見出し画像

ノートルダム大聖堂の再建は、どのようになされるべきなのか?

2019年4月15日、ノートルダム大聖堂の尖塔などが火災で崩壊したというニュースは、全世界で拡散するくらい、大変な反響を呼んだようだ。わたしも最初に知ったときは、おそらく誰もがそうであったように、あり得ない、と目を疑った。

しかししばらくして冷静に考えてみると、そもそも4月15日以前のノートルダム寺院は、1163年に着工し、1345年に完成した姿であったわけではない。フランス革命の際、あちこちが破壊されてしまったからである。

ヴィクトル・ユーゴーは、ミュージカルやディズニーのアニメにすらなっている『ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)』(1831)を書いて、国民に大聖堂の復興を訴えた。文学作品が、国の修復決定に影響を与えたのである。

修復工事のデザインは、ヴィオレ・ル・ディクを中心とするチームが担当することになり、工事は1845年に始まった。かれの理論は、「建築の修復は、それを保存したり、修繕したり、復元することではない。それはある時代に決して存在していなかったような、完全な状態に戻すことである」、というもの。

ル・モンドの「歴史的建造物の復元(Reconstruire le monument)」というヴィデオによれば、それは「つまり、美しければ、歴史的に真正である(authentique)ことは重要ではない」ということらしい。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=2cILvxB70Bs

焼け落ちた尖塔は、当時はすでに失われていたものだった。ル・デュクは、残存したデッサンを発展させて、10メートル高くしたうえ、塔の土台の部分に彫像を付加することにした。その彫像のモデルは、なんと自分自身やスタッフだった。

マクロン大統領は、ノートルダム大寺院を5年で「もっと美しいものに」再構築する、という声明を出した。「もっと美しいもの」とは、どういう状態を指すのだろう。ル・デュクの顔ならぬ、自分の彫像を添えるのか、というのは、冗談だが。

文化財は誰のものなのか。このことをめぐっては、議論が絶えない。それは大衆のものなのだから、大衆が喜ぶように、つまりかれらが美しいと思うようにデザインすべきだ、という意見がある。歴史的真正さなど二の次、というわけ。

ル・デュクは歴史的建造物の再建に、19世紀の新素材である鉄を用いるべきだ、という考えを持っていた。現在もこういう考えを継承する向きもある。

日本の建造物は木で作られているため、定期的な修復が欠かせない。例えば伊勢神宮は20年ごとに、木で伝統的職人の方法を守って、修復がされているそうだ。文化財の修復を、このように歴史的真正さを守ってするべきなのか。日本とヨーロッパでは事情がまったく違うから、そういうことではないのか。

音楽で演奏をアレンジしていくように、歴史的建造物もアレンジしていっていいのだろうか。民衆つまり観光客が喜ぶような、「美しい」建物を作ればいいのか。マクロン政権は、次代の「美しい」ノートルダム大聖堂を、自分の手柄にしようとしているのか。

次代の大聖堂がどういう理論(イデオロギー)のもとに、どのようなデザインで再建されるのか。今後注視していくべきなのは、その点のようである。

#フランス #パリ #ノートルダム大聖堂 #文化財 #文化財の修復 #ヴィクトルユーゴー #ノートルダムドパリ #ヴィオレルディク #マクロン大統領 #伊勢神宮 #田中ちはる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?