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人生は未完成のまま死ぬまでつづく
祝20記事目。
さらに毎日noteを書き続けて11日が経過。(正確には0時に間に合わず1日2記事の日があった)
なんとなく始めた毎日noteの位置づけは、文章への苦手意識をすてることだった。
自転車の乗りかたを一度習得してしまえば、あとは体が覚えているように、文章を毎日書き続ければ、きっと体に染みつくだろうと安易な考えからはじまった。
しかしながら、体はまだ慣れない。それどころか悲鳴をあげている。自転車の乗りかたでいえば、まだ補助輪を外せないでいる状態に近い。
今のところは1記事1時間くらいで終わらせたいと思っているけど、内容によっては2〜3時間かかるときがざらにある。
1000文字〜2000文字の間で記事を書いているけど、僕の場合は1000文字くらいを一気に30分くらいで書いて、そこから肉付けしていく感じ。
接続詞や副詞はこれでよかったかな。とか、気になる点が出てくると悩んでしまう。さらにもっといい表現はないかと比喩を考えすぎたり、読点や句点も気づけば入れすぎじゃねぇか。と頭がおかしくなりそうだ。
だまっていても時間は刻々とすぎていく。焦るきもちを抑えてタイピングしながら「ああ、もう23時だ…」と時計をみるのが怖くなったときもあった。
もともと文章を書くのは苦手なので、ブログやnoteなんて向いてないんじゃないかと思ったこともある。でも、やっぱり文章を書くのが好きなんだよねー。だから泥臭くてもいいから、笑われてもいいから書き続けようと思った。
悩んでいるより書いて行動に移したほうがいい。そんな結論にいたってからは一心不乱に書いた。書いて書いて書きまくった。
でも、やっぱり書くのはしんどい。(心でつぶやく)
そんなとき、いつもそばにいてくれるのが妻だった。たぶん、もろに顔に出ていたと思う。僕の疲れた顔をみて「書くのがしんどいなら、書かなきゃいいじゃん」と言われたとき肩の力が抜けたような気がした。
それからは「完璧をもとめない」と自分に言い聞かせて、気持ちが楽になったのを覚えている。だから、こんな散文でも続けることへの美学があってもいい。そう思った。
どこかで「いい文章をかこう」とか「この情報は有益かな」とか考えてしまうと推敲で悩んでしまう。けっきょく手を入れすぎると、文章がごちゃごちゃしてなにが言いたいのかわからなくなってしまう。
自分に完璧をもとめるな。そう思ってからは、他者にも完璧をもとめちゃいけないってことに気づけた。
生きていれば常に問題があり、解決してもまた問題がでてくる。けっきょく人間は不完全な生きものだ。完璧なんてありえない。
今は何が起こるか予測できない日常を生きている。裏を返せば完璧な毎日はつまらない。だからアップデートし続けて60%くらいがちょうどいい。
ほら、「未完成」ってどこか惹かれるでしょ。たとえば建築物ならサクラダファミリアとか。2026年に完成予定らしいけど、なんなら未完成のままがいい。
「永久の未完成これ完成である」
宮沢賢治の作品に終わりや答えなどない。そう言われているようで、肩をポンっと叩かれた気がする。
人生は未完成のまま死ぬまでつづく。
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