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雷の刻印【全8話】 4.閉じ込められた二人

鐘の音が船の窓から流れ込んできて、俺は目が覚めた。

鐘の音……」

うつらうつらしていたリザルもその音に反応したのか、ゆっくりと起き上った。

あれはムジュル島にある教会の鐘の音だな」

「教会……」

リザルは小さく息を吐くと、吸い寄せられるように鐘の音が聞こえてくる窓の方向に身体を向けた。
薬のせいで自由がきかないのかゆっくりとした動作ではあったが、ふらつきながら座り直すと、静かに祈りだした。

その行動に俺は面食らった。

(こんな時にお祈りか。世間知らずのお嬢様ってのは、何を考えているんだ。ずいぶんとお気楽でいいもんだよな)

しばらくその姿を見ていたが、昨日からのいろいろな考えがまとまらない上、リザルが随分長く祈っていたので、俺は次第にイライラしてきた。

とうとう、俺は嫌味なことをリザルに言ってしまった。

「随分熱心だな。どうせ無事に家に帰れるように祈ってるんだろうな」

すると彼女は不思議そうな面持ちでフルフルと首を振ると、まっすぐに俺を見つめた。

「いいえ。あなたのご無事を祈っていました」

「俺の無事だって?」

予想外の答えだった。リザルの凛とした強い瞳が俺をとらえていた。先ほどまでの弱々しいリザルとはまるで別人だった。

「私は生まれてきてからずっと家族に心配と迷惑ばかりかけていました。それなのに、みんな私を大切に、大事にしてくれました。たくさん愛してくれました。私は、何もできない自分が悲しくて毎日がみじめでつらかったのです。そんなときに毎週訪ねてきてくれるシスターが教えてくれたのです。『自分の弱さを認めなさい』と。自分の弱さを認め、大事な人を大切に想い、その人のことを祈ることから始まる強さは希望につながるのだと。今の非力な私があなたにできることといったら祈ることだけなのです」

「自分の身の安全は祈らないのか?」

意外な言葉に俺は思わず聞いた。

「はい。私のことより大切なあなたが無事でいてくださることの方が今の私には一番幸せなことなのです」

そういうと彼女は優しくたおやかに微笑んだ。
さっきまでただの世間知らずのお嬢様だと思い込んでいたのは間違いだったのかもしれない。
彼女の返答は今までとは違っていた。

真摯で確固たる強い意志を感じさせた。

俺はわけのわからないショックを感じて、また静かに敬虔に祈り始めた彼女の姿を見つめることしかできなかった。

これは惚れ薬が起こした行動じゃない……。

今までもリザルはそうやって俺だけじゃなく、彼女の愛する大事な人たちの幸せのために祈りその人たちを慈しんで生きてきたのだろう。

毎日、当たり前にしていることに違いない。

祈りを捧げる彼女の姿が美しいのは、自分のためでなく、他人のために祈るからなのだと、俺はその時気が付いた。

俺は、さっきまで、リザルをどう利用するかということばかり考えていた。

しかしリザルは俺のことを「大切な人」だと言って自分のことより優先して無事を祈ってくれた。

祈りをささげているリザルの横で、俺はきれいに磨かれた家に泥だらけの身体で立っているような、ひどい居心地の悪さを感じた。

やつらが食事を運んでくれたので俺たちは空腹になることはなかった。

 今のところは大事な「客人」なのだろう。本当に考え方の甘い小悪党どもだ。やつらは巡回する度にリザルの様子を確認していったが、彼女は俺の言うとおりに、朦朧としている病人のふりをしてくれた。

 実際、それは演技ではなく薬のせいもあったろう。
 まだ足元はおぼつかないし、薬の影響なのか、眠っていることが多い。リザルの体調が安定して二人して逃げ出せるようになるまでには、俺たちはまだまだ時間を稼がねばならない状態だった。

俺がどのあたりを航行しているのか窓から外をのぞいていると、リザルのすすり泣く声が聞こえた。

「泣いているのか?」

声をかけるとリザルが起き上った。

「じいは……やはり死んでしまったのでしょうか……」

そうか、じいさんのことを思い出したのか。

あれだけ一緒にいて甲斐甲斐しく世話をしてくれたじいさんがいなくなったのだ、無理もない。
ただ、正直言って、女に泣かれるのは鬱陶しいと俺は思った。

「まあ、あのじいさん、年の割には運動神経はよさそうだし、悪運強そうだし。無事だと思うぜ」

俺は気休めにそう言った。

「そうでしょうか?」

「ああ、あのじいさんよりもっとヨボヨボのじいさんが一週間、木切れにつかまって助け出されたのを知ってるぜ?あんたのじいさんはなかなかしぶとそうだしな。大丈夫だ。あのじいさんは大事なあんたの無事が確認されなきゃオチオチ天国にもいけやしないさ。天国の番人に喧嘩売ってでも、きっとあんたのために帰ってくるに違いない」

リザルがやっと少しだけ笑った。

「そうですね。私が嫁に行くまでは死ぬわけにはまいりませぬ、というのがじいの口癖でした」

「そうだろ?まず、あんたが信じてやらなきゃ。あんたの祈りが届けばいいな」

「はい」

窓からの光が彼女の微笑んだ顔を照らした。
リザルの笑顔をこんなに近くで見たのは初めてだったが、その愛らしい素直な笑顔に俺もついつい笑顔になった。

「あのじいさんのことを思い出しちまうんなら、気休めになんか話でもしてやろうか?」

言いだしておいて、俺は俺自身にびっくりしていた。きっとリザルの笑顔が思いのほか、うれしかったに違いない。

「はい。ドゥオ様のいろいろなお話、聞かせてください」

それから俺のアキアーノを始めたころの苦労話や、酒場で聞いた冗談みたいな笑える話をした。リザルは時に真剣に、時に鈴のように笑い、コロコロと表情を変えて聞いてくれた。

反対に、俺がリザルの話も聞きたいというと、彼女はうれしそうに家族の話をしてくれた。

生まれたときから身体が弱く、病弱だったリザルは十五歳まで屋敷から出たことがなかったそうだ。
父と母と二人の兄、たくさんの使用人がいるけれど、何もできない自分に、全員が優しく大切にしてくれていること。
執事のじいさんとその奥さんはいつも付きっ切りでリザルの世話をしてくれていること。
ホッシビリタにあるリザルの屋敷はとても広くて、身体の弱い彼女はまだ全部の部屋と庭をみたことがないこと。
学校にも行ったことがなく、友達はいないけれど、家族と使用人の人たちすべてが自分の大切な人なのだということ。
唯一のリザルの友達は、本であったこと。

「少しずつ、外に出られるようになって、本に書いてあることが本当のことなのだと毎日確認できるのがとても幸せなのです」

そういって彼女は微笑んだ。
こんな命の保証もないときなのに、俺も、おそらく彼女も不思議と退屈しなかったと思う。

俺が笑うとリザルも笑い、俺が辛い昔話をすると彼女も辛そうな表情になった。

まるで鏡を見ているようなリザルの素直な反応が俺は楽しく心地よかった。

こうやって人と人は歩み寄り、少しずつ分かり合って、共感しながらつながっていくものだったな……。
そんな当たり前のことを、彼女を通して俺は久しぶりに思い出した。

夜になり、リザルはじいさんのことを思い出し、泣くことがあった。そんなとき俺は手を握り、頭をなでてやった。

すると安心しきったようにやがて寝息を立ててリザルは夢の世界に落ちていく。

俺という存在を疑うこともなく、すべての信頼をゆだねているその姿はまるで子犬のようだった。

穏やかな彼女の寝顔を見つめながら、俺は今日の昼間のことを思い出した。

アキアーノについて話してくれというので一日の仕事内容を話した後にリザルが言ったのだ。

「ドゥオ様は世の中の人のために一生懸命お仕事されているのですね。尊敬します」

そう邪気のない瞳で見つめられながら言われた時、俺は言葉に詰まった。

胸の中にずっとたまっていた毒が一気に俺の全身を駆け巡り、心が耐え切れずに悲鳴を上げた気がした。

俺が、アキアーノになった理由……。

 リザルの言葉は俺の遠い記憶を手繰り寄せた。

 はじめて船に乗った時に、どんな細い運河でも巧みに抜け出し、海に漕ぎ出すアキアーノが水路の魔術師のようだと感動したこと。
 時間があれば運河に行って、飽きもせず、アキアーノの仕事を眺めていたこと。
 誇りを持って仕事をしているアキアーノに出合うたび、俺もいつかあんな風になりたいと強い憧れを抱くようになったこと。
 そしてアキアーノになって初めて船に人を乗せて「ありがとう」と言われ、その夜はうれしくてなかなか眠れなかったこと。

 純粋に船に乗ることだけが幸せだと思ったころがずっと遠い昔に思える……。

最近の俺は金儲けや、いかに楽で効率のいい仕事を探すか、人をどうやって出し抜くのか、そんなことばかり考えていた。いつから俺はこんなガツガツした男になってしまったんだろう?

腕のアザが、思いだすたびにジンジンと痛いくらいにうずいた。

ずっとずっと、気づかないふりをしていたのに。

リザルに会ってから、ことあるごとに、ずっとアザはうずいていた。

その時、窓の外からまた鐘の音が聞こえてきた。
リザルを見ると寝息を立てて眠っていて、起きる気配はない。

起こしてやるかどうか少し悩んだが、この安らかな寝顔を乱したくはなかった。

「仕方ない。俺が代わりに祈ってやるか」

俺は起き上ると彼女を横目で見てから、両手を自分の胸の前で組み、祈り始めようとしてからハタと動きを止めた。

何を祈ろう?

 大体、祈るなんて何十年ぶりだろうか。
とっくに祈り方なんか忘れてしまった。彼女と俺の無事。
じいさんが助かるように。見たこともない彼女の大切な人たちが幸せであるように。きっと彼女が起きていれば、こんなことを祈るのではないかと思うことを俺なりになぞっていく。

不思議だ。

彼女のそばにいると心が洗われるような、俺自身がまた新たに生まれ変われるような気持ちになっていく。
薬のせいとはいえ、リザルが恋するに値する男に俺は少しでも変わっていけるだろうか……。

まて、俺は何を考えている?

「この娘といるとどうも調子が狂う」

祈り終わったあと俺は苦笑しながらつぶやいたが、心の中はどこか懐かしいすがすがしい気持ちでいっぱいだった。

彼女の俺を見つめる瞳は明らかに恋をする女のものだった。
会話しているときも、何度も俺のことをせつなげに見つめている。

しばらく恋人のいなかった俺からすると久しぶりに注がれる熱い視線や、照れてしまうくらいのストレートな褒め言葉に戸惑い、時に逃げ出したくなったが、リザルという人間を知れば知るほどそれはひとつひとつ乾ききった俺の心に心地よく沁みこみ、時に俺の胸を揺さぶった。

けれど……。

リザルが俺の話を熱心に聞いて気持ちに寄り添い、俺のそばで全てを委ね安心して熟睡するのは惚れ薬の効果だろう。

――全ては、惚れ薬の効果――

 そう思う度に俺は時々正体不明の感情に囚われるようになり、それは次第に強く俺の胸を締めつけていった。

俺は時間があれば倉庫の小さな窓から海を見て、船がどの海にいるのか確認していた。なるべく町に近いところに船が近づけばそれだけ逃げられる可能性は高くなる。

三日目の朝方、彼女の体調がやっと落ち着いたと思えるようになった頃、俺は船がまたアキアーンに近づいたことを確認した。俺はリザルに言った。

「逃げ出すいい機会だ。あいつらは武器を持っている。俺にはこの丈夫な棒きれだけだ。危ないことになるかもしれないが、それでもなんとか逃げ出せるようにするから」

彼女はこくりとうなずいた。

「あんた、怖くないのかい?」

普通はこんな話をすれば、彼女のような箱入り娘は怖がりそうなものだったが、リザルからはそんな様子は微塵にも感じなかった。不思議に思って俺が聞くとリザルは静かに話し出した。

「私は小さいころから病弱で、屋敷の外へ出ることはほとんどありませんでした。使用人の人たちはとても優しくしてくれたけど、お友達もいませんでしたし、ずっとさみしい思いをしてきました。このお話はドゥオ様にいたしましたよね」

「ああ」

「アキアーンの露天商のおじさんにその話をしたら『これを飲めば世界がバラ色になるよ』ってあのお薬を渡されたのです……。たとえこれが毒薬でも、今まで知らなかった幸せを感じることができるなら私は構わないと思いました。人は、どうやって長く生きるか、ではなく、どれだけ素敵な時間を誰とつながって生きるか、だと私は思うんです」

一見、陶器のようにはかなげに見えるリザルの瞳を俺は見つめた。そこには、ずっと孤独と戦って、計り知れないさみしさを乗り越えたたおやかな強さが宿っていた。

 リザルが口にする言葉のひとつひとつに、俺の心はひどく揺れた。

「あなたを好きになれてよかった。こんな幸せな気持ち今まで感じたことがありません。こんな場所でも、たとえこれから何が起ころうとも、あなたが傍にいてくれたら私は何も怖くないんです。不思議ですね。これが人を愛するということなんでしょうか」

 まただ……。

 正体不明な気持ちが俺の胸の奥をギュッと締め付けた。

 今度という今度は、胸が苦しくてどうしても彼女を見ていられなくなり俺は思わず目を伏せた。すると彼女が悲しそうに、そして心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

「なぜですか……」

「何がだ」

「なぜ、私があなたのことを好きだというと、あなたは必ずとても辛そうなお顔になります。私があなたを想う気持ちは、ドゥオ様にとって、負担でしかないのでしょうか……」

俺は彼女の顔を見た。

そうか……そうだったのか……。

 俺はこの見え隠れしていた気持ちの正体と、今ここで俺が彼女にすべきことをその瞬間に悟った。泣きそうなリザルの頬をそっとなでると晴れ晴れとした気持ちで俺は宣言した。

「心配するな。あんたのことは、俺が命に代えてでも守り抜いて見せるから」

にっこりと笑いかけると、目にうっすら涙を浮かべていた彼女が応えるように俺に微笑んだ。

「あなたの笑顔は、本当にイケメンで素敵で大好きです。」

この「イケメン」というのはジンシア島ですれ違った若い女の子たちが使っていた言葉を耳にしたのだそうだ。

 初めてきく言葉に、リザルは彼女たちを思わず呼び止めた。

 どういう意味か聞くと「キラキラしているくらいかっこいい人」という答えが返ってきたのだそうだ。

同世代の女の子たちが使う言葉をリザルもどうしても使ってみたかったのだという。

 時々俺に向かって「イケメンで素敵です」と繰り返した。それを聞くたびに俺はくすぐったい気持ちになったが、そのぎこちない使い方がリザルらしくて好きだった。

 あんたの笑顔も負けないくらい素敵だよ、と俺は心の中でこっそりつぶやいた。


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