《ものおもい日記》0802*外向的or内向的の話
テスト期間中にこんな文章書きました。
https://c-kotoba.theblog.me/posts/19703393/
なんかInstagramでよく見ている思想がバチバチ〜って人が前世のことについて語られていたので、
私自身の前世が気になって仕方がなかったのです。
オンラインで占いしてもらった結果、
私の前世は「生涯孤独の尼僧」だったそうです。ウケる。
人間の醜さを思い知って、尼僧になって、誰もいない山奥でずっと修行をしていたみたい。
占い自体は好きなんですけど、前世とかってあまりにもぶっ飛びすぎてて、今まで占ってこなかったものだから超面白かったです。
なんか腑に落ちました。笑
さて、前世も相当内向的な人間っぽかったのですが、
現世の私もかなり内向的な人間だと自負しています。
例えば、人と会話をすることが幸せであり、心の回復に重要なことだと言われている中、
私は人と関わるとエネルギーの消費が著しいため、まずは内省と自己対話をして、人と関わることに備えるタイプの人間です。
私にとって生きる体力の回復は、内省と自己対話によっておこなうものだったりします。
「いつでも相談してね!」とよく言われるのですが、人と話すのも結構準備がいるんだ!ごめん!気持ちだけありがとう!って気持ちです。
……よく言われる生きづらさ緩和策と、自分に合った生きづらさ緩和策は違うのです。
あっ、あとは、外向的な人間が素晴らしいという観点になりがちだよなぁということを考えたりしてます。
ストレートに外向的な人間=素晴らしいではないけど、「人と関わることが好き」「活動的」「社交的」であることが美しいみたいな刷り込みの多い社会だなと感じることが多いです。
ヒカリテラスという団体の設立経験や活動をしているからか、外向的な人間であり活動的な人間だと思われることが多いし、それを見込んで繋がってくださる方もいますが、実は全く逆です。
(ついでに書くなら、ヒカリテラスのメンバー自体も内向的な人間が多いです。笑)
そして、最近Twitterしんどいと思う理由もそれです。笑
まわりで流行りだした1on1という取り組み?がありますが、
雑談よりも本質的な議論を好む私にとっては物足りなかったり、初対面の人と話すことで不安感の方が強かったりと向かないなぁと感じます。
何より、考えるよりも動く!という行動しよう!という思考には、着いていくのが心苦しい部分があります。
私はゆっくりじっくり着実にが好きですし、私自身が納得するまではギアがかかりません。
(スピードが求められる時は合わせることもできますが笑)
最近のTwitterのタイムラインってどこか自己啓発チックかつ、外向的な人々向けの情報が多い。
(そして心無しか、印象に残そうとしているからか言葉の圧が強かったり、どこかトゲトゲしかったりする。)
と私は思っていて、内向的な人々にマッチする世界線はどこやねん〜!って気持ちになります。
内向的な人間だと言い張る私の愚痴ですね。すみません。
ごほん。
以前インターンで、インタビューをさせてもらった社員さんが話してくれたことがとっても印象に残ってます。
(文面にすると、かなりストレートパンチな表現になりそうなので、記事には書けなかったのだけど。)
「自己肯定感を高めることが正しいとは限らない。自己肯定感が低い人が闇雲に高めることに注力することは、幸せになる遠回りだったりする。」(みたいな。)
あーーーーーわかるーーーーーー!
ってボタンを連打するくらいには共感したんです。
これって外向的とか内向的にも同じことが言えるような気がして。
今の社会って、幼い頃から外向的な人間が評価される軸しかないからこそ、
内向的な人間であっても、「外向的な人間になることが正しくて美しいことである!」みたいな思考が強いと思います。
だから、無理に人脈を広げたり、活動量を増やしたりして疲弊させてしまうケースをよく見かけます。
外向的パロメータが60-100%の人がうじゃうじゃいる外向的選手権に、外向的パロメータが30%ほどの内向的な人間は勝ち目がないと思いませんか?
頑張ってパロメータを上げたとしても、疲弊しきっちゃってヘルシーに戦い抜くことは難しいですよね。
じゃあ、外向的選手権に挑まず、別のところにステージを移した方が良くないですか?というお話です。
ここでの話は、「いかに自分を矯正することなく、自分の生きやすい、幸せを追い求めながら、活躍できるか」が軸です。
その軸で考えた時に、内向的な人間と言い張る私は、外向的な軸で評価されるステージを捨てて、内向的な軸で自分を愛せる心の環境を作る方がいい!
と思った次第です。
私は外向的な人間でないため、活動的であり社交的であるという分野ではドベですが、
深く考えることで閃く力や、狭く深く人と向き合い続ける力、じっくりと出来事を振り返り見つめ直す力においては自信があります。
え?それで良くない?って気持ち。
全員が同じ評価軸で評価されることって、私にとってはモヤモヤポイントのひとつです。
そんなの学校のテストくらいで良くないですか?
どんな人にも長所や短所があるのに、外向的な軸だけを見て評価されるなんてナンセンスです。
評価軸が○○だから、こういう人が評価されるからという起点ではなく、
自分にとって何が幸せであり、何が自分の美学であり、何が自分にとって生きる力の補給、向上に繋がるのかという、自分軸を起点にすることが大切ですよね。
だって、評価する人と人生永遠一緒にいるわけじゃないんだもん。
というようなことを考えました。
おやすみなさい。
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