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読書は実生活に生かさないと意味がないのか?

最近、読書をするようになりました。
自分は活字を読むと眠くなってしまうところがあり、読書にものすごく苦手意識があって読書を避けていたのですが、山口周さんの本を読んだことをきっかけに、読書をするようになりました。

山口周さんの「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」を読んで、すごく単純なのですが、美意識を鍛えようと思ったんですね。
その理由は、はてなブログの方に詳しく書いたのですが、美意識を鍛えるための活動の一環として、読書はかなり効果的であると考えています。

結果ではなくプロセス重視の読書

今まで、本を読むとしたら、「最近話題のビジネス書」または「自分の興味関心のある分野の解説本」を手に取っていました。
でも、「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」のある一節を読んだときに、「あ、そういう本はあまり読まないようにしよう」と思ったんですね。

多忙なエリートにとって、著名な哲学者の著作を一ページずつ紐解いていくことは確かに費用対効果の低い営みに映るかもしれません。しかし、だからといって「要するに何を言っているのか」という梗概(こうがい)のみを整理した本を拾い読みしても、せいぜい身に付けられるのは虚仮威し(こけおどし)の教養でしかありません。
なぜなら、真に重要なのは、その哲学者が生きた時代において支配的だった考え方について、その哲学者がどのように疑いの目を差し向け、考えたかというプロセスや態度だからです。

※「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」より引用

私は、本を読むときは、その本を読んで何が得られたか?という「結果」が最も重要で、得られたことを元にすぐに実生活に生かさなければ意味がないと思っていました
だから、分かりやすく解説された本を読んだ方がお得だし、意味があると、そう考えていました。
しかし、それは短期的な結果を求めようとする「サイエンス」の思考です。

本を読んで得られた「結果」ではなく、難しいけれども考えながら読み、言語化できない何かを感じながら読む「プロセス」を重視する読み方もある。
そして、その読み方がアートな読書法なんじゃないかと思いました。

シンプルにまとめると、
サイエンス→目的を持って実生活に生かすために読む
アート→目的を持たずにただ読む

という感じです。

なるべく”オリジナル”に触れたい

これに気づいてから、今まで決して手をつけなかった、やや古典的なビジネス書や文学作品に興味が湧いてきました。

ビジネス書をたくさん読んでいる人は、お気づきかもしれませんが、多くのビジネス書は、大体同じようなことを言っているものです。
表現や具体例、切り口は様々ですが、本質は普遍的なものになっていると思います。
だから、複数のビジネス書に当たっていくと、「この話、違う本でもあったな」とつながっていくことがあるのです。
そうであるならば、よりオリジナルに近い、昔から読まれているものを手に取ってみたいと思うようになりました。

図書館に行って、たまたま目に入ったのが「論語と算盤」。今度、一万円札になる渋沢栄一さんの本です。

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「よし、これを読んでみよう」

「論語と算盤」を読んでみて

正直、けっこうしんどかったです。言葉遣いも昔の言葉が多いし、時代背景もよく分からないまま読んだので、2回読んだのですが理解度でいうとおそらく30%くらい。
でも、面白かったのは、「論語と算盤」で語られていることが、現代社会で起きていることと共通している点があったということです。
「論語と算盤」が書かれたのは、100年近く前のことです。そんなに昔の本でも、現在との共通点を見出せるということはひとつの発見でした。
先ほども書きましたが、やはり本質は変わらないんだなと感じました。

そういった「面白い点」はいくつか見つけることができましたが、自分の生活にどう生かすかは分かりません。

でもそれでいいと思うんです。

今回、(誰かが解説したものではなく)オリジナルの「論語と算盤」を頑張って読んでみて、なんとなく「渋沢栄一が生きたプロセス」を感じることができた。

それが教養であり、アートなのではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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