根拠はいらない

人の頼り方がわからない。甘え方もわからない。
人と親しく付き合いを続ける方法が実はよくわからない。

こんな40歳手前になって、まったく恥ずかしい話である。

いつも遠慮してしまう。
根拠のない申し訳ないが先に来る。

両親が過保護だと知ったのは、30歳くらいのこと。

厳しい親、という自覚はあったが、どちらかというと厳しいというより過保護で何にでも首を突っ込み口を出すのだ。

その上、親以外の人にまともに頼ったことがなかった。

他人に頼るという発想もなかった。

あまりに自然に、なんでも親に報告し、親の手を借りていた。

それでいて、子供のころから本当に困ったときには親にも相談せずひとりで抱えていた。

それは、親の邪魔をしない、手がかからないという役割を演じるともなく演じていたからだ。

29歳で鬱になり、回復し始めてから徐々に自分の生きづらさに氣づいた。

目が覚めたら、人に自分のことで寄りかかるということができないのだとわかった。

ちょっと頼むだけでバンジーを飛ぶくらいの勇氣を必要とする。

それ以上に、これは助けが必要なことであると限界まで氣づかない。

「大丈夫」がデフォルトになってしまっていた。

30歳を過ぎてこれを修正するのは楽じゃない。

時間がかかっている。

けれど、もう少しだとも思う。

いろいろ試して、失敗もして、たまに引きこもって、それでも意外と、自分が感じていた恐怖とは裏腹に怖いことは起こらない。

それでも毎回怖いけど。逃げることもあるけれど。

でもきっと大丈夫なんだと思う。根拠はない。

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