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雷の刻印【全8話】 1.腕のアザ

あらすじ

野心家の船乗りドゥオは、ある日、世間知らずのお嬢様リザルと出会う。リザルは神秘的な薬の影響でドゥオに特別な感情を抱くようになる。異なる世界に生きる二人は、この薬がもたらす予期せぬ冒険と試練に巻き込まれる。航海の途中で遭遇する困難や、謎めいた出来事を通じて、ドゥオとリザルは互いに信頼を深めていく。果たして、二人はこの状況を乗り越え、平穏な日常を取り戻すことができるのか——。

あらすじ

「じいちゃん、腕がヘンなんだ」
俺はじいちゃんに訴えた。

「どれ見せてごらん」
じいちゃんが俺の服の袖をめくると大きな痣が現れた。まるでケガのあとのように見えるけれど、このアザは生まれた時から肩からひじのあたりまで、ギザギザの形で俺の腕にでっかく張り付いている。

じいちゃんは袖をめくるといつものように、触ってあちこちを見てくれた。

「特に問題ないぞ。これはただのアザで、傷ではないんだ。医者に見せても特におかしいところはないはずなんだがな」

それでも俺はじいちゃんに食い下がった。

「でも時々ヘンな感じがするんだよ。腕が急に熱くなったり、冷たくなったりする感じ」

「うーむ。どんな時に変な感じがするんだい?」

初めて聞かれたので、どんな時だろうと、俺は考えてみた。

「えーっと、嬉しい時とか悲しい時とか。嘘をついたり、嫌なことを考えたり、そういう時に腕がおかしい」

じいちゃんは「なるほど」とうなずき、少し考えて俺のアザをそっと触った。

「ふむ。よくお聞き、ドゥオ。人の身体と心は全く別々の存在に思えるかもしれないけど、そんなことはないんだ。自分が嫌だなと思うことを続けていると病気になったり、反対に、身体に無理をかけると、心がなんにも感じなくなったりして、心と身体は互いに何かが違うと教えてくれるものなんだよ。」

「へぇー」

返事はしたけれど、あの頃の俺にはじいちゃんの言葉が難しくて、何か大切なことを言っているのはわかったけれど、具体的には理解できなかった。

「お前にはまだ分からないかもしれないけれど、そのアザはそういう違和感を感じ取れるものなのかもしれないな。つまりだな、それはお前の心の羅針盤みたいなものに違いない」

「羅針盤?」

それなら俺にもわかる。羅針盤と聞いただけで心がウキウキして、また腕がジンジンとうごめく感じがした。

「お前は船乗りになるんだろう、ドゥオ。お前の考えていることや感じていることが正しいことなのか、進むべきものなのか、そのアザがきっと教えてくれるにちがいない。腕に羅針盤を持っているなんて、かっこいいなぁ。これからお前が何を感じたときにこのアザがジンジンするのか、よく観察してごらん」

そう言ってじいちゃんはにっこりと笑った。
 
◇ ◇ ◇ ◇
まぶしい……

顔に光を感じて、目が覚めた。

ああ、夢だったのか、と気が付いた。じいちゃんの夢を見るのは久しぶりで、懐かしい思いと、なんであんな夢を見るんだろうという思いが心の中で交差した。

しばらく感傷に浸っていたが、気が付いた。そうだ、今日は特別な日なのだ。起きて行動しなくては、と俺は自分に言い聞かせた。

「うう、身体が痛い」

床のように硬い、粗末なベッドで毎日寝ているから、起きるたびに身体中が痛くて動かすたびにギシギシと音を立てるように感じる。

俺は起き上がると、窓のそばに近寄った。ボロボロのカーテンを開けると、部屋とは対照的に空と海の、すばらしい景色が目の前に広がっていた。光が水面に反射してキラキラしていて、青いだけでなく、何もかもがまぶしい。けれど今日、目に入る色がすべて色あざやかで、とりわけ素晴らしい景色に感じるのは、期待でワクワクしているからにちがいない。

俺は小さいころ、じいちゃんに見せてもらった石を思い出した。その石は灰色のごつごつした表面をしていたが、よく見ると中に細かいキラキラしたものが混ざっていた。

「このキラキラの正体は宝石の粒なんだよ」

大切そうにその石をなでて、じいちゃんは話してくれた。

「宝石は貴重でなかなか手に入らないけれど、こんな風に、ただの石ころに混ざっていることがある。気が付かないでそのままでいればただのゴミになってしまう石だけど、コツコツ、真面目に目を凝らしていけば、こんな風に大切なものが見つかることもある。いいか、人生も一緒だ。大事なのは、見つけ出そう、探そうとする気持ちなんだよ。わかるか、ドゥオ」

あの頃、正直、じいちゃんの言っていることはわからなかったし、じいちゃんの教えを守ってコツコツ馬鹿正直に働いても、俺の手元に宝石みたいな素敵なものがやってくることはなかった。

「だからさ、俺は思い切って生き方を変えたんだ、じいちゃん」

俺は空を見上げて、天国にいるじいちゃんにつぶやくように言った。

「でもね、今日は宝石のような日になるはずなんだ。それもいままでにないくらいの、でっかな宝石だ。俺はね、コツコツ、真面目なやり方を馬鹿らしいからやめたんだ。軽い嘘をついて、ラクする方法で、貴重な宝石みたいなチャンスを見つけるんだ。今日という日は俺の人生を大逆転させる記念日なんだよ。じいちゃん、空から見ててくれよ」

問いかけても、空は何も変わらない。じいちゃんが生きていたら何というだろう。やめとけ、というだろうか。

ほんの少しだけだけど、胸の奥に小さな棘が刺さったように痛んだ。そして、腕のアザは予想通り、いや、いつもよりもジンジンとうずいた。だけど、それを俺は、気づかなかったことにした。
◇ ◇ ◇

俺は決心を新たにすると「うーん!」と、伸びを一つした。手早く身支度を整え、鼻歌を歌いながら家を出た。家といっても、雨風だけしのげるような場所だ。ベッドもカーテンも、床も椅子もテーブルもボロボロ。長い間ここで暮らしていたが、こんな場所とも今日でオサラバかもしれない。なんていったって、今日のお客は今までで最高のお金持ちなんだから。いよいよ、俺にも運がめぐってきたっていうことだろう。

ちょっと遠回りをして町から外れた石畳の道に俺は向かった。

「おはよう」
俺が声をかけると、新聞を読んでいたたばこ売りのばあさんが顔を上げた。

「おはよう、ドゥオ」
「これな、いつもの」
銀貨を二枚手に握らせると、ばあさんは「ありがとよ」としゃがれた声で答えた。

「そうそう。この先のヴァイオリン弾きも、金をくれるなら手伝うっていってたよ」
「へぇ、そいつはこの時間、もう仕事しているかい?」
「いると思うよ」
「じゃ、これは情報料」
銅貨を一枚ばあさんの前に気前よく置くと、俺は言われた場所へと向かった。

カラフルな石畳の上をコツコツと足音が響く。路地を曲がると、一気に潮の香りとともに、家で見るよりさらに美しい、見事な景色が目に飛び込んできた。水路とその先に広がる海と島々。この景色を見るたび、いつも誇らしく思う。ここは、なんて美しい街だろうって。

俺が住み、働いている「アキアーン」は運河を中心に栄えている「水の都」として有名な街だ。五十以上の島々と十七にわたる運河、その島々は二百に及ぶ橋で結ばれている。中心の本島は、水路と細い路地が迷路のように入り組んでいる。その上、小さな橋が多いから階段の上り下りも多くなり、人や物の移動は歩くより船の方が楽という、変わった街でもある。

水路が中心のこの街では、荷物や人を乗せるには馬車より船の移動でなければ成り立たない。だからあらゆる水路の入り口に船頭が待ち構えている。船を操船する船頭のことをこの街では町の名前から「アキアーノ」と呼んでいる。そして俺はそのアキアーノの中の一人だ。

水路が中心の変わった街、ということだけがアキアーンの特徴ではない。高名な建築家が建てた寺院や由緒ある鐘楼・時計塔など名所も多数あり、観光名所としても有名だ。広場を取り囲むように点在する老舗のカフェからは常に陽気な音楽が流れている。キラキラと光る水路があちこちに広がり、白い大理石でできた大きな美しい橋が目に入る。それだけでもはや、絵画のようだ。

狭い路地を抜けるときのドキドキ感はまるで迷路探検を体験しているようだ。橋の下をくぐり、水上とカラフルな家々が立ち並ぶ素晴らしい光景は世界中でここしか見ることができない生きた芸術品だ。

そして、何といっても目玉は、アキアーン二番目に大きな島のジンシア島だ。世界一にぎわう島、商売人の憧れの聖地、と言われている。ジンシア島は世界を旅する船の通り道だったことから、交易が盛んで、昔から世界中の商人が集まってくる島だった。「我こそは」とか「ひと山当てて金持ちになってやる」という世界中の商人がまず目指すのがこのジンシア島だと言われている。

島では商人たちだけに限らず、ルールさえ守れば誰でも路上で店を開いていいことになっている。島中のあらゆる場所で、見たこともない変わったものが道いっぱいに並んでいて、その光景は壮観としかいいようがない。この変わったバザール目当ての観光客もたくさんやってくるから、アキアーンはいつも人であふれかえっている。

要するに、このアキアーンという街めがけて、世界中の観光客が集まってくるのも当然といえば当然のことなのだ。そんな街、アキアーンを俺は大好きだし、俺をはじめ、住人である全員がこの街を誇りに思っている。
◇ ◇ ◇
歩き進めるうち、軽快な音楽が耳に入ってきた。歌うような、踊りだしそうな音色が心地いい。路地を曲がると、気持ちよさそうにヴァイオリンを弾いている男の姿が目に入った。男は俺を見つけると、弾くのをやめて俺を見た。

「たばこ屋のばあさんから聞いた。協力してくれるって?」
「へぇ。あんたがアキアーノのドゥオか。なるほどね」
「なにがなるほど、なんだ」
「そういうことを考えそうな面だなってことだ」

俺は馬鹿にしたように、鼻で笑った。
「協力するっていうんだから、お前も同類だろ」
男も笑った。

「で、俺は何を客にふきこめばいいんだ?」
「観光客がどの船が人気かと聞いてきたら、こう言ってくれ。『この辺のアキアーノなら断然、ドゥオの船ですよ。いい船ですよ。それから、間違ってもデロッシの船はいけません。サービスは悪い、観光させるところも見当違い。あんな船に乗ったら金を海に捨てるようなものですよ』ってね。とにかく、デロッシについてこき下ろしてしゃべってもらえればいい」

「なるほどね、デロッシの悪口を言って、あんたのところをほめて、ほめて、ほめまくればいいってことだな」
「ああ、その通りだ。お礼はこれで頼むよ」

俺はヴァイオリン弾きの前に置いてある空き缶に銀貨を1枚入れた。カラカラと音を立てて銀貨が回るのを見て、ヴァイオリン弾きが渇いた声で言った。

「なあ、あんた。俺が言うのもなんだが、こんな小細工で、客なんか取れるのかよ」

その顔に少し、あきれたような、俺をバカにしているような表情が見て取れた。

「デロッシは誠実で船の仕事以外でも、客に対しても気遣いが行き届いてるって、聞くぜ。あんたもそんな仕事をコツコツしていけば、こんな姑息な手段を使わなくても人気のアキアーノになれるんじゃないのか。あんたの操船技術は相当なもんだって、ばあさんから聞いてるけど」

ばあさんが俺の腕を買ってくれていることにはびっくりしたが、そんな素振りを見せずに俺は、ヴァイオリン弾きに言った。

「わかっちゃいないな。観光客はここにやってくるのはせいぜい一生に一度くらいだ。それもみんな金持ちばかり。観光客はどの船に乗ってもアキアーンを楽しむだけさ。そのおこぼれを少しばかり多めにもらってもバチはあたらないだろう?その証拠に俺の最近の生活はどんどんラクになってきているんだ」

「デロッシの船はサービスもいいし、細かい気配りも聞くし、いい船だって聞いているぞ。そこをわざわざこき下ろさなくても」

「そういう船は何にもしなくても金が入るんだよ。あんた、協力するっていいながら、ずいぶんと説教してくれるじゃないか」

「協力はするさ。俺も金が欲しいんでね。ただな、そんなやり方、いつまで通用するのかと思ってね。あんたのためにならないんじゃないかと考えたのさ」

俺は声を上げて笑った。「お気遣いありがとう。でも、その心配は無用だ」

日が高く上がってきた。空が一段とまぶしさを増す。

「今日の客は、このやり方でわざわざ俺の船を選んでくれた大金持ちでね。俺が三か月遊んでも使い切れない金を支払ってくれる、上客なのさ」

◇ ◇ ◇

俺は下っ端からコツコツ働いて、三年前にようやく自分の船を手に入れた。小さいながらもやっと手に入れた自分の船で、俺はアキアーンにくる客をあちこち、送迎していた。やっと夢をかなえたのに、真面目に、コツコツ働いても、暮らしは楽にならなかった。

観光客はひっきりなしに来ていたからアキアーノとしての仕事にあぶれることはなかった。しかし、大勢いるアキアーノの間では競争率は高い。客も選び間違えればもらえる金も少なくなる。

ある日、俺は真面目に働くことがいい加減面倒くさくなって、乗せる客に通常料金の三倍の値段をふっかけてみた。すると、なんと、言い値で客が支払ったのだ。唖然とした。こんなに楽に金が入るものなのかと、目からうろこが落ちた気分だった。

運河沿いには、たくさんのアキアーノが観光客を待っている。観光客にとって、どのアキアーノがいいのかなんて、わからない。見た目はどのアキアーノにも違いがないからだ。

それからというもの、どうやったら楽に、多くの金が入るのか必死で考えるようになった。たばこ屋のばあさんや、さっきのバイオリン弾きに金を渡してちょっとばかりの嘘も含めて、宣伝してもらっているのもその一つだ。

腹が立つのは、デロッシだ。街一番人気のアキアーノのデロッシは特に宣伝もしていないのに、人が集まってくる。ニコニコと丁寧に観光客の話を聞き、時に宿の手配から食事の用意までタダでしているデロッシを馬鹿じゃないかと思うこともある。デロッシを見ているとイライラしてくる。

俺はあんなやり方はしない。金持ちになりたい。成功してやるんだ。どんな手を使っても、もっともっと大金持ちになって、大きな船を手に入れ、広い世界へ出ていってやる。こんな生活はもう終わりだ。

それでも俺は、本当は知っていた。心の奥底で、ずっと感じていた。何かに追われ、飢えたようで、どこか満たされていないことを。積み上げていくたくさんの嘘と、人を見下して馬鹿にしている自分。それがいつしか「毒」となって、静かに、静かに俺の心を蝕んでいることを。


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