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想起する1ヶ月。

こんにちは。ここ1ヶ月間、心がいっぱいいっぱいです。
死にやしないし、つらく苦しいわけじゃないけど、心がいっぱいいっぱい。そんな表現が当てはまりそうです。

4月はnoteで書き殴りました。見るに堪えない書きっぷりです。

お察しかもしれませんが、感情がジェットコースターです。

4月、様々なものが変わりました。

想起したり、内省したり。でも誰に言うこともできるわけがなく(内容的に)、
なんの意味を持つのか分からない思考ばかりが脳内に募ります。

今回はそんなお話を。

誰かのための起爆。

私は「絶望は起爆剤」という言葉がとても好きです。

と言うのも、私が高校大学を卒業し、行きたい会社へ就職したことも、社会への問題意識からヒカリテラスで活動を続けたことも、

全ては私の「自殺できなかった」から、はじまったからです。

ただ自分のための起爆だけと思っていましたが、誰かのための起爆もできる!とはじめて思いました。

誰かのために苦しい状況でもやり抜ける。
誰かのために空いた役割を担おうとする。

「誰か」が私のモチベーションの源泉になることを知った瞬間でした。

ただ、そんなのって一定数そうな気がしていて。正直こんなに綺麗な人間じゃない。

私が考えてるのはもっとグロいものだったりします。

「私だけが上手くいったって、もし私が死んだら何も残らない。
だったら他の人が上手くいくため、チームが上手くいくために、私がその血肉になる方が価値がある。」

こう思ってるんです。

私だけの成果、私だけの価値なんて、意味が無い。私が死んだら、その成果や価値は消えてしまうから。

日頃から「私が生きた証を残す」ことに執着していることが、思考から読み取れるかと思います。

それだけでなく、「私が生きた証を残す」と言いながら、自分ではなく他人やチームの血肉となることに意識が向くのは、

「誰かの心の中で生きておきたい」という生に対する欲と
「いつでも自分がいなくなれるようにしたい」という死に対する欲が
混ざっているからなんだと思います。

ね、綺麗じゃないでしょう?
投げやりにも見えるでしょう、投げやりだからできることもあるのかもしれません。

居場所にこだわる。

この1ヶ月の間、研修と家の断捨離祭りを行き来していたからか、タンスの奥に閉まっていた過去を想起させることが多かったです。

奥にしまっていた過去というのは、見たくないから奥にしまっていたのであって、心地よいわけが無いんです。

いつまで引きずってんねん、と思われても、意外とそんなものなんですよね。

だってトラウマで、それきっかけで「死」を考えているのだから。
(だから、過去のことであっても「いじめ」「誰かを傷つけたこと」を笑って言う人は好きじゃない。)

話が逸れましたね。

いじめがあって、不登校になって、私が居ない学級会議で「いじめが無かった」ことになったことは、私に大きな影響を与えました。

「死人に口なし」。
自分に権利があって当然、自分の話すことは認められて当然。
…では無い。権利も主張も無い、対等じゃない。

昔こそ当たり前に思っていたけれど、対等でない議論は、片方の押し売りであり、スピーチでしかないです。

思うのです。
話し合いや議論、チームで決断をするには、全員に信じた思考や意見を主張する権利が守られていなければならない、と。

だから、私はチームの中で平等であること、チームが居場所であること、に執着をするのだと感じました。

「チーム」を考える。

では、私にとって「チーム」とはなんなんでしょう?

様々な価値観、思考、歴史を持ったバラバラな人間が集まる集合体。

ただ無作為に集まることがチームではないように思うのです。
何か共通の目的や、利害の一致があるから集うのだと思ったりします。

きっと会社もそうですよね。
「こういうことがしたい」と思っても、1人では影響も力も大きくない。でも「こういうことがしたい」と思う人が何人もいれば、それだけ影響も力も大きくなっていく。

ひとつの目的に、様々な強みを持った人間が集まっていく。色んな手段を使って目的達成に取り組む。
私の「チーム」像は、こんな感じです。

みんな一緒では無い、それは当たり前。
では何故その人が「チーム」にいるのか、それぞれの意義を捉えることが大切なんだと思います。

綺麗な言葉で言うなれば「多様性を認め合う」というところですかね。

だから、チームがそれぞれの居場所であることにこだわるのかもしれません。

「居場所」を考える。

「チーム」を考えるにあたり、私は何度か「居場所」という言葉を使いました。

「居場所」という言葉は、私のこだわりの強い部分だと思います。

ヒカリテラスの前身である「まぶぃーず」はまさに「居場所づくり」をしようとしていたチームでした。

それよりもっと前、私がN高に来て、初めて自分でプロジェクトをやろうとしたことがありました。

そのテーマは「友達づくり」。
「居場所づくり」という分野は当時知らなかったものの、当てはまることをしてきたと思っています。

「友達づくり」にしかり「居場所づくり」にしかり、きっかけは不登校引きこもり時代の孤独や人間不信と信頼のパラドックスでした。

人と繋がりあいたい、誰かと理解し合いたい。
これは人間の摂理だと思います。

誰かと繋がり、理解し、共感しあえたら、私の生きづらさや「死にたい」は和らぐのではないか?

そんな仮説を立てて、居場所づくりをしてきたように思います。

結果、良かった。

これまで理解も共感もされなかった感情や価値観を理解され共感され、
相手の感情や価値観も理解し共感することで、ひとりじゃないことを実感できました。

「多様性を認め合う」ことで、その人が安心してその場で過ごすことができる。

そして何より、人と関わる恐怖心が少なくなり、その人の持つ「やりたい」や「できる」がチームの中で出てくる。

チームが居場所であると、その人のポテンシャルが発揮できるんじゃないか?

だからこそ、チームが居場所になることにこだわるんだと思うんです。

入社して1ヶ月を経て。

入社して1ヶ月経ちました。
ただ、みっちり研修の期間だったので、まだ実務をしていません。

研修の1ヶ月間、自分のモチベーションの在処や大切にしていることを見つめてきました。

その結果が「チーム」であったり「居場所」であったり、私の「起爆」条件だったりの発見でした。

チームに対する平等や安心を基盤に、それぞれの個性がチームの目的達成のためになる。

これが私の理想の働き方なのかもしれません。

誰と一緒に働くのか。
自分の力が誰の役に経つのか。
それによって自分の価値はどう残るのか。

ここを大事に私は仕事をしたいのかもしれません。

連休明けからは、事業部に配属されることになります。

できないことだらけですが、今できることを頑張ること、そして今やっていることは「誰かの役に立つ」と信じ抜くことで、仕事を楽しむ要素を作っていきたいです。

ひとまず、長いお休みをまったり過ごして、連休明けに備えようと思います。

では〜。

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