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Irene's Ghost:三歳のときいなくなった、謎の母親をさがす旅
愛する妻と、かわいい娘とともに、しあわせな家庭生活を送っていた、イエイン。今や自分が親となったイエインは、娘の成長を観察しながら、自分の子供時代のことを思い出していた。
イエインの母親であるアイリーンは、かれが三歳のときに亡くなった。父親は、アイリーンがどういうひとだったのか、ほとんどまったく教えてくれなかった。どうやって死んだのかも、よくわからなかった。
三歳の子供は、親に対する大きな愛情を持っている。それなのに自分には、それを注ぎこむ対象である、母親がいなかった。イエインはどこにでも、アイリーンの面影をさがした。玄関のドアがあく。そこにいるのは、お母さんの幽霊なのではないか?
子供の頃のイエインは、そうやってずっと、アイリーンの幽霊と一緒に、暮らしてきた。
十八歳のとき父親は、かれが持っていたアイリーンの写真やジュエリーなどが入った箱を、自分にくれた。そのときはじめてイエインは、母親の写真を見たのだった。
そんな喪失感をずっと心に抱えたまま育ったイエインは、子供時代の喪失を埋めるため、アイリーンがどういう人物だったのか、なぜ亡くなったのかの謎を解くための、旅に出ることにした。
謎の探求のお供は、カメラ。アイリーンさがしの旅を記録することで、失われた記憶を、取り戻そうとしたのである。母親の故郷に出向くと、彼女の友だちが、アイリーンの話をしてくれた。イエインは母親の人物像を、彼女たちの話から、想像して組み立てていった。
そうして探偵作業をつづけていくうちに、母親の病気が、産後の精神病(postnatal psychosis)であったことを知った。父親もそれを知らなかった。1970年代には、まだそういう病気が、きちんと認知されていなかったのだ。イエインの母は、あたかもいなかったかのように、葬り去られてしまった。イエインという息子だけを残して。
Irene's Ghost『アイリーンの幽霊』を、わたしは、ロンドン・フィルム・フェスティバルで、偶然見た。映画の前には、生身の監督さんが、ポツポツとエピソードを語るトークがあったのだが、このトーク+映画の生々しさは、かなり半端なかった。今これを書いていても、胸がしめつけられそうになる。
映画のトークで監督が話すのはよくあるが、このドキュメンタリー映画の場合、映画に出てくるひともかれ自身だし、何よりこれはかれ自身の母の探求を描いた映画である。かれの父親などの肉親も、客席の後ろの方に座っていて、あとでみんなで輪になって話していたりする。
映画は、アイリーンの記憶をたどるかれの軌跡の実写と、再構築されたアイリーンの記憶のファンタジー性を表現する、アニメーションで構成されていた。監督自身が自分の子供時代の喪失を埋めていくために撮られた、映像=人生の探求の物語である。
最初から金儲けのために作られたエンタメ作品は別だろうが、映画や芸術の原点は、表現衝動は、考えてみれば、こういうところにあるのだろう。
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