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否定と向き合うことは難しい


皆さんの周りにいるご家族や友人、恋人は、ご自身の病気や障害を受け入れてくれますか?受け入れた上で愛してくれますか?


私の家族は否定的ではないですが、肯定してはくれません。私が病院に通い治療を受けることを肯定してくれますが、私の信じる主治医の判断を信じてはくれません。
それはそれは難しくてややこしいお話です。

いい歳こいて親の判断なんて…と思われる方はその通りだと思います。実際保険だって自分で入っていて諸々の税金も支払い、病院だって自分のお金で通っているんですから私の自由ですよね。ですが実家住まいで休職中となると、親と触れ合う機会が当然増えます。病気の話は避けては通れないのです。


否定はしないが肯定もしない。
それが病気でナイーブになっている私にとって、苦しく感じることが多々あります。具体的にどうかと言うと、うちの親は自分が病気を患った経験がある為、その経験を照らし合わせて話をしてきます。自分の時はこうだったから、お前もこうなんじゃないか?と言った感じに。それが悪いと言いたいのではありません。ですが、自分の時は薬なんて嫌で飲まなかったよ、とか、あんなテスト(発達障害の診断)当てにならないお前は発達障害じゃないよ、とか。押し付け、と表現すると言い方が悪いですが、自分の意見をグイグイ押してくるのです。
とはいえ私の決めた方針を止めようとする訳ではないので、それはそれで私を想ってくれているのでしょう。

私は私の受けた診断を受け入れたいと考えていますし、投薬治療に関しても相談しながら続けていければという考えです。病院は変わったばっかりですが、主治医の先生を信じて、少しでも良い方向に進みたいと。


親が家で見ている私が全てではないんです。社会に出て上手くいかない私を見ていないから。明らかに障害があるんじゃないかと疑う目で見られる私を知らないから。そんな話家で出来る訳ないですもん。だって両親は私をたくさん愛してきちんと育ててくれたのだから。家庭環境ではどうしようもならない障害を持ってしまったのだから。

否定的な話が始まるとそれとなく聞かないようにしたり、流したりしてしまうので、全然受け入れられていないです。傷付く、とはまた違った心の痛みを感じてしまいます。両親の愛する私と、ひた隠しにしてきた本当の私とのギャップを感じて息が苦しくなります。




今はただただ鬱の波が過ぎ去るのを待ち、また馬鹿な過ちを犯してしまわないように、ジッと過ごすのみです。死にたいとは思ってしまいますが、助かった際の入院がとても辛かったので、なんとか耐えるのみです。


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