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「不登校」でズルい私を肯定したかった

私はズルい。そのひとつの考えに縛られてきました。
きっと今もそうかもしれないけど。

今は、その私自身を認めてあげられるように努力する真っ最中。

その時書いた記事です。

肯定するための知識

私、大学内では法学部政治学科というところにいて、政治のお勉強をしているんです。
でもその一方で、社会教育主事という資格を取るためのお勉強もしていました。(理由は教育の勉強したかっただけなんだけども)

その資格のお勉強の中で、生涯学習や社会教育の勉強をするんですけど、

もろ不登校やフリースクールの話を勉強したわけです。(運命かな??笑)

元々、不登校についての知識はそれなりにあったわけですが、授業を取って、勉強したことによって、めちゃめちゃ知識を得られました。


棚ぼたって感じで、私の不登校であった時期を肯定してあげるための知識をつける事が出来たんですね。

子どもには学ぶ権利があって、学校に行かなくたって学ぶことができて、それを止めることなんてできないこと。

教育の研究をしている人の中には、学校に行かなくてもいいって言ってくれている人がいること。

不登校の子どもの権利宣言には、「安心して生きるためにじぶんのことを大切にしていいんだ。」と書かれていること。
他にも色々。

昔の私を見たら、
そんなことを知らないで、不登校で悩んでいる人に不登校でいいんだよって言えてしまうのは無責任に見えるけど。

その人たちは、不登校で悩んでしまうのが勿体ない人たちに見えたからです。ただそれだけ。

彼らは本当は強いし、真っ直ぐに生きてる人だって、たまたま躓いただけで。そう思ったから言えた言葉です。

昔は本当にそれだけで不登校でいいんだよって言っていたけど、
今は、色んな知識を元に不登校でいいんだよって言えるようになりました。

だから、その知識を元にであれば、私の不登校だったあの頃だって肯定できるようになりました。

こういう権利があるんだから、
この義務は子どもに課せられたものではないんだから、
こういうことができるんだから、
不登校だったとしても、大丈夫だったんだよ。

でも、なんだろう。ずっと心に残ってるんですよね。

「不登校なんて、弱い人間がすることだ」
「ズル休みできてズルい」
「私は苦しくても学校には行ってた」
「学校行かなくて、お気楽だよな」

不登校になったことで、言われた痛い言葉が。

知識があれば、そんな事ない!って反論できただろうけど、当時は何も知らずにその言葉を受けるしかできませんでした。

だから残ってるんです。

私は、誰よりも弱くてズルい人間なんだってなんかずっと頭から離れなくって。

むしろそこだけが、肯定できなくて。

誰かに頑張ってるねって言われたとしても、
そりゃこれまで頑張ってこなかったんだから、今頑張らないと。って思ってしまうんですよね。
ずっと。

私が私の味方になる

これまでズルい生き方をしてきたんだから、
努力もせず生きてきたんだから、
他人に認められなくて当然なんだから、
今の私は、誰よりも真っ当に努力して生きなきゃいけない。

今までも、今も、そう思って生きてきたんです。

ただ私は、人よりもメンタルも弱ければ、体力もなく、友好関係を築くのも苦手で、周りにあまり人が居ないので。()

シンプルに頑張れないことが頻繁にあるし、肯定してくれる人間も多くないわけです。

そもそも、周りに対して本心を出せないというか、怖くて親しくなれないというか、肯定できる要素を出してないんです。

それに、私を1番そばで理解してあげられるのは、私だけだし。
だから私が私を肯定してあげるのが1番早いかもしれないと。
まぁ自己肯定ですよね。でもその前に他者からの肯定があればスムーズです。

でも、私には居ないから、新しい視点での私で考えてみましょう。
もし仮に、こうやって悩んでいる私が誰かなら、私はなんと言ってあげられるだろう。
その誰かはどうしたらこの状態から抜け出せるだろう。

こうやって、新しい視点での私で覗いてみることで、もしかしたら肯定してあげられるかもしれないですね。

私のかつてのイマジナリーフレンド「すーちゃん」の再来でしょうか。多分もう戻ってはこないだろうけど。


ずっと刺さってる痛い言葉たちは、ずっと残るものです。
何気ない言葉でも、意図した言葉でも。

無くならないかもしれないけど、優しい言葉や存在があるだけで、和らげることだってできるんじゃないかって信じてみたいんですよ。

言葉の力で、私にも光は照らせるでしょうか。

ズルい生き方には変わりないかもしれないけど、
違う視点でも努力してないかもしれないけど、

過去なんかどうったっていいかもしれないし、今いっぱい頑張ってるから過去なんかチャラかもしれないし。

そうやって、無理やりにでも、不自然に見えても、

言葉の力で、光を照らそう。

社会でも、誰かでもなく、まずは私自身に。

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