新たなローカル性を生む、築101年セルフビルドの宿(埼玉県川島町・中里家)
「空き家×大隅半島×セルフビルド」で活動をしていると、ときたま(というかしばしば)信じられないようなご縁に恵まれることがあります。週末に訪れた埼玉県・川島町の【百年古民家 中里家】も、まさに空き家が運んできてくれたご縁の連続でした。
今年5月のある日。懇意にしている料理家大先生であり、ソウルメイト&ご近所の蓮池陽子さんより、「おもしろい古民家宿があるから、行ってみない〜?」とお誘いいただきました。
「THEDDO./スッド」の活動を初めて早2年、「空き家」「古民家」「リノベーション」「セルフビルド」あたりのワードを聞くともう条件反射的に「いきます!!!」と答えてしまう私は、その時も秒で答えていたのですが、5月の日程が大雨でリスケ。今回ようやく8月末に訪問が叶ったのでした。しかし今回もノロノロ台風10号とともに上陸。気をつけて向かいます。
都内から電車で1時間ほど。埼玉県の「指扇(さしおうぎ)」という初めて降り立つ駅でオーナーさんと待ち合わせのはずが、あれっ?いない。集合場所のロータリーには、救急車しかいません。
と思ったら、そちらがまさかの宿のオーナー・SHUさん(中里修一さん)でした。なんと地域から救急介護車を譲り受け、キャンピングカーにすべく車もセルフビルド中なんだとか。登場シーンからもうすごい。
【百年民宿・中里家】家主であり、ツリーハウスルビルダー/パーマカルチャーデザイナー/アーティストとして、木工を中心としたものづくりや、国内外のフェスやイベント会場のデザインから施工までも行うSHUさん。
今回は「中里家」に1泊させていただきながら、SHUさんにとっての空き家&セルフビルドとは?そしてこれからの「中里家」の展開をこの地でどう進めていくべきか?を、一緒に議論していきます。
ツリーハウスでつながるご縁
もともと、お父さんが個人設計事務所を営んでいたというSHUさん。ご自身も建築学科を卒業し、就職氷河期のなか、いくつかの会社で建築設計部門や事業立上げ運営等に携わったそうです。激務をこなすなかで心身のバランスを崩し、人生をリセットしようと次の仕事を決めず、2011年1月無職に。ゆっくりとこの先の人生を考えていた矢先に、ツリーハウスクリエイターの小林崇さんとの出会いや、東日本大震災を経験し、
と思ったそうです。年収やスペックを追い求める人生ではなく、「『やること自体が楽しいと思えること』で生きていきたい!」 と思ったのだとか。その後、小林さんの主催するツリーハウスビルダー養成講座に参加し、ツリーハウスの世界にのめり込んでいきました。自分のスキルを活かしたいとか、何者になりたいとかではなく、ワクワクする世界観やツリーハウスへの憧れと、その過程がみんなの心をひとつにするプロセスに自然と惹かれていったそうです。
そしてなんとびっくり。スッドのメンバーが所属する「NPO法人たがやす」の所属メンバーが代表として運営している「錦江町ゲストハウスよろっで」にも立派なツリーハウスがあるのですが、それを子どもたちと一緒に作ったのはSHUさんだったとか!えー!あのツリーハウス、SHUさんだったの!?早く言ってよ〜〜。まさかの埼玉経由でつながる大隅半島のご縁。そんな会話からスタートしました(笑)
蓮池さんとSHUさんはもともと、奈良県のキャンプ場「WASAMATA HUTTE」のプロジェクトチームメンバーとして出会ったそうですが、何を隠そう私も昨年10月、こちらへオープン日に宿泊し、SHUさんのツリーハウスにご本人よりも先に出会っていました(笑)こんなこと、あるんだね。
稲作と賢者の町、川島町
さて今回のお題は、今年3月にオープンしたばかりの「中里家」が今後どんなコンセプトで打ち出していくべきか。また今後、宿を起点とした地域連携や各種イベントなど、どのような展開をしていくべきか、みんなで一緒に体験しながら議論していくことです。
特に「中里家」のある埼玉県川島町は都心からの便もよく、良くも悪くも「ローカル」という印象がないので打ち出し方に悩む側面もあるとのこと。今回、料理家の蓮池さんと自分、そして編集者のなおさん3人で訪問させていただき、「中里家」の周辺を実際に見て周りながら、それらを議論させていただきます。
まず訪れたのは、「中里家」と同じ川島町で、寛政元年(1789年)に創業した「金笛醤油」さんの運営する「金笛しょうゆパーク」。ここ川島町は、古くから「小江戸・川越」のお膝元で、だからいまでも町中いたるところでたくさんお米を作っているし、昔ながらのお醤油屋さんもあるんだそう。
この日は、平日にもかかわらずレストランは満席。昔ながらのこだわりの醤油から、しょうゆソフトクリームなど、とても素敵な商品が並びます。
その後、金笛醤油さんのお醤油も使っているという「中華そば 四つ葉」さんへ。こちらもものすごい行列。なんとこちらのお店、元々はお寿司屋さんだったといいますが、現在はラーメンがメインで、サイドに「にぎり」があり、この日はまぐろと鯛のお寿司が二貫つけられるとか。なんと贅沢。
そして川島町を周っていると、なんとうどん屋さんの多いこと!しかもどこも満席。SHUさん曰く、もともとお米は献上する高価なもので、ほとんどが川越へ納めていたので、地元民はそれ以外の穀物や小麦を食べていたからではないかと。加えて、お醤油もある。とくれば、やっぱりうどん!ということで、うどんが定着していったのではいないか。(そういえば香川県も、日照時間等が小麦の育成環境に向いていた背景もあり、小豆島にお醤油もあるし、うどんが定着していますね)
そこから「食」好き4人のうどん談義が止まらない!
そういえば、関東ってうどん多いよね。水沢うどん(群馬)に武蔵野うどん(東京)。耳うどん(栃木)、おっきりこみ(群馬&埼玉)など。
関東じゃないけど、もう少し北まで行けば稲庭うどんに山梨県のほうとう。九州は北の方はうどんが有名だけど南九州は実はあまりなくてラーメン文化だね、などなど。麺から見る地域性は、とっても面白い。
その後、一同は川島町内にある「遠山記念館」へ。
こちらは地元出身の名士・遠山家が暮らしていたという、美しく大きなお屋敷。当時の最高峰の技術や資材等をふんだんに使った豪農・書院造り・数寄屋造りの3棟からなる建築で、現在ではもう建てることができないといいます。
旧日興證券(現SMBC日興証券)の創立者・遠山元一氏が、生家再興も兼ねて建てたという邸宅や庭の美しさはもちろん、この地域から現代経済を生んだ偉人が生まれ、今もなおその背景や環境、スピリッツに触れることができる場所が近所にあるというのは、素晴らしい地域資源ではないか。一行はとても感動し、途中から言葉を失いました。川島町、すごい。
地域を守りゆく神様たち
その後、SHUさんが「たべられる森」をつくろうと、子どもたちとツリーハウスをつくっている離れの森などを見ながら(こちらは大雨で写真が撮れず)、「中里家」へ向かいます。
「中里家」の入り口には、とても美しい神様たちと金毘羅さんがいらっしゃり、また指扇駅を出た時から思っていましたが、この地域には本当にたくさんの神社があり、それだけではなく、田んぼのそこここに、さまざまな神様たちがいらっしゃる。そして神様たちにひとつひとつ手作りの木造屋根が付いている。これはスッドのお膝元・大隅半島ではあまりなく(おそらく高温多湿で長く持たないためと思われる)、また神様の出立ちや表情も異なります。
ここ川島町では、不動明王のような神様が多いことからも、どちらかというと厄除けの神様が多く、建てられた年号を見てもちょうど飢饉の時期などでもあり、お米の不作や飢饉などから救うべく建てられた神様が多いのかな、などと考えていました。合掌。お邪魔します。
そして「中里家」敷地内には、とうもろこしやオクラがなる畑や鶏小屋があり、朝には元気な声で鳴く鶏たちが、豪華庭付きセルフビルドハウスで暮らしています。贅沢。
一歩入ると、そこは森の山小屋だった
「中里家」の土間玄関を入ると、そこから急に森の山小屋を訪れたかのような別世界が広がります。
ご自身曰く「あまり料理はしない」といいますが、長く「パーマカルチャー」を学び・実践し、インドへもよく訪れるというSHUさん。棚には所狭しと自家製のシロップやお茶、発酵玄米などが並んでいます。その光景は、さながら山小屋・発酵ラボのよう。
*パーマカルチャーとは
「パーマネント(持続性)」と、「カルチャー(文化)」&「アグリカルチャー(農業)」を組み合わせた造語で、農業などを軸とした持続可能な暮らしのこと
もともとこの家は、SHUさんのひいおじいさんが建てたおおよそ築101年の家。明確な年数はわからないようですが、言い伝えでは完成してすぐに関東大震災があったとのことで、今年でおおよそ101年。奇しくもふたつの大きな地震を機に、さまざまな運命を辿ってきたご先祖様とSHUさんと、この家。どのような環境や思いで、SHUさんのご先祖さまは家を建てられたのかなぁと想像が膨らみます。
日本の里山で「パーマカルチャー」を育む
現在は敷地内にある別棟でSHUさんやご家族は暮らしていますが、この家の掃除や不用品の片付けは相当大変だったようで、ゴミ処理場が近くにあるのが功を奏したというものの、トラックで何十往復もしては、処理場のおじさんと仲良くなったのだとか。比較的最近、似た経験を持つスッドも他人事とは思えない心持ちでお話を聞きます。
「とにかく最初の片付けと施工が1年間ぐらい、それが大変だった」と振り返るSHUさん。なんとかそこまで終えると、そこからはご自身でできる範囲も増え、インテリアや家具などをひとつずつ設えていったのだとか。
この「中里家」以外にも、広大な森や田畑も手入れし管理しているSHUさんは、自ら学び得た「パーマカルチャー」の理論と、日本の里山では、またアプローチも異なり、それに応じた視点や対応が必要になってくるといいます。
「『パーマカルチャー』は、もともとオーストラリア発祥で、広く欧米に発展した理論。 1960年代ごろから、いきすぎた資本主義や産業開発、環境破壊などに警鐘を鳴らし、"いかに自然の仕組みを活かしながら土地や人間が豊かになっていけるか"という発想が根底にあるもので。あらゆるシステムをデザインしながら、どう荒地を緑の楽園にしていくかという強いベクトルを感じるのだけれど、日本はそもそも二千年も里山暮らしで、稲作を行いながら持続可能な暮らしをしてきているし、ほっておけば信じられないくらい雑草が生えるし、土地はどんどん自然に還っていくので、『手入れの思想』『いかに引き算・選択をしていくか』という視点が必要なのではないかと。それらの視点を踏まえ、日本ならではの『パーマカルチャー』を実践していかないといけないんだよね」とSHUさん。
ちょうど今月、大隅半島で「竹狩の乱2024」という名の自然との闘いを終えてきたばかりのスッドには、首がもげるほど頷いたお話でした。
多様な視点と理論を、いかにその土地に根ざして再解釈し持続させていくか。「パーマカルチャー」とSHUさんの視点は、まさに現在の空き家課題に必要で、いまのスッドが大切にしたい視点でもありました。
「中里家」が提案する、新たなローカル性
その晩、みんなで料理をして、ご飯を一緒に食べながら、信じられないぐらいたくさんの今後のコンセプトや施策案が出ました。
「中里家」と川島町には、すでに素晴らしいデスティネーションとなりうる地域資源や食文化・歴史がたくさんある。そしてそれらは、この地域に「中里家」のような宿がないと知られない・体験できない「新たなローカル性」である。
何よりも、ツリーハウスビルダー/パーマカルチャーデザイナー/アーティストという多様なバックグラウンドを持ち、「パーマカルチャー」の実践者であるSHUさんに会い、それらを体験的に学べること。そしてそれがたった都心から1時間で通える距離であること。(スッドには、ここがとってもうらやましい!)
これらの前提を起点に、国内外向けや各種施策・イベントなどの案がそれはもうたくさん出ました。同じ圏内で地場食材を使うシェフとの協働提案や、SHUさんが敬愛する著者・教授の方をお招きしての講演会&ワークショップなどなどなど。
スッドもまたSHUさんに大隅半島へ来てもらいたいですし、これらの実践で、またお手伝いできることがあれば、空き家を起点としたヨコ連携として一緒にやっていけたらと思います。
SHUさん、皆さん、ありがとうございました!!
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