《ものおもい日記》0528*内省して自己解決してしまったやつ。
私は、何か社会に対してやってやるぞ〜って活動をしている時、何度も、というか常に、悩みながら進んでいる。
常に「私はこれでいいのか。」「良きリーダーになれているのか。」という感じで。
やっていることも、私の正義に適っていて。
周りにいるみんなのことを尊敬して、誇りに思っていて。
ただひたすらに、私だけに、その視線を向けられない。
団体を立ち上げてから、5年ほど経っているが、「きっと私に合うのはこの形だろう」と思いながら、団体のリーダーをやってきたつもりだ。
リーダーがいて、サポーターがいて、という団体の中の役割が何個かあるとして、
私は「リーダー」には向かない資質をしていると、昔から考えていた。(こうやって私は幾度も自分にレッテルを貼り続けている。)
実際ヒカリテラスを始めた当初、色々な人から「ちーちゃんはリーダーに向かないね」と言われることが多かった。
分かりきっていたことだが、落胆した。
でも私がはじめた、私がやりたい、私が意志を強く持っているプロジェクトかつ団体だから、
何をしても手放したくなかったし、頑張りたかった。
私がリーダーという立場に身を置くことは、
私の「苦手」を克服し、私の在り方を問い直す機会であった。
人に頼ることが出来なかった。
人と関わることが怖かった。
自分の意思を示すことが怖かった。
今も100点満点できたとは言わないけど、少しずつできるようになってきた途中だ。
私は人よりも出来ることは多くない。
でも、少しずつ自分の意思と行動に誇りを持って進んできたはずだ。
少なくとも、全部を抱えて1人でやろうとした昔に比べたら、
「お願いしてもいい?」と言える機会が増えた。
でも「これでいいのか。」は幾度となく頭の中を占める思考。
色んなリーダーシップを論ずる人、リーダーとして上手に出来ている人の話を聞いていると、たちまち自信が無くなるのだ。
それと同時に、果たしてその人たちの真似っ子をして、ヒカリテラスの道理にあったリーダーになれるのか、ヒカリテラスという組織に合うのか、と考えると、それも自信が無いのだ。
何が自信を無くさせるのか、それは私なりのリーダー論の確立ができてない事実からだ。
私自身に、愛も誇りも持てていない事実からだ。
実際、このようにナヨナヨと悩むリーダーってどうなの?と言われても、仕方は無いんだけど。
でもね。
これが私で、これが私の弱さであり、強さなのを分かっている。ごめんね。
全ての思い、全てのコンテンツは、私の生きづらさと弱さを内省して、形にした結果のものなんだ。
私はこのままでいたい。
もちろん、生きづらくはなくなりたい。
でも、もし生きる上での大きな困難や辛さが生まれた時、その予兆があった時に、
涙を流して、「つらい」と想いを吐露できる人間でありたい。
私は、リーダーである前に、1人の生きづらい社会で生きる人間。
その生きづらさに共感できる人でありたい。
共感した上で、生きづらさを緩和解決するための手立て、
そもそも最悪の事態に陥らないような力を一緒に掴みに行く人でありたい。
ヒカリテラスは、「つらい」を言うために、「SOS」を出すために、自分の想いに気付きましょう。という取組を今行っている。
そういう取組をして、話したり、書いたりしている人が、それを見せられないのはどうなのか。
それこそ、道理がなってないのではないか。
私は、なにかの立場で色々なものが変わるよりも、
1人の私として芯を持って考えたり、行動したりしたい。
これが私のリーダー論なんだと思う。
悩むことも、辛いと思うことも、それもまた人生だよね。
悩んで、考えて、クヨクヨもして、でも最後には前を向いたり、折り合いをつけたりする姿を見せる。
これが私の形。
もちろん、私はリーダーとして、成せてないことが多すぎる。
ちゃんと伝えられていないこと、お願いできてないこともある。もっと組織を見なくてはならない。
ただ…、今こうやって、書きながら思ったけど、
リーダーってただの手段なんだね。
もっともっとシステマティックなんだね。
なぁんだ。今気づいちゃった。
これから、リーダーと私の価値観を上手い具合にこねくり回せる方法を探しに行こう。
私なりのリーダー論は、まだ定まりそうにない。
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