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私の中にある約束 〜写真を撮るときに守っている4つのこと〜 (地平線をのぞむ 第10回)

 こんにちは、地平線です。これまでnoteでは自身で用意した写真を使いながら書いて来ました。
 写真撮影が好きな私ですが、幾つか撮影において自分自身と約束したことがあります。今回はそのことをお話しさせて頂くことにしました。心構えのような物ですが何かの参考になれば幸いです。


1.モラルを守ること

 近年、スマートフォンとSNSの発達によって写真を撮る人が爆発的に増えたのは皆さんも実感していると思います。その中で同時にモラルの問題が出てきてしまいました。
 人に迷惑をかける撮り方をしないというのがカメラマンに必要な最低限のマナーだと考えます。カメラマンは撮影地においてよそ者であることがほとんどです。ですから撮らせて頂いているという事を忘れずに撮影しなければならないと思います。

2.倫理観と敬意を持つこと

 写真を撮ってはいけない時と場が存在します。明確に禁止されている場合もありますが、そうでない場合も多いです。そうした雰囲気を察するには倫理観を持つ事が必要だと思います。
 特に多いのが宗教的な場面でしょうか。そうした場面では敬意を持って撮影は控えたり、配慮をする必要があると考えています。
 私の個人的な決まり事ですがお寺や神社などではまず参拝した後に撮影する様にしています。それまでカメラはカバンにしまっておき、出さない様に決めました。あとは直接的に宗教施設を写さないようにするなど敬意を持ちながら撮影させて頂いています。
 神社やお寺には不思議な力があるようで神様が嫌がる写真を撮るとデータが壊れると友人の間で話題(戒めの様なもの)になっていました。幸い私がそのような経験をした事はありませんが神社やお寺などではより謙虚な気持ちで臨ませてもらっています。

3.撮るべき時、撮るべきでは無い時を見極めること

 カメラを抱えていたとしても撮るべき時と撮らないでおくべき時があると私は考えています。2番で書いた倫理観に反していなくても直感的にその判断をしながら撮影するようにしてきました。
 美しい光景でも、あるいは美しい光景だからこそ写真で撮ると安っぽく見える事があるからです。そういう時はしっかりと目に焼き付けて心のアルバムに刻もうと考えるようになりました。
 最近、何でも写真に撮ろうとする人が多いですが、写真を撮る時って見てるようで見てないと私は思うのです。モニター越しという意味でも心に刻むという意味でも写真にばかり気を取られるのは勿体無いと思うようになりました。
 この間、とある方と話した時、子どもの運動会で撮影に夢中になってることに気づき、撮るのをやめて観ることに集中したというお話を聞きました。
 写真に写すより心に焼き付けた方が良いことも多いと私は思うのです。
 なので私は撮るべき時とそうじゃ無い時の見極めをする様にしています。

4.死を撮らないこと

 これは個人的な約束で倫理観と繋がる話でもありますが、「死」を撮らないと決めています。生物の死を撮らないこと。植物であれ動物であれ死やそれを感じさせる写真は絶対に撮らないと決めています。
 私の中でも説明しようとすると上手くできないのですが、命と死への畏敬の念を持たなければならないと思っています。それは生半可な覚悟で写していいものでは無い気がしますし、私には写せない物事だと感じました。
 それにそうしたものを撮ろうと考えてしまう時、感情面が不安定になっている事に気づいたのです。
 だから、私は死を撮らないことに決めました。

 今回は私の写真に対する約束事の話でした。こうした信念を持つことは創作活動において重要な事だと思います。それが時には個性になったり、自身の創作意欲や作品を守る盾となってくれたりするような気がしているのです。
 ですから皆さんにも作品作りにおいて自身との約束を決めることをすすめてみたいと思います。ぜひ、創作における自分との約束を決めてみてはいかがでしょうか。

 私が初めて握ったカメラの写真。もう動くことはありません。これも一つの「死」なのかもと思いましたが、無生物の死についてはいまだに解釈できずにいます。ただ、役目を終えた物への敬意は忘れないようにしてきました。 
 ここまで書いて考えましたが被写体への敬意を私は一番重要視しているのかもしれませんね。
 今回はこの辺りで、お付き合い頂きありがとうございました。

2024年8月
地平線

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