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絶望への通知は突然にやってきた

2022年2月22日、約2カ月の片思いが終わりました。

私が勝手に好きになった人には彼女がいることを知りました。

インスタをやめたくなりました。

インスタは知りたくないことまで知らされてしまう、取り扱い要注意危険物であると思い知らされました。

どうやら私は誤った使い方をしてしまったようです。

これから好きになる人のインスタはできるだけ見ないようにします。インスタなんてやめてしまいたいです。

本当に大事なことはSNSなんかにはないと、内心冷めた心で手持ち無沙汰な時に見たり、たまに投稿したりしていました。

その冷めた態度で利用していたことが良くなかったのでしょうか。
インスタに一蹴されました。

ここ数日、これまで抱えていた様々なことが一気に進み、明るい兆しが見え、調子が上がっている状態だったなかでのまさかの出来事でした。

全て手に入れることはできない、というありきたりなセリフが浮かんできました。

物やお金、目に見える成果など何事においても、手に入れたいという欲、手に入れたという感覚は持たないようにしていたつもりでした。

なので、良い出来事の引き換えに失恋がやってきたとは思いたくありません。

片思いなんて煩悩の塊でしかないと自分に言い聞かせても好きな人のことは頭から離れてくれません。

こういう時にこそ仏教の教えを思い出して、心を鎮めないといけないはずなのに、こういう時に限って仏陀も親鸞も私の心にやって来てくれません。

私の修行不足です。

その人を思い出す要因となる音楽、本、服、場所が、今日以降は私にとって何の意味もないものになってしまいます。

そもそもこの世に存在しているものに最初から意味なんてありません。

普段なら、そうやって哲学的に考えて問題を追求していく過程を楽しむことができます。

でも今はそんな思考をするパワーもないし、そんなことを考えて何が楽しいのかもわかりません。

普段なら聞き流す失恋ソングが、私の耳をすり抜けることなく心まで入ってきます。

そうやって好きになっては絶望することを繰り返すことで、新しいものに出逢ってきたはずなのに、第一ダメージはやはり堪りません。

好きだった人のことを考える暇もなくなるくらい、
いろんなことが一気に舞い込んできたので、それらに集中するために与えれたことだと受け止めようと思います。

でもそんな暇がないときでも思い出してしまうのが、叶わなかった片思いの憎いところです。

気分が沈みモードのときに開く『20代で得た知見』に寄り添ってもらって、しばらく明けない夜を過ごそうと思います。

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