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雷の刻印【全8話】 3.呪いの惚れ薬

自慢じゃないが、俺の容姿はよくもなく、悪くもなく、ごくごく平凡なはず。

いい男ね、という酒場の女のお世辞を除けば「イケメン」なんて言われた試しはない。
大体、「イケメン」という言葉自体、俗語だし、このお嬢様が使うには妙な違和感があった。

この娘、何を言いだすんだ……そう思ったその途端、俺は「フェンチル」というとんでもない薬の正体を思い出した。

俺の記憶が確かなら、この「フェンチル」という薬は、強烈な「惚れ薬」なはずだ。

確か、恋しい男に振り向いてもらえなかった魔女の呪いがかかっていて、その薬を飲んだ者は最初に見た異性に恋してしまうという話だった。

酒場で聞いた話だから、単なる噂としか思っていなかったが、これが本物なのか?

「じいさん、どうしてこの子がこんなものを飲んだんだっ!」

俺は思わず強い口調で水を汲んで帰ってきた執事のじいさんを怒鳴りつけた。じいさんはおろおろしながら答えた。

「ジンシア島の露店の方が、『この薬を飲めばあなたの人生がバラ色になりますよ』とお嬢様に勧めたのです。お嬢様はたいそうその薬に興味を示されて……。その場で飲もうとされていたのですが、こんな怪しい薬は信用ならぬと反対いたしました。結局、お屋敷に帰ってどんな薬なのか調べてからお試しになるお約束をしたのですが、目を離した隙に飲んでしまわれたのです……。まさかこんなことになるなんて……」

「この薬、いつまで効果があるとか、どうすれば元に戻るのか聞いたのか?」

「いえ……単なる元気が出る薬としか聞いておりませんし、詳しくは帰ってから調べるつもりでおりましたので……」

魔法の薬は「気」でできているために、飲んでも吐き出すことはできない。身体に入ったら最後、必ず吸収されてしまうのだ。

リザルはさっきより明らかに、身体に熱を帯び頬が赤くなっている。

彼女に俺は執事のじいさんから水を受け取ると飲ませながら、途方に暮れた。

この薬が本物ならば、彼女は飲んだ直後に初めて目を合わせた人間、つまりこの俺に恋してしまったということになる。

まさかそんな薬が実在するとは思わないし、俺も話半分で仲間の話を聞いていたので薬がどのくらい効果が続いて、その薬に解毒剤があるのかどうかさえ知らない。

「この薬はいったいどんなものなのですか?」

俺が難しい顔して無言で考え込んでいたものだから、じいさんが心配そうに尋ねた。

「この薬はな『フェンチル』という薬で……」

俺が答えたその時だった。

「静かにしてもらおうか」

低くくぐもった声が聞こえた。振り向くと、一人の男が俺たちの前に立ち、ダガーナイフを突き出して凄んでいる。

「しまった……」

この騒ぎで俺は船の舵をそのままにしてしまった。

流された船は、普段は避けて通る、海賊がウヨウヨしている航路に流れてしまったようだ。舵取りのいない船は海賊にとっては絶好の獲物だろう。

あっという間に、五、六人の男たちが船に次々と乗り込んできた。

「おとなしくしていれば命はとらない。」

俺は素早くやつらを観察した。観察してわかったのは、こいつらは本物の海賊ではない、ということだった。

風体は海賊だが、本格的な海賊になりきれていないチンピラだろうと俺は推理した。

理由は簡単だ。こいつらの誰一人としてパイレーツカトラス(海賊刀)を持っていなかった。

この海域の海賊たちは自分の誇りである「パイレーツカトラス」という剣を肌身離さず持ち歩いている。それなのにこいつらの武器と言えば、小さなダガーナイフか、一番大きくても、片手で扱う刀身が短いカットラスしか身に着けていない。

(大した事はないやつらだな。人数は多いがなんとか、立ち回れそうだ)

俺はひそかに考えを巡らせた。

まあ、自分でいうのもなんだが、アキアーンの海をまたにかけてきたアキアーノたちは海賊対策の訓練もしているし、腕っぷしも強い。ほとんどのものが戦闘の経験をつんでいる。

さてどうしようかと考えていた時、執事のじいさんが突然大声をあげた。

「お嬢様に手出しするものはわしが許さん!」

「じいさん、やめろ!」

俺が止める前に、じいさんはチンピラ海賊に勢いよく襲いかかっていった。それをみたやつらの一人が半分バカにしたように笑いながら、サッと横によけた。じいさんは止まることができずにそのまま勢い余って船の端にぶつかった。

「じいさんは、こうしてろや」

「うわあ……」

一人の賊が、バランスを崩し、よろけたじいさんの片方の足をつかんで船の外に放りなげた。じいさんは、悲鳴をあげながら、海へと落ちていった。

「じいさん!」

俺の叫び声と、ドボンという水音が同時に響いた。じいさんは大丈夫だろうか。

船の中で観察したところ、あのじいさん、抜けてはいるが運動神経はよさそうだった。あんな大荷物を一人で持ち歩くくらいだ。体力もありそうだ。この付近は小島も多いから泳いで行けばもしかすると助かるかもしれない。じいさん、なんとか助かってくれ、奇跡を信じながら俺は心の中で祈った。

「さて」

ボスらしき男が俺らを見下ろして、子分たちに命令した。

「野郎ども、探せ!」

「ボス、わかりやした!」

海賊……いやチンピラたちがその掛け声に一斉に船の荷物の中身を物色しはじめた。

(勝手なことさせるかっ!)

反撃するなら今だと思い、俺は立ち上がろうとした。が、その気配を感じたのか、腕の中にいるリザルが急に俺の首に両手を回してきた。そして、まとわりつくようにしがみついて俺の動きを封じ込めた。

「え……?」

「お願い……行かないで……」

そういうとさらに俺の身体にしがみつく。

腕の中にいる彼女をみると、トロンとした目で俺を見上げ、苦しそうに息をしていた。

か細く、俺にすがるような声と、はかなげで淋しそうな表情を見て、俺はなぜだか動けなくなった。半面、意識がもうろうとしているのだな、と冷静に俺は分析した。

「その娘はどうしたんだ?具合でも悪いのか」

ボスが俺にきいた。

「アキアーンで今流行っている流行り病のようだ」

俺はさっきの小瓶をこっそりとポケットに隠しておいて、咄嗟にウソをついた。本当のことを言えば、このチンピラどもが面白がってリザルに何をするかわからないと思ったからだ。

「流行り病だと?」

ボスは露骨に顔をしかめると、俺たちから避けるように一歩下がって、うつってたまるかとでもいうように腕で口元を隠した。彼女は薬の作用なのか、顔は赤いし、呼吸も荒い。ボスはすんなりと騙されたようだった。

「ボス、もってきやした」

子分たちが、彼女たちの荷物をボスの前に並べた。ボスは一つ一つ吟味していたが、大き目の箱を見つけると手を止めて俺に聞いた。

「おい、これはシークレットチェストだな?合言葉はなんだ?」

シークレットチェスト、というのは合言葉がカギになっていて、その合言葉を入れなければどんな強力な剣でも絶対に開かないという強力な魔法がかけられている、主に金持ちが貴重品を入れている箱のことだ。

「俺に聞かれても知らないな。この娘が合言葉をかけたはずだが、この通り、高熱でうなされている。薬は飲んだがしばらくは口もきけないだろう。さっきのじいさんはあんたらが海に突き落としたしな。開けることができなくて、残念だったな」

俺は男をにらみつけながら言った。チッと、ボスは舌打ちをするとしばらく思案した後、俺に言った。

「お前、この娘を連れてうちの船に移れ」

ダガーナイフで脅され、命令されて、俺はしぶしぶ、リザルを抱えてチンピラ海賊の船へ乗り移った。

「流行り病」の嘘はやつらにかなり効き目があったようだ。やつらは俺たち二人に近づこうともせずに遠巻きに見ている。もっとも、もうろうとしながらも、リザルが俺にしがみついて、離そうとしても、離れなかったのだが……。

船に移ると俺たちは船底の倉庫に押し込められた。やつらはどうやらシークレットチェストにはかなり金目のものが入っていると踏んだらしい。箱の中身をあきらめきれないのだろう。彼女の容態が良くなるのを待って合言葉を聞こうという魂胆のようだ。

流行り病の嘘はここでも効果を見せたようだ。やつらは看病を俺に任せ、「娘の熱が引いたら知らせろ」というと鍵をかけてさっさと離れて行ってしまった。

やつらの足音が消えてから、俺は考えた。彼女が目を覚ますまではやつらは俺たちに近づこうとしないだろう。つまりそれまでは俺たちは安全だ、ということだ。

さて、どうしようか。

俺はしがみついたまま離れない彼女を抱きかかえたまま、船の倉庫を見回した。
この船はおそらく盗まれたもので元は客船ではないかと思われた。俺たちがいる船底はおそらく乗客が雑魚寝する三級船室だったようだ。
トイレやら簡単な流しなんかが備え付けてあったので長く閉じこめられても、不自由はなさそうだ。

置いてあるものは盗品らしきものが多かったが、よく見ても価値のなさそうなものばかりで、それもひどくぞんざいに置かれていて散らかり放題だった。

一番寝心地のよさそうな簡易ベッドに彼女をそっと降ろそうとしたら、リザルが目を覚まして、俺の腕を弱々しくつかんだ。

「行かないで……」

ちゃんとした意識があるのかないのかわからなかったが、とりあえず彼女を安心させなければと思った。

「俺はどこにも行かない。あんたのそばにいるから安心して眠りな」

そう言って頭をそっと撫でると安心したようにリザルは目を閉じて眠りはじめた。近くによごれていないキルトがあったので丁寧にかけてやった。

俺は立ち上がるともう一度、室内を見回した。少し高い場所に人が一人やっと通れそうな窓があり、そこから月が空に浮かんでいるのがみえる。もう夜もだいぶ更けているようだった。

大体、捕えておいて人質二人とも拘束しないなんて、考えが甘いにも、ほどがある。ありえないな、あいつらは海賊にはとてもなれないなと、変なことも考えつつ、俺は月明かりを手掛かりに倉庫から武器になりそうなものを探して回った。

ゴミの山のような荷物から当時使っていたと思われる脱出用の縄梯子と全体重をかけても折れない丈夫な棒切れを俺は見つけた。

俺はとりあえず逃走用に使えそうなその戦利品を奴らの死角になりそうなところに確保すると、眠っているリザルの横に腰を下ろした。

俺はすやすやと眠る彼女を見ながら、考えた。

この世に本当に惚れ薬なんてあるんだろうか……。

月明かりに照らされたリザルはまるで陶器でできた人形のようで、長い間見ていても飽きないくらい、はかなげで美しかった。

こんな娘に惚れられたとしたら、嫌な気持ちになる男はまずいない。しかしこの子は箱入り娘だ。もし俺に惚れてしまったのならおそらく初恋だろう。

その初恋の相手が年の離れた、しかもしがないアキアーノの俺なのだと思うと、リザルが不憫に思えた。本当ならリザルの相手はもっと若い、良家の息子あたりが妥当なのに、なんというか彼女の初恋は「災難」といってもいい。

惚れ薬の効果はどこまでつづくのかわからない。一時的なものだとして、その効果が消えたあと、彼女は俺を好きだったことをどんな風に思い出すんだろう。今の彼女にとって俺という男はどんな奴に見えるんだろう……。そんなことを思っていると、彼女が目を覚ました。

「目が覚めたか?具合はどうだ?どこか痛いところはないか?」

「あ…アキアーノさま…。はい。どこも痛くありません」

リザルは自分のいる場所に驚いているようできょろきょろあたりを見回している。

「すみません……。私……何かあったのでしょうか?」

「薬を飲んだのは覚えてないかい?」

「あ……。お薬飲んだら、急にフラフラして……」

彼女は思い出したようだった。

俺はかいつまんで、薬を飲んでリザルが倒れたこと、賊が来てシークレットチェストの合言葉を聞き出すために二人してここに閉じ込められたことを説明した。執事のじいさんが海に突き落とされたくだりではリザルは泣き崩れ、俺はどうしていいのかわからず、ただ彼女の頭をなで続けた。

リザルがやっと落ち着いて泣き止んだ頃、俺は大事なことを聞かねばならなかった。

「こんなことを唐突に聞くのはおかしいのだが……。あんた、俺のこと、どう思う?」

我ながらバカな質問だと思ったが、あの薬が本当に「惚れ薬」なのかどうかは確認しなくてはならない。俺の質問にリザルはたちまち顔を真っ赤にさせて下を向いてしまったが、やがて顔をあげると俺にはっきりといった。

「よくわかりませんが……なんだかアキアーノ様のそばにずっといたいと、とても強く思います」

「ああ……やっぱり……」

俺はがっくりとうなだれた。そして彼女に向き合うと言葉を選びながら話しかけた。

「いいか、よく聞くんだ。あんたの飲んだ薬は強力な惚れ薬で、飲んだ後に一番最初に見た異性のことが好きになっちまう薬なんだ。だからなんというか……その気持ちは、薬のせいなんだ」

彼女は俺の言葉を頭の中で反芻していたようだったが、やがてまっすぐに俺を見た。

「つまり私はアキアーノ様に恋をしたということですね。この気持ちが恋というものなのですね。書物で読んだことがあるのですが、私はずっと恋をしてみたいと思っていました。アキアーノ様のことを好きになることができて私はとてもうれしいです……」

彼女はそう口にしたあと、顔を上げて上目使いで俺のことを見上げる。

純粋なだけにリザルから発せられた言葉は戸惑うこともないストレートな表現だった。

そして俺を見上げる色っぽい表情、愁いのある、濡れたような瞳。見つめられただけでその瞳に吸い込まれてしまうような気がして俺の心拍数は一気に跳ね上がった。

(これが惚れ薬の効果なのか……)

自分の反応にも驚いて、俺はあわててリザルから目を逸らした。

「と、とにかくだ」

俺は邪念を振り払うと、当面の問題についてリザルに話した。リザルは流行り病にかかっていることになっているので、奴らが来たら寝ているふりをすること。やつらに合言葉を簡単に教えてしまえば、俺たちの命の保証がないこと。

「逃げる手立てはあるんですか?」

「考えてみるが……あんた身体、大丈夫か?その……顔が赤いのは俺のことが気になるからか?」

「よくわかりません。身体が熱くて、アキアーノ様を見ていると……心臓がとてもドキドキしています」

「立てるか?」

彼女はゆっくり立ち上がったがふらふらして頼りない。

「あんたの流行り病が治るというウソで時間は稼げる。もう少し安静にしていたほうがいいな。俺は逃げる算段をつけるから」

「アキアーノ様、お願いがあります」

「なんだ」

「お名前を教えてくださいませんか」

恋はこんな急激に人を変えるものなのだろうか。

リザルのうっとりするようなまなざしに俺はまた柄にもなくドギマギしてしまう。さっきまで子供だと思っていた彼女なのに。

「ドゥオだ」

「ドゥオ様、とても素敵なお名前です」

ささやくように俺の名前を何回か口にすると、薬のせいか、リザルはまたスヤスヤと俺の横で眠り始め、その横で俺はため息をついた。

リザルには「逃げる算段をつける」と言ったが、正直なところ厄介者をしょい込んだ、と俺は思っていた。

あのくらいのチンピラ海賊相手なら俺一人だったら、なんとか逃げおおせるだろう。

だがリザルを置いて俺一人が逃げたらどうなるか。残ったこの娘をやつらがどうするか考えると頭が痛かった。

身代金を要求するとか、良家のお嬢様としての利用価値は小悪党のやつらなら際限なくあるはずだ。どんな形にしろ、そんなことになったら俺の立場は地に落ちる。せっかく軌道に乗った俺のアキアーンでの仕事は一夜でなくなるだろう。

リザルのホッシビリタの屋敷からも先払いで大金をもらっているし、後々面倒くさいことなるのは目に見えている。

もう一つの可能性も考えてみる。リザルは薬のせいで俺に惚れている。この子を助けた上、金持ちの箱入り娘の婿になるのはどうだろう?

逆玉の輿に乗って、悠々自適な生活が送れるに違いない。リザルは器量もいいし、多少世間知らずなところは操作しやすいだろう。ただ、問題は薬の効果がどこまで続くかだ。

「ああ、どう転んでも、めんどくせぇ」

俺は床に大の字になって唸った。頭の中でどの場合が一番得になるのかを考えていたが、疲れもあったのか、気がついたら俺は眠りに落ちていた。


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