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銀色夏生『銀色ナイフ』
銀色夏生さんの本で、はじめて読んだ本がこの本。
当時、離婚して実家に帰ってきたばかりで、何もしていなくて、することがないと考えたくないことばかりが頭に浮かんできて、頭の中で思考が暴走して手がつけられない、そんな状態だった。
それで、長編の推理小説を読み漁って、ついに読むものが無くなり、本屋に駆け込んだのだ。
意外とそういう人多いのでは、と思うが、私は長らく、銀色夏生読まず嫌いだった。
表面的なきれいなところだけをすくいあげて、浅はかな癒されたい人たちに支持されている人と決めつけていた。
特に理由もなく。あるとすれば、ものすごく苦手だと思っていた人が、銀色夏生の本をものすごく薦めていたので。
そのとき、平積みされていたこの本を手にしてとった理由は覚えていない。
内容は、銀色哲学とも言える、銀色夏生さんが対人関係や出来事や世界に対しての考察や、なぜそう感じるのかや、どのようなスタンスで向き合っているかが、ひたすら書かれている。
銀色さんの考え方を知って、なるほど、と思ったこともたくさんあったのだろうが、それよりも何よりも、自分は、わたしはいまどう感じているのか、そのことに意識を向けるきっかけになったのだとおもう。
ああそうか、そうだね、うん。そう感じたんだね。
なぜか、そんな風に、私の気持ちを聞いてもらえたような気がした。
あの頃私は、離婚という出来事に対するショックが大きすぎて、現実に起こったことだと認識するのに精一杯で、何がいけなかったのか、彼はどうしてそう思ったのか、彼の親御さんはなぜそんなことを私の母に伝えたのか、父は、結婚式で、震える手で私を彼に引き渡した父を、私はどれほど傷つけてしまったのか、そういうことでパンパンだった。
私自身を含めて、だれも、私がどう感じているかは聞かなかった。
ふと思いついて、10年振りくらいに読み直してみたら、内容はまったく覚えていなかった。
でも、夜明けにベッドで小さくなって、ポロポロ泣きながら、この本を読んでいた自分が甦ってきた。
ただ単に苦しくて、じっとしていてもこれはなくならない、だから、苦しくても、息を吸って息を吐いて、ごはんを食べて外に出るしかないんだと思った。
人が、その人の魂のような部分とつながって、何か伝えているとき、理屈でなく、感動する。
その内容に共感しているというのとも違う。それとは別だ。もっと根本的に共鳴する、と言えばいいだらうか。
本の中で、銀色さんは、こうした方がいい、という類のことは一切書いていない。
ただただ自分の在り方を、書き綴っている。
クリシュナ・ムルディは、誰かに従っているかぎり自由は阻害され続ける、と言っている。
指導者に師事すること、教えに従うことは必要な場合もあるが、そこにいる限り、自分の真の意図にはたどり着けないような気がする。
本を読み終えた私は、そのときから書き始めた。自分の内側に、深く深く潜り込んで、これは違う、これも私の感情じゃない、これは?と、一つ一つを抉り出すように。
哲学というのは、対象化して学ぶためのものではなくて、学んだらそこからインスピレーションを受け取って、自分の哲学を見つけていくことなのだろう。
そして、それを表明することが、自分の在り方で生きるということだと思います。
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