタリティーあふれる方の印象だったから、61歳、ガンだったなんてなんだかあっけにとられているのだけど・・・。

素敵な振付とダンスを楽しませてくれて、ありがとうございました。


今日は久しぶりに、『あの頃。』のモーニング娘。を観て思い出に浸ろうかな。
きっと今日はいろんな人が、「あの振付け」を目にしてそして踊ることだろう。


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