やめる勇気が必要
こんばんは!江ノ島3日目の夜です。
江ノ島と関係ないですが、最近考えていたことを江ノ島のゲストハウスからお届けします。
何かをやめるって、何かを始めるよりずっと大変なことだなと思うんです。
勝手に一人で始めたダイエットとか、誰も巻き込んでないことならすぐやめられますが、特に人と絡むようなことだと、途端にやめるハードルが高くなります。
会社とかは典型的ですよね(私はまだ会社を辞めたことないですが)。
自分が辞めることで、他人に迷惑や、迷惑でなくても何かしらの影響を与えることになると思います。
他にも、所属していたコミュニティを抜けることだったり、今まで自分が外に発信してたことをやめるなど、色々あります。
でも、新しい何かを始めるならば、今やっている何かをやめなければ、自分を追い込むことになってしまいます。
なぜなら、自分に与えられた時間も、自分の体力も有限だからです。
やめることをせずに始めることばかりやってると、時間も体力もどんどん削られていき、余裕のない人間になってしまいます。
ちなみに、私の下の名前は「千裕」なので、千(とても)裕(余裕がある)という意味が込められているので、これは私の人生のテーマでもあります(笑)
私は、気がつくと無意識に色々なことを始めているので、その分、やめることをより一層意識しなければなりません。
人との関係の中で取り組んでいる何かをやめる際には、「周りの人からどう思われるんだろう」という気持ちが少なからず生まれますが、私は、しれっとフェードアウトするんじゃなくて、なるべくしっかりケジメをつけてやめようという努力をしています。
例えば、最近で言うと「IT女子」をやめました。
これは、詳しくはブログに書きましたが、今後自分が発信していきたい内容と、「IT女子」という肩書きにズレが生じてきたためです。
これをしれっと何も言わずに、いつの間にか更新しなくなってた、ってなると、自分の中でもやめたのかやめてないのか、曖昧になってなんか後ろめたさを感じてしまいますし、周りの人も、「あれ、そういえばあのブログどうなったんだろう?なんで更新しなくなっちゃったんだろう?」と変な疑問を抱かせてしまいます。
逆に、宣言をすると、自分の中でも、スッキリした感じになりますし、今まで応援してくれていた人は、「そっか。じゃあこれからも頑張って!」と新しいスタートとしてまた応援してくれます。
「やめる宣言」をきっかけに、フィードバックをくださる方もいて、それが新しい発見になったりもします。
コミュニティで言うと、少し前に、5ヶ月ほど所属した「朝渋」というコミュニティを卒業しましたが、その際も、無言でいなくなるのではなく、「やめる理由」と「感謝の気持ち」を伝えてから抜けました。
やめる宣言は、勇気を伴いますが、選択肢が多い今の世の中だからこそ、これからより重要になってくることなんじゃないかなぁと思います。
見切り発車で気軽に始めるけど、「なんか違う」と思ったらやめていく。この繰り返しで、自分らしさっていうのが出てくるんじゃないかと考えています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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