ちょっと先の未来まで。
過去を掘り起こす頻度をもう少なくしたい、だなんて言ったのに難しいですね。
新しい生活が始まるというのに、地に足が着きすぎてる感じが正直違和感でしかない。
(新しい生活とは言えど、長く働いてきた会社に戻ってくるわけだし、おかしくはないけどさ?)
今までは、今までの生活が終わること、私の意思ではなく時間で区切られて変化が起きる変化がとても怖かった。
本や映画の終わりみたいに、描かれることの無い未来へ放り出されるような。
死ぬんじゃないかって勝手に怖がってた。
それが全くないのも、もはや怖い。
怖がりたいんだろう。何も知らないことに対して恐怖を抱くことは今しかできないし。
とは言え、今までは、未来を見ることはものすっごい恐怖でしかなくて、見ないようにしてきた。
今日と明日と1週間後。それくらいが限界で。
1ヶ月後を考えることも怖い。
それがもうすぐに迫った入社式が怖くない。何も分からない日々が待ち受けているけど「きっとなんとかなる」と思えている。
もちろん1年後や3年後を見ることは怖い。未来は怖い。
でも「きっとなんとかなる」と思えている今って、すごい進歩じゃない!?
未来を考えるなんて当たり前じゃない?って思われても仕方ないけど、私にとっては出来なかったこと。
理解されなくても、自分だけは理解して褒めてあげたい。
私には「どうなりたいか」なんてないし、「数年後どうなってたいか」なんて見当もつかない。
自分にも、未来にも、希望を持つことが怖い。未来に約束を作ることが怖い。
だから「こうありたいけど、今は難しいから、努力して近づきたい」を目標にした。
とは言いながら、私は生きることを肯定したいだけであって、大それたことは言えない。
寝て起きて、目の前の人と一緒にちょっといいことをして、気づいたら幸せになってたい。
つまらない人間なのかな。
向上心のない良からぬ若者なのかな。
そう思われてもいいから、
へらっと幸せになってたい。
生きるを肯定したい。
こうやって、未来のずっと先を見るのは、未だに逃げてしまう。
今日から、学生の肩書きは無くなった。
学割も使えないし、ちょっと安く映画も見られない。
大人って楽しいの?
大人って自由なの?
大人の世界にとっての幸せってなに?
22歳には分からない。
今日から社会人。
未来なんてまだまだ見ないふりしちゃうお年頃だけど、ちょっと先の未来は見据えてる。
一足先に、会社も、大人にとっての働くも、覗いてきたからこそ、ちょっと先の未来には期待したい。
未来を今日にするのは、時間ではなく私だ。
ずっと先の未来を見ることが怖いからこそ、1寸先の明日を丁寧に見つめて、今日を丁寧に生きてゆくのです。
毎日、ちょっとでも好い明日を作っていきたいな。
ぽぽぽ。
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