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【小説】さいごのおせっかい

さいごのおせっかい

 どうして、こんなことになったのだろう。

 幾度となく繰り返した言葉を胸中で呟く。
 そうでもしなければ、悲しすぎて気が狂いそうだ。
 あれから──彼女が死んでから、どれくらいのときが経ったのかわからない。
 散々泣いたせいか、涙はもう枯れてしまっていた。
 部屋に閉じこもり、僕はただただ願った。

 これが、夢であるように、と。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 食欲をそそる匂いに誘われて、僕は目を覚ました。
 どうやら、長く悲しい夢を見ていたらしい。目元に手をやるとうっすらと涙が滲んでいた。
 それにしても、夢とはいえ彼女が交通事故で死んでしまうなんて、縁起でもない。
 寝間着代わりになっていたTシャツとズボンを脱ぎ捨てて、適当な服に着替える。この日常的な行動がいやに懐かしい。それに、妙に心が浮ついて、落ち着かなかった。
 着替え終わり部屋のドアノブに手をかけたところで、僕は言いようのない不安に襲われ、ぴたりと動きを止めた。
 このドアを開けば、この温かな日常が崩れてしまうのではないのか。これは、僕の作り出した妄想で、ふとした瞬間に覚めてしまうのではないか。
 迷っていたのは数秒だっただろうか、それとも、数分だったのか。
 どんなに不安だろうと、ずっとここに立ち尽くしているわけにもいかない。
 勇気を振り絞ってドアノブを握りなおすと、僕は恐る恐るドアを開いた。
 ──夢は覚めなかった。どうやら、嫌な夢を見たせいで臆病になっていただけのようだ。
 ドアの先では、いつものように僕の最愛の人が、朝ご飯の準備をしていた。
 物音に気づいたのか、僕が出てくると同時に、彼女──スミレが振り返る。
「おはよう、アキラ」
「おはよう、スミレ」
 和やかな朝の挨拶を交わすと、僕はリビングのテーブルに腰を下ろす。
 テーブルの上には、ご飯に味噌汁、それとほうれん草のおひたしが並べられていた。この匂いからして、最後のメインはサケの塩焼き、といったところか。
 おいしそうな料理の匂いに嬉しさが込み上げてきて、自然と笑みがこぼれた。
「どうかしたの? にやにやしちゃって」
 予想通りサケの塩焼きを持って、スミレがテーブルまでやって来る。
 そんなにも不自然なのか、僕の顔を見てクスクス笑いながら、彼女も席に着いた。
 それを見計らって、僕は彼女に夢のことを話し始めた。
「実はさ、すごく嫌な夢を見たんだ。スミレが事故で死んでしまって、悲しくて僕は部屋に閉じこもってしまう夢なんだ。でも、朝起きたら、スミレがいつものように朝ご飯を作りにきてくれてたから、嬉しくなっちゃって。ま、当たり前なんだけどさ」
 スミレが悲しそうに目を伏せる。ただの夢とはいえ、自分が死ぬなんて話は気分のよいものではないだろう。
「そんな顔するなって。ただの夢なんだから。気にすることじゃないよ」
「そうだね」
 気を取り直したのか、スミレがいつもの明るい笑顔を僕に向ける。
 それだけで、僕はこの上ないほど幸せな気分になった。

「ねぇ、今日はデートに行かない?」
 朝ご飯の片づけも終わり、テーブルの横に腰掛けてのんびりしていると、めずらしくスミレから提案があった。彼女からデートに誘うことはそうそうなかったはずだ。
「めずらしいなぁ。スミレから誘うなんてさ」
 不思議に思ってそのままを口に出したら、スミレはものすごく驚いた顔をして、それから、ひどいしかめっ面になった。
「アキラ、自分の誕生日も忘れちゃったの? 今日は、アキラの誕生日だよ」
 彼女の言葉に、今度は僕が驚いた。慌ててリビングの壁を見回した。そこにある日めくりカレンダーは、確かに、僕の誕生日の日付だったし、手元に置いてあった携帯も同じ日を表示している。
「ご、ごめん、スミレ。なんだか、すっかり忘れてた。」
 せっかく、スミレが僕の誕生日を祝おうとしてくれていたのに、僕がそのことを忘れてしまっていたなんて、申し訳なさすぎる。
「いいよ、それくらい。それより、デート行こうよ。今回は、私がデートコース考えたんだから」
 喜んで僕が頷くと、彼女はまた、いつものように笑ってくれた。よかった。完全に怒らせてしまったわけではないらしい。
「よし、じゃあ、ちょっと服を着替えて、荷物取ってくるね」
 そう言うと、スミレは隣にある自分の部屋に戻っていった。
 僕の部屋の玄関がガチャリと開く音も、彼女の部屋の玄関がバタンと閉まる音も、今の僕をワクワクさせるには十分だった。

 スミレに連れられてまず訪れたのは、街中のデパートにある映画館だった。彼女が選んだ映画は、前から僕が見に行きたいと繰り返していたものだった。
 それは、宇宙を舞台にした近未来のSF物で、彼女の趣味には全く合わないものだった。それにも関わらず、誕生日祝いとして僕を連れてきてくれたことが嬉しくて仕方なかった。
 チケットを買って、シアターの中に入る前、スミレは僕にちょっとだけ不安げな視線を投げかけた。僕が喜んでいるのか心配になったのだろう。
 そう思って、その時、僕は彼女に精一杯の笑顔を向けたのだった。
 ──がしかし、映画を見終わった僕には、言いようのない虚無感がまとわりついていた。
 映画のラストで、ヒロインの女の子が、敵の兵に殺された。そのことに、なぜだかものすごく悲しい気持ちにさせられた。ストーリーとしてはハッピーエンドと言える内容だったのに、僕はとてもじゃないがハッピーな気分にはなれなかった。
 いつもの僕なら、感動と興奮が入り混じった声で、スミレに熱弁を奮っているところだろう。
 しかし、今の僕は意気消沈して、デパートの中を行く彼女の後ろ姿を追うだけだ。
「つまらなかった……?」
 スミレが不安そうに僕を見ている。シアターに入る前よりも、ずっと悲しくて不安そうに瞳が揺れる。
 僕はいたたまれなくなって、勢いよく首を横に振った。
「面白かったよ。ちょっとラストが理不尽な展開だったから、やるせない気持ちになっちゃってさ」
 僕は彼女に微笑んだ。少なくとも、僕は微笑んだつもりだった。
 だが、スミレの表情はあまり変わらなかった。
 けれど、どうしてこんなにも悲しい気持ちになるのかがわからなくて、それ以上何も言うことができなかった。

 次に彼女が僕を連れていったのは、デパートのアクセサリー売り場だった。銀製のネックレスやピアス、婚約指輪に出来そうな宝石付きの指輪、さまざまなアクセサリーがショーケースを飾っていた。
「?」
 スミレの意図が分からなくて、僕は首をかしげる。どう考えても、ここは【僕】が【スミレ】を連れてくるのに相応しいのであって、【スミレ】が【僕】を連れてくる場所ではないように思えた。
「予約していた藤沢です」
 一人で悩んでいる僕の横で、スミレが店員に話しかけている。
 予約していたって、一体どういうことだろう。
 余計に頭がこんがらがっている僕をほったらかしにして、彼女は店員から商品を受け取っていた。先払いだったのか、支払いもせずに、こちらにそれを差し出す。
「はい、アキラ」
 僕は再び首をかしげた。彼女の考えがさっぱり読めない。
 頭では受け取らなくてはと思うのだけれど、体の方が言うことを聞かない。
「ほら、受け取って!」
 悶々として動かない僕に痺れを切らしたのか、彼女が無理やりその箱を僕に押し付けてくる。
 驚きながらもなし崩し的にそれを受け取る。驚きで頭が真っ白になりそうだった。スミレは、確かに元気が取り柄の女の子だけれど──僕はそれが好きなのだけれど、こんなに強引なことをするのは、これが初めてだった。
 放心状態の僕の前で、彼女は包みを開けるよう促した。
 もはや何も考えられなくなって、条件反射で包みを開く。
 中から出て来たのは、装飾のないシンプルなつくりのシルバーリングだった。
「指輪……? あれ? 内側に、何か書いて……。F・O・R・E・V・E・R……FOREVER。永遠……?」
 僕の呟きにスミレが満足そうに微笑む。
「うん、私達の恋がずっとずっと続きますように……ううん、違う。アキラがずっと私のことを覚えててくれますようにって、そんな思いを込めて」
 そう言う彼女の顔は確かに笑みを浮かべていたけれど、どこか切なげで、なんだかとても悲しくなった。
 それに、スミレの言葉。どこかがおかし──
「アキラ」
「何?」
 泣きそうな顔でもしていたのだろうか。スミレは無理に明るく僕の名を呼ぶ。
「改めまして、ハッピーバースデー」
 そう言った彼女の顔はやっぱりどこか悲しそうで、僕はサプライズプレゼントを嬉しく思うと同時に、不安が胸に押し寄せてくるのを感じずにはいられなかった。

「今日は、付き合ってくれてありがとう」
 マンションへ帰る途中、突然、スミレがこう言った。その顔は、夕日に照らされて、キラキラと輝いていた。
「何言ってるんだよ。ありがとう、はこっちのセリフだろ?」
 不思議な彼女の発言に、僕は苦笑をもらす。
「それもそっか。じゃあ、どういたしまして。へへっ」
「ははっ、そりゃいいや」
 僕は今、ものすごく幸せだった。
 スミレと二人で夕暮れの道を歩いて、二人で冗談を言い合ってる。いつもと変わらない光景なのに、僕はとっても幸せだった。
 軽やかな足取りで、他愛もないことを言いながら、二人で歩く。
 マンションが見えてくる。僕と彼女の住んでいるマンションが。
「アキラ」
「ん?」
 突然、スミレがとても神妙な声で僕を呼んだ。また、僕の中に不安が蘇ってくる。
「スミレ?」
「アキラ。もし、私があの映画のヒロインみたいに死んじゃっても、泣かないでね」
 彼女の言葉は僕を凍り付かせるのに十分だった。
「あ、いや、そんなこと確率的にすごーーく少ないこと何だけどね。でも、アキラが泣く姿、私、あんまり見たくないんだ。どんなことがあっても、アキラには、前を向いて、それで、希望をもって歩き続けて欲しい」
 そう言いきった彼女は、すぐにも消えてしまいそうだった。
「スミレ」
 無意識に、彼女の名前を呼ぶ。
「なあに、アキラ」
 彼女はそれに応えてくれる、確かにここにいる。消えてしまうはずなんかない。
 どんなにそう考えても、あの映画を見たときからあるイヤな感じが、どんどん大きくなっていく。
 気づくと、僕はスミレを抱きしめていた。
「……どうしたの? アキラ」
 スミレが心配そうな声を出す。
「ごめん、しばらく、こうさせて」
「…………うん」
 僕のせっぱ詰まった感じがスミレにも伝わったのだろうか。彼女は、ずっと黙って僕に抱きしめられていた。
 そして僕は感じていた。彼女は確かにココにいるということを。

「アキラ」
 しばらく経って、スミレが優しく僕のことを呼んだ。
「私、今、すごく幸せだよ」
 その言葉は、彼女の本心だった。確かに、そこに嘘はない、そう感じられた。
「うん、知ってる」
 今、僕達はきっと、同じ気持ちを感じている。共有し合っている。でも、それは今この一瞬だけ。僕にはもう分かっていた。
「アキラ、何があっても、前に進んでいってね。くじけちゃ駄目だよ」
「……あぁ、わかった」
 自然と、同意の言葉がもれた。
「それでこそ、私の好きなアキラだよ」
 嬉しそうにスミレが笑う。僕が大好きな笑顔で。
 その笑顔に吸い寄せられるように、僕は彼女にキスをした。
 指輪に刻んだ文字を、心にも刻み付けるように。永遠が現実になるように。
 その口付けに、すべての約束を込めた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 気がつくと、僕はベッドで眠っていた。時計を見ると、午前八時を指している。
 久しぶりによく眠れた気がした。
「夢、か……」
 どんなに鼻を動かしても、朝ご飯のいい匂いがしないことに僕は落胆した。
 久しぶりに眠れたかと思ったら、都合のいい幸せな夢を見てしまった。自分があまりにも惨めで涙が滲んでくる。
「泣かないで、か。無茶言うなよ。くそっ」
 夢なのは分かっているのに、僕の頭は、夢で見たスミレのことばかり考えている。
 泣かないで。そう言ったスミレは、僕の想像に過ぎないのだけれど、なんとなく、彼女に泣いてる姿を見られたくなくて、僕は顔面に左手を押し当てた。
 ヒヤリ、と心地よい冷たさを額に感じ、不思議に思って左手に目をやると、薬指に輝いているのは、真新しい銀の指輪。
 僕は慌てて、その指輪を指から抜き取ろうとする。しかし、気ばかり焦って全然抜けない。いらいらする。
 焦って、焦って、希望が頭に閃いて、するすると滑る手がもどかしい。
 ようやく指から抜けた指輪の内側を覗くと、そこには、【FOREVER】という文字が朝日に反射してキラキラと輝いていた。
「夢じゃ、なかった。それじゃあ、僕は」
 また涙が出そうになって、僕はそれを無理やり堪えた。今、泣くわけにはいかなかった。
「前へ進め、か。そう、だな」
 胸には、今までとは違う、あたたかな気持ちが流れていた。
 それが、僕の胸の中で、「頑張れ」と囁いている。
「ありがとう、スミレ。最後まで迷惑かけて、ごめんな」

 もう大丈夫だから。

 僕は空に向かって、そう呟いた。

あとがきという名の蛇足

初稿のキャラ名が気に入らなくて、二人とも全く違う名前にしました。それ以外はほぼ最初に書いた時のままです。

お題から作品を作ることが多かったけれど、これは珍しく何のお題もなく書いたものらしい。らしいというのは、着想をどこから得たのかまったく記憶がないから。
現実世界が舞台だけどちょっとファンタジーという大好きな設定で頑張ったはず。

カバー写真はどうしても指輪にしたくて、自分の結婚指輪を新たに撮影して加工しました。
新品感が出せなかったのが心残りです。

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